2005年 100km Walk
|
|
◆田中 美香(応援サポート隊)
|
〜美香の100km歩行サポート隊参加体験レポート〜
平成17年5月3日(火)午後9時42分、和気駅着。ここから私の100km歩行サポート隊参加の長い道のりがはじまった。サポートの内容も知らず、道もわからず、挑戦者の方の顔も名前もわからない。そんな状態でサポート隊参加をお願いしたのは、少しでも役に立ちたい…その一心だった。
和気駅に迎えに来て下さっていた小山さんの車に同乗し、コースを逆行しながら、100km歩行についていろいろと説明していただいた。その中で堀内さんが言われたという言葉が印象的だった。「この100km歩行にはそれぞれに課題がある。完歩した人には完歩した人に、リタイアした人にはリタイアした人にそれぞれ与えられているのだ。それぞれの100km歩行なのだ」と。私にも何か課されているのだろうか…
小山さんは挑戦者に出会うたびに車を降りてかけつけ、声をかけていく。私にとっては顔も名前もわからない人達だ。出発から12時間を越えている。辛そうなのは一目でわかる。私も車から飛び降りて声をかける。「頑張ってください!」と心から声をかけるが、所詮私は「あの人誰だろう・・・」と思われているのだろうなと悲しく思う。何人目かで、小山さんが挑戦者の方それぞれに違う言葉をかけている事に気づいた。それぞれの性格、背景、その時の状況、表情、歩き方を見、話を聞きながら瞬時に分析し、かけるべき言葉をかけているのか…と驚く。
午後11時頃、閑谷学校手前のローソンで栗尾さんが四つん這いになってうずくまっている。泣いているようにもみえる。小山さんは優しい言葉をかけない。胸を締め付けられる思いで車に戻り、その場を離れる。数時間後、栗尾さんからの電話で閑谷学校でリタイアするとの報告を受ける。ここではじめて小山さんは、栗尾さんのリタイアとそれまでのがんばりを暖かく受けとめた。
栗尾さんがあの後、あの状態であの長い上り坂を歩いたのかと思うと、改めて100km歩行の過酷さを思い知らされる。
穂浪で寺田さんがリタイア。私にとっては初めて目のあたりにするリタイア者だった。足を引きずりながら歩いてくる彼には、もう表情さえない。小山さんがリタイアの意志を確認し、ねぎらいの言葉をかける。ちらりとだけ安堵の表情が見てとれた。
午前0時を過ぎた頃、電話で忠澤さんの異変が知らされる。急いで車に飛び乗り藤野交差点へ向かう。暗闇の中、先程声をかけてきた挑戦者達を追い越して行く。「皆、孤独と痛み、そして自分と戦っているんだ。」と小山さんは言う。「なぜ彼らは歩くんだ?」 私には答えられない。
忠澤さんは車の中で起き上がる事もできずにぐったりとしていた。熱がどんどん上がってきているらしい。小山さんがリタイアの確認をする。自分の若さ、体力、気力全てを疑うことがなかったであろう彼はどれだけ辛く傷ついているだろう…胸がつまる。和気の空は満天の星空だった。このきれいな星空の中、挑戦者達はどのような気持ちで歩いているのだろうかと思うと、歩いていない自分に罪悪感さえ生まれてくる。
午前3時頃、和気のリバーサイドに到着。高橋さんがリタイアすると言っていた。Tさんが彼の体のメンテナンスをしていた。Tさんには、いろんな場所で本当によくお会いした。本当に辛そうな人達をそのゴッドハンドで癒していた。そこここでTさんを切望している声も聞いた。Tさんって人はいったい何人いるのだろうかと思っていたら、最後に後楽園で挨拶した時、やっぱり一人だった。
これには本当に驚いた。
この時間帯にリタイア者が続出。歩き始めてから17時間。辺りは漆黒の闇が広がっており、気温もかなり下がってきていた。身も心も限界に達するのは当然だろうと思う。
この前後から小山さんが私にたびたび質問してこられるようになる。「今、何人歩いている?」「○○さんは何時頃どこにいた?」「順番はどうなっている?」等々。頭が朦朧とし始めているから覚えてない…小山さんに聞かれた事に極力正確に答えられるようにメモを取り始めた。それからはどんな小さな事もメモメモメモである。やっと自分の仕事を見つけた気がした。
小山さんは一睡もされない。敢えてしないように自分を厳しく律しているようだった。皆が歩いているのに自分が寝るわけにはいかないと思っていらっしゃるのかどうか、口にされないのでわからない。当然同乗の私も一睡もできない。後日、「小山さんに一睡もさせてもらえなかったの」と言いふらしてやろう、と堅く心に誓う。
夜が明けてきた。小山さんは藤井から熊山までコースを逆行しながら挑戦者達に声をかけていく。驚くことに女性のペースが上がってきた。ここにきてペースが上がるのは信じられない。気力、体力ともに限界を超えているだろうに…”ゴールは目前よ!”とばかりに勢いよく歩く。楽しそうにさえみえる。女はこわい。一方、男性はというと、見るのも痛々しいくらいだった。
午前6時すぎ、東平島の信号を右折したローソンで横田さんがうずくまっている。も
う歩くことができないと言う。事実上、最後のリタイア者だった。後少しの距離を残
してリタイアするということがどれほど無念なことか計り知れない。立つことさえで
きない横田さんは森脇さんと小山さんに担がれて、小山さんの車に乗った。初めてリ
タイアされた方との同乗。何を言ってよいのか全くわからない。努めて明るく振舞う
小山さんと横田さんを見て泣きそうになった。
後楽園でゴールする人を待つ。後楽園では既にゴールした加来田さんと山本さん、リタイアした方達がぐったりと寝ていた。午前8時頃、秋山さんが足を引きずりながら感動のゴール。しかし、足を伸ばす間もなく車で拉致された。まだがんばっている挑戦者達を励ましに行くらしい。もう少し休ませてあげてーと心の中で叫んだ。が、後で毛山さんに聞くと、既にゴールした人からの激励にはかなり励まされたらしい。
「岡山政経塾」って………
私の理解の範疇はもうとっくに超えている。
あれだけ差が開いていたのに、15分おき位に次々とゴールしてくる。しかも、順位がかなり入れ替わっている。特に女性の追い上げは目を見張るものがあった。走ってゴールに入ってくる。正直こわかった。このパワーの源は一体何だろう。残念ながら10時を超えてしまい、24時間内完歩にはならなかったが、ラストにゴールに入ってこられた布野さんもとてもお元気だった。12時間前、私が閑谷付近でお見かけした時は、膝を曲げることさえできない状態で一歩ずつ足を引きずるように歩いていらした。とても後楽園ゴールを予想できる状態ではなかったのに…ミラクルだ。
結果、11名の完歩と1名の100km完歩、2名の24時間完歩。感動的だった。最初は顔も名前もわからない挑戦者の方達を時間がたつにつれ、どんどんいとおしく感じるようになっていった。リタイアした時、ゴールした時、抱きしめてその労をねぎらいたかったが、それを思いとどまる理性はまだ残っていた。それは本当によかったと思う。冷静に考えてみれば、彼らにとって私は「あんた誰?」のままなのだから。
結局、挑戦者の方達には何の役にも立っていなかった自分を反省しつつ、私の課題への答えもでぬまま、気づけば完徹30時間…自己記録の更新だっ、私もまだイケルな…と少し喜びつつ、皆さんの半分ではあるが長い長い私の100km歩行サポート隊参加体験は終わった。
今年のゴールデンウィークを非凡で貴重なものにしていただいたことを心から感謝いたします。挑戦者の方達とは違い、私が大きな事にチャレンジしたわけではないので、この100km歩行によって人生観が大きく変わるということはないけれど、今回の体験が、人生の意志決定の場面、場面で大きく作用するのではないかと確信はしています。
本当にありがとうございました。
|
|
|
|