2006年 100km Walk
|
|
◆池田 宏祐(岡山政経塾 5期生)
|
岡山政経塾100km歩行レポート
「100km歩行という手段で学べたこと」
24時間100km歩行に関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。みなさまのサポートにより、24時間以内に100kmを歩くことができました。
ともに歩いた同志の皆様、お一人お一人に、言葉だけではとても言い尽くせないドラマがあったことと思います。私にももちろん感動のドラマがありました。
私は、「俺はこんなに頑張ったぞ!」、「次に歩く人に向けて」等々、自分の振り返りと体験談を述べたくてしょうがないのですが、私の所属が「100km歩く会」ではなく、「岡山政経塾」であることから、私の感動のドラマは胸のうちに秘めておくこととし、ここでは、100km歩行で学べたことや反省を行いたいと思います。
1. 自分は本当に未熟者であること
> 本当に大変なとき、サポートの方々のお声がけに反応すらできなくなっていました(意識がとびそうでした)。とても嫌なやつで、暖かい声援の代わりに石を投げられても当然であったと思います。それなのにサポートの方々は優しすぎました。
→意識がとびそうなくらい大変なときでも、笑って親指を立てられる、時には虚勢で生きられる大人になりたいと思いました。辛いときこそ、嫌なときこそ、腹が立ってしょうがないときこそ微笑(ほほえみ)を忘れない大人になります。
2. 家族はとても素晴らしいこと
> 70kmまでご一緒させていただいた竹内さん、その奥さまと娘さんのサポートに大変な感謝。手作りのおにぎりは美味しすぎました。また、ゴールしたときに娘さんにいただいた折り紙のメダルに感動しました(最初は気づかずにごめんなさい)。さらには、翌日、動けない私を心配した竹内さんが、生活物資は足りているか、電話をかけてきてくださいました。竹内さんも大変であったにも関わらず。
→よほどの理由が無い限り(最近は多いですが)、いきなり家族をもつことはできないので、まずは交際相手、というより、さらにまずは出会いの場をきわめて重視したいと思いました(ただし、相手が見つかるまでとする)。男を磨きます。
3. しんどいときはとりあえず寝てみること(バス停でも)
> 90km地点、両足がしびれ、もう一歩も動けないとバス停のベンチに座っている私に、小山さんからの「とりあえず、2時間寝てみろ。過去に寝て復活したやつがいる(能登さん?)。それでも無理だったら俺の携帯に連絡をくれ。」というアドバイスで、バス停で寝てしまいました。とても寒く、起きたときに、激痛で普通に動くことができませんでしたが、あれだけ後ろ向きだった気持ちはすっきりと晴れ、この100km歩行、痛みよりも気持ちが折れるほうが大変と実感しました。
→途中寝ることは、サポート隊の皆様からやるなと言われた手段ですが、実際に寝てみると、効率が上がり、そこまで大変だった睡魔も嘘のようでした。屋外で、しかもバス停で寝たのは生まれて初めてのことで、少しドキドキもしました。
そこで、「今日できることは明日に延ばすな」も、より効率が上がり、質が上がるのであれば、「明日できることは、今日は無理せず明日やろう」という考えも必要だとわかりました。いい仕事をするために、あまりつめて仕事をやらないようにしようと思いました。
4. 「限界を超え、未知の領域に挑戦し、勇気と精神力を養う。」ためには、24時間100km歩行は十分であるが、必要条件ではないこと。
> 歩いているときに、岡山政経塾が岡山を愛するなら他に限界突破の方法があっても良いのでは、と考えたりしていました。
→100kmでも歩かないと、限界を超えることはないなということがわかりましたが、岡山の役に立ちつつ、限界を超える方法もあるかもしれません。例えば、1.2l(400mlの3倍)献血の後に、後楽園周辺を24時間清掃活動・・・って死んでしまいますね。といいますか、自分自身との対話という条件をクリアするのに、人のために、社会のために、という考えは良くないかもしれません。よって、100km歩行が最も適当、ですね。
最後に、このような貴重な体験をさせていただけたのは、多くの方々のサポート、同志の頑張りがあったからであることは言うまでもありません。お一人お一人に感謝の意を述べるのが本意ですが、この場を借りて述べさせていただきます。
みなさま、本当にありがとうございました。
次は、24時間テレビ、チャリティーマラソンの話が来たら、やるかもしれないです。
|
  |
 |
|