2006年 100km Walk
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◆坂本 眞一(岡山政経塾 4期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「みんな、ありがとう」
【私の中での100Km歩行】
人生最大の屈辱を味わった昨年の100Km歩行。それ以来、”100Km”という文字を見ただけである種の緊張反応を示す自分が続いていました。あれから1年。100Kmを24時間で完歩するという恐ろしいプログラムに再度チャレンジしました。
この中で目標は2つ。自分自身が時間内に100kmを歩ききること、そして他のチャレンジャーを全員ゴールに向わせることです。精神的には他のプロジェクトと違いかなりきついものがありました。
【当日のコンディション】
実は当日の体調があまり芳しくありませんでした。前日の社内会議で重大なミスが発覚したため、会社の人的システムをどのようにコントロールするかということをいたく悩み、来ていた東京営業所のスタッフの話しを聞くこと3時間、帰宅は2時。過度のストレスのためか、途中吐き気を催し最悪の朝を迎えました。しかも、あろうことか前回の100Km歩行で共にした愛用のiPodの内部メモリーが全部飛んでいることに気づき、このせいで実行委員長到着は午前9時。開会式が始まる時間だ。皆に遅れたことをおわびしました。
開会式では小山事務局長と西原幹事の携帯電話が公表されましたが、私はこの2名の携帯電話の番号をメモリーから消去しました。最後は許される「オプション」から訣別するためだ。歩くしかない、そうしかないんだと決め、体調が悪くてもスタートしました。自己責任をこのとき認識しました。
【とことん間抜け】
歩き始めてから35キロ地点で、そろそろ足の疲れが抜けなくなってくるのを感じました。足裏の他の部分にも水ぶくれが生じ、痛みと闘うことになります。応急処置を施しながら前に進むのだがなかなか痛みは消えてくれません。持ってきたエアーサロンパスを足にしようとリュックの中から取り出したのは整髪料のムース。エアーサロンパスと形状が似ているため勘違いして持参。ホトホト自分のおばか加減にうんざり!!
何事も事前準備は大切です。
【自分と自分の闘い】
昨年リタイアした70Km地点あたりから後は、強烈な痛みや眠気と自分の根気を闘わせる状態が続きました。やめるか、やめざるか。
途中何度も自分自身に自問自答します。何でこんなばかげたことをやっている自分がいるのかと自分の中の1人の自分が叫ぶと、もう1人の自分の中の自分がいやいや、これまで練習を積み重ねてきていまさらそれは無いでしょ、あんた正気か、とリタイアを制する。
この状況がずっとずっと、時間にして7時間以上も続きました。そのたびに出てきたのは他のチャレンジャーのがんばる姿です。私を抜いていく人、私に抜かれる人、状況はさまざまでしたがどれもお互いが無言で「がんばれよ」の合図を送るのです。最後は負けてたまるか、という怒りをぶつけ、最後の3キロは痛みでわめきながらそれでも歩き続けました。
【実行委員長として】
私は実行委員長に選ばれており、全ての参加者を100Kmゴールに導かなければならない立場でもありました。果たして自分にこの責任を果たせるのかどうか非常に不安でした。卒塾後、急に多忙を極める状態になったためなかなか精神的なトリートメントが出来なかったことが今でも悔やまれすが、この状況を察してくれた同期の仲間や先輩方、サポート隊の方々に色々な場面でフォローをいただき、何とか無事大役を果たすことが出来ました。改めて御礼を述べたいと思います。
今回最も驚いたのは全参加者41名中27名が完歩したという前代未聞の好成績で終われたことです。実行委員長として、これほどにうれしいことはありません。11時40分、私が閑谷峠を下りローソンに立ち寄ったところでリタイア者の数を聞いてみたところ、「いやあそれが坂本さん、今回は誰一人としてリタイアしていないんですよ」と言われ、あふれる涙を止めることは出来ませんでした。
一つのことになぜこんなに夢中になっているのか、また41人の参加者全てが自分自身の闘いに諦めずチャレンジしていることを聞き、それが大粒の涙となって夜の空に散りました。やっぱりみんなつながっているんだ、と。
【歩いた後の自分】
100Km歩行が終わった今、私は社員をはじめ自分を取り巻く人々になるべく話をするようにしている。そのときに決まって出てくるのが「なぜ坂本さんはこんなことにチャレンジしようとしたのですか?」という質問。
「人の痛みがわかる人は、自分が痛い思いを実際にしている。人の温かさがわかる人は、自分が温かい人に接した経験を持っている。ただそれだけ。」これが私の答え。
組織のリーダーである以上、常にメンバーを引っ張っていくためにはそれ以上の経験が必要であるし、またその人に対する理解がないとその人の成長を自動的に阻んでしまう結果につながります。
人は案外もろいもので、人の支えがないと生きてゆけないのだということを実感しました。ゴールしたときに私が泣き止まなかったのも全ての人に対する感謝が非常に大きく、本当にありがとうと何度も言いたいし、言い切れなかったからです。
このチャレンジで得た経験を基に、真のリーダーとしての認識を改め、これからの人生に役立ててゆきたいです。私は、まだまだ変わると思います。
【ありがとう】
今回の100Km歩行にあたりつたない私や他のチャレンジャーを支えていただいたサポート隊の皆さん、ありがとうございました。また、チャレンジャーの皆さん、本当にご苦労様でした。道中さまざまなドラマがあったと思います。歩けた人はその経験を今後に生かしましょう。また、歩けなかった人は自分の中の甘えをエネルギーに変えてください。来年はしっかりとサポートさせていただきます。
打ち上げのときに小山事務局長と話をしました。「小山さん、やっとこの意味がわかりました。これからも長く続けましょう」と言ったとき、小山さんは笑っていましたがちょっとだけ涙目になっていたのが忘れられません。それくらい、この100Km歩行は意味があるのです。
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