2006年 100km Walk
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◆沢良木 敦(岡山政経塾 4期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「2006年100KM歩行について」
結果について
24時間歩き続けたが、歩く速度が遅いのと、地理感が鈍かったため、90KMでタイムアップとなった。
練習について
会社までの行き帰り(片道約1.5KM)を2ヶ月くらい行った。また、仕事で皆が参加している練習に参加できなかったので、4月15日に家からイオン倉敷まで途中、犬養木堂(毅)記念館に立ち寄り、混沌とした時代を何とかしなければと尽力半ばで亡くなった首相に感銘を受けつつ、マイペースで約40KMを歩いた。
本番について
初参加だったので、不安を払拭することが全くできなかった。どきどきしながらの参加となった。以下は10KM毎の心情や感想です。
1〜10KM
自分のペースの遅いことを痛感する。途中から少しペースを早めたつもりだが、全然追いつけず落胆する。
11〜20KM
最後尾から1人ずつ抜くことを目標とする。電信柱3本くらいあいていると歩幅の短い私にとっては回転を早く(前の人が2歩の時に3歩)行かないと厳しかった。ここから最後まではほぼ一人で歩くことになる。
21〜30KM
コンビニでの休憩をしなかったため、41人中30番くらいまで来たが、力尽きる。
31〜40KM
登りや海沿いに体力を失う。体育館が遠い、大鵬薬品ののぼりに俺にも愛情一本を〜と叫ぶ。
41〜50KM
とにかく長く苦しい。段々暗くなり、寂しい中、たまに通るサポートの方に励まされながら何も考えられないまま歩き続ける。
51〜53KM
足の裏の水ぶくれがひどく、さらに歩くペースが遅くなる。顔色が変わるほどの苦痛、50からローソンまでが異常に長く感じ、ローソンはまだか〜と何度も叫ぶ。
53KM
本当に本当にサポートの方々ありがとうございました。ものすごく感謝します。ここでの回復がなかったら、絶対にしたくないと思っていたリタイアをするところでした。
54〜60KM
復活し、閑谷を一気に登る。星を見る余裕も少しでて、空を眺めると水がすくえそうなくらいに近くに北斗七星が見えて感動した。
61〜70KM
堤防〜和気橋付近が下見の時に気になっていた箇所で、やはり不安で迷ったり、立ち止まったりする。しかも私物の懐中電灯が壊れ、借りた懐中電灯も電池が切れ、真っ暗で悲惨な気分の中、歩き続ける。この辺りでサポートの方から大丈夫かと聞かれて、大丈夫と頑張ってみせるが、ほぼ負けず嫌いな気持ちだけで言っていた。
71〜80KM
万富のサンクスまでがまた長かった。ペースを5KMのところを6KMくらい上げなければ時間内にゴールできないと考え、無理をおしてスピードを上げるが、1時間で力尽きる。
81〜90KM
平島に出る道がややこしく、ひたすらサポートの方にTELする。野田さんに車で道案内していただけたおかげで何とか中島プロペラ辺りまで辿り着くことができた。
田舎道から平島に出た際に、車の量に驚くとともに、この変化に心身がついていかず、ゴールは無理なのを痛感し、ここからは自分の記録をのばすことに力を費やした。
来年の完歩へ向けて
歩幅が小さい分、足を出す量を増やさないとついて行くのは無理なので、日頃から早く歩く練習をする。体重を減らし、自重を軽減させる。
ある程度まわりに何人か人がいる状態で歩けるように。誰もいない状態で歩くのは寂しさと不安がつきまとう。
最後に
2006年の100KM歩行は90KMでタイムアップという形でした。来年こそは余裕のある形での100KM歩行とできるようがんばっていきたいと思います。
「限界はひくものではなく、乗り越えるものだ」
今の自分の歩ける限界を何度も乗り越えることができた一日だったと思います。
今年、サポートしてくださった方々、みなさま本当にありがとうございました。
以上
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