2006年 100km Walk
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◆小坂 和也(岡山政経塾 4期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「24時間100キロ歩行2006」
(準備)
昨年は直前入院した為、サポーターとした参加した反省から、今年は体調管理に気をつかい、オーバーワークにならない様に注意する。主なトレーニングは下記の様なものであった。
3月21日 20キロ歩行(後楽園〜沖田神社〜後楽園)参加
4月1日 20キロ歩行(瀬戸駅〜後楽園)参加
4月8日〜14日 ハワイ特訓(ダイアモンドヘッド・ワイキキビーチ歩行)
4月16日 30キロ歩行(備前片上駅〜閑谷学校〜和気橋)参加
4月30日〜5月2日 金で解決できるあらゆる備品購入
(当日)
午前10時、恨めしい程の快晴の中、順調にスタートする。
円山(約5キロ)までトップグループで歩く。僕の作戦は、前半30キロを時速6キロペースで、前半50キロを10時間以内で歩き、後半50キロを14時間で歩くというものだった。
しかし、西大寺(約15キロ)から恐れていた左膝の痛みが出て、かばって歩くと今度は、右股関節、左足首が痛くなる。そこから急にスピードダウンし、瀬戸内市内(約20キロ)からビリとなる。
ここから僕の長い長いひとり旅が続くこととなる。
早い時間でのリタイヤを覚悟し、美人妻に連絡したところ、福井のおばあちゃんが倒れ危ないと言われる。
心は乱れるがとりあえず歩き続けるから、最悪の時は連絡してほしいと告げる。
(おばあちゃんは5月6日早朝他界した)
いま思えばこの20キロから30キロが一番辛い時間だった。
備前市内(約40キロ)から何故かスピードアップする。とりあえず穂浪橋(約50キロ)まで歩く。ここでリタイヤするつもりが、一緒になった同期の日向から吉永(約63キロ)までリタイヤできないらしいと言われ、吉永まで歩く決意をする。
閑谷の山越えはとても寒く、息が白い、汗まみれのスエットを再び着て寒さをしのぐ。しかし肉体は元気で、かなりのスピードで山越えし、吉永に到着する。リタイヤのつもりがサポーターにのせられ和気リバーサイド(約70キロ)まで歩く決意をする。
リタイヤの意思を小山事務局長に告げるが、まだ歩けと言われ、先を歩いている同期の沢良木に追いついたらリタイヤすると言い歩き出す。しかし、いくら歩いても沢良木に追いつく事はなかった。
左足首の痛みが激しくなる。
結局、7時前、万富(約77キロ)にて小山事務局長にリタイヤを告げ了解してももらう。
ここで僕の24時間100キロ歩行2006は終了した。
(反省)
肉体のスタミナではなく、ハートのスタミナ不足でした。自分自身が自分を信用してなかったと思います。
心の中で、まさかこの歳で100キロ歩けるわけがないと思っていたようです。
しかし肉体は、100キロ歩ける肉体でした。
完歩したみんなと僕の違いはハートでした。もちろん僕に達成感はありません。来年もう一度参加して、必ず完歩して最年長記録(49歳)を樹立する事をここに誓います。
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