2006年 100km Walk

 
◆永野 公靖(岡山政経塾 4期生)

「100km歩行レポート」



歩く事がこんなに辛いとは思わなかった。
でも、歩ききることがこんなに嬉しいとはもっと思っていなかった。


準備をすればするほど、不安が募り、それを打ち消すかのようにまた準備をしようとするのも事実であった。
7時半に起床し、朝食はバナナ2本と、牛乳。8時に家を出て、9時前に後楽園に到着。
快晴。ホントに雲ひとつ無い。携帯も無い…家に忘れた。
ストレッチをして10時の出発を待つ。ここまでくると、不安もどこかへ行き、「やるしかない!」と思うようになる。
スタートから30kmは気分良く、どちらかというとお散歩気分で歩く。
30kmから40kmになると少し、右膝裏に違和感が出てくる。一平さんにテーピングをお願いする。
40kmから50kmで、若干痛みが出て、右足がまがりにくくなる。
「痛いだけ。歩ける。歩くのと、痛いのは別。」などと自分に言い聞かせる。
50kmから60kmになると、だんだん右足が曲がらなくなる。
この辺りで完全に日没。天気が良い分、星空が美しい。安藤君等と共に歩く。
60kmから70km。途中、ものすごい睡魔に襲われ金剛川の土手の歩道で、何分かわからないけど安藤君と寝る(怪しくないですよ〜)。右足は自分の意思ではほとんど持ち
上がらない。曲がらない。でも、前には出る。だから歩く。
70kmから80km。松木のセブンの手前、斜めになっている歩道を歩いている時に、右足で踏ん張れずに右側に大きくよれるのを、左足でかばって、左ひざの下側の筋か何かを痛める。力が抜けるような痛み。
松木のセブンで痛みと睡魔のため、鎮痛剤を飲み、しばらく休む。ここで安藤君とはお別れ。秋山サポート隊長が通りかかり、一平さんを呼んでくれる。歩いている道中で拾い、膝をテーピングで固めてもらう。この辺りの歩行速度。おそらく時速2km程度。瀬戸署前付近で鎮痛剤もきいて、再び歩けるようになる。
80kmから90km。平島交差点を過ぎた辺りで、鎮痛剤効果が終了〜!
「痛っっっっっ!!」薬でごまかした分が、5割増くらいになってかえってきた。
〜後楽園:古都宿ローソンから新幹線高架下にでるまで要した時間…30分「このままだともう無理だな〜」と思うと同時に頭をよぎったのが「来年・・・またやんの?こんなこと2回も3回もできるかぃ!一発で終わらせちゃる!
時速5kmで歩けばまだ間に合う。」

で、あとは気合?途中、痛い事しか、覚えていない。
とにかく歩けた。9:20ごろゴール!!
久しぶりに嬉しくて泣いた。
一緒に練習していた人たちもゴールしているのを見て、再び泣いた。

歩いている途中、多くの人に支えられ、励まされ、誤魔化され?とにかく助けられ完歩出来ました。
西原幹事:途中の暖かいおしぼり最高でした。
小山事務局長:ピンクのシャツが暖かさを感じました。
サポート隊の皆様:感謝の一言に尽きます。

自分ひとりで歩いているものの、自分ひとりでは歩けなかった。
仲間がいたからこそ出来た事です。
とはいえ、自分の底力ってすごい、とも思いました。


皆様。
24時間、本当にありがとうございました。
お疲れ様でした!

このレポートを作成した、5月6日は、社会復帰へ向け、リハビリ中でございます。