2005年 100km Walk

 
◆柿本 貴子(岡山政経塾 3期生)

「100キロの向こう側 〜2005〜」




 100キロ歩いたら、そのゴールの向こう側に何かあるのではないかと幻想を抱いていた時期もありました。
 
 私は、二度目の挑戦にしてやっと完歩することができました。
 2004年には、不用意に挑戦してしまい、当然の如くリタイア(午前7時・瀬戸駅)という結果でした。それも、右足を傷め三時間近く迷った挙げ句、サポーターに諭されてのリタイアでした。一旦、動きを止めてしまってからは、歩くことは疎か立ち上がることもままならない状態になり、最終的には、三週間の通院を余儀なくされました。
 リタイア直後は、それまでの濃く・重い21時間に囚われて周囲や先の事に目を向ける余裕はありませんでしたが、後楽園で仲間がゴールするのを待つ間、準備段階でしたことを振り返り、覚悟の甘さを反省しつつ、再挑戦の決意は既に固まっていた様に思います。
 
 傷めた足は、整形外科では「痛みがある内はあまり動かさない方がいい」と言われたものの、一向に痛みが取れず普通に歩けないので、知人の薦めで某整骨院にお世話になりました。そこでは「筋肉が固まって動きが悪くなるので少しずつでも動かして、使って鍛えることでしか治せない」と言われ、違和感のある足で、痛いながらも歩き始めました。
 2004年の5月下旬、1からと言うより、マイナスから準備を始めました。
 当時は、仕事の関係上帰りも通年遅く、日々時間を取って歩くのは難しい状態でしたので、自転車通勤の片道を歩くことにしました。(自転車を押しながら、毎晩のように夜道を足早に歩く姿は異様だったに違いありません。)
 2005年の5月に向けて、一年間(正確には11ヶ月)ほぼ毎日、少しずつではありましたが、準備をしました。時間の取れない中での練習で、心身共に余裕のない時も多く、完歩するまでの間、何度も前回のリタイアを反芻し、自分自身に問わずにはいられませんでした。
 
練習のため、長距離を歩いたのは3回
 3月12日 倉敷ツーデーマーチ初日(20キロ)へ、有志で参加。
 3月19日 倉敷駅から岡山駅まで。岡山駅ワンブロック手前からヨーカ堂へ迂回。
       寄り道もしながら、本郷さんと山本君三人で歩く。
 4月17日 35キロ練習に参加。(練習後、100キロ歩行用の靴を倉敷まで買いに)
 
 2005年の4月には人事異動があり、以前にもまして帰りが遅く、歩く時間もほとんど取れなくなり、焦るばかりで何も出来ない状態に。唯一行っていた事は、なるべくエレベーターを使わず、所属課(8階)まで階段を使うことでした。
 
そして、5月3日。後楽園から、後楽園。所要時間22時間17分
 本当に100キロ歩ききれるか不安を抱えてのスタートで、歩いていた間中「まだまだ準備不足だったのではないか」と思い続けていました。
 今回最も辛かったのは、和気過ぎから熊山を経て瀬戸(70キロ〜80キロ地点)まで。昨年リタイアした瀬戸駅も目前というプレッシャーと、通過した時間帯が深夜から明け方というせいもあるかも知れませんが、疲労と眠気に襲われて、一緒に歩いていた毛山さんのペースに遅れないようにだけ集中し、足を動かし続けるのに必死でした。その時は、ペースもかなり落ちていて、デッドラインすれすれの所を辛うじてクリアしながら、只ひたすら、黙々と進んでいたと思います。
 
 今でも不思議なのは、90キロ地点手前辺りから急に身体が動き始めたことです。あんなに重かった足が平島から徐々に動くようになり、古都宿の辺りからペースが上がっていくのが自分でも信じられないくらいでした。いつ動けなくなるのか。このまま歩いて時間内にゴールできるか。不安で仕方なかった気持ちを、最後は気力だけになっても走る。くらいの勢いで、絶対にゴールする。と気持ちを切り替えることで出せた力なのか、単にエネルギー補給したからだけなのかは今でも分かりません。
 自分が、あの時点で、あれだけ動けた。という事実に、ただ、ただ驚きでした。
 
100キロ完歩を目指すようになって、様々な人から「何故100キロ歩くのか」質問されました。何故歩くのか。何のために100キロも歩くのか。正直、今でもうまく説明できる自信はありません。でも、完歩を経験できてから「何故歩くのか」よりも、このテーマにどのように向き合ったか。その過程で何を感じ、何を得るか。自分なりにかにかを見つけることが24時間100キロ歩行に取り組む意義ではないか。と思うようになりました。
 
課題と気づき
 100キロを歩いた終始、痛みと不安に囚われて(要は、自分のことで精一杯で)一緒に歩いた人やサポートしてくださった方々に気を配ることが出来ていなかったと反省しています。前年とは違う痛みでしたが、あまりに足が痛く、ついつい口をついて出る愚痴をセーブする事ができませんでした。これは、日常生活をおくる上でも課題です。
 
 この一年余り、たくさん歩いたと共に、何となく生活していたのでは見えにくいことに気付いたり、様々な事を考え、体験することができました。

 何度も「身体が痛い…もう駄目かも」と思いました。その度に一緒に頑張っている同志、そして応援してくれる仲間の存在に勇気と力を与えてもらいました。
 もちろん、行程は一歩一歩自分の足で進まなければならないのですが、決して自分ひとりの力では到達できない目標だったと思います。
 長い時間一緒に歩いてくれた毛山さん。ただ者ではない歩きをされていた成瀬さん、歩きサポーター洲崎くん。そして、準備から当日の運営まで、走り回って頂いた事務局、サポーター並びに関係者の皆さま。本当にありがとうございました。