2006年 100km Walk

 
◆高畠 信一(岡山政経塾 4期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「友情と願掛け」



1. 目的

 今回の100km歩行の目的は2つありました。1つは伊丹さんとの男の友情を示す事。そして、2つめは父親の癌克服の願掛けでした。100km完歩することで癌が完治すると信じて歩こうと決めていました。
 この2つを達成するためには、2人揃って肩を抱き合ってゴールする以外にはありません。伊丹さんと入念な作戦を立て、それを1つ1つ克服し、新たな問題が発生したら何とかしてそれを克服する方法を導き出し、気力を振り絞る。まさに人生の縮図そのものでした。

2.約束

 事前に2人で決めていたことはただひとつ。どちらかが故障して歩けなくなった場合、背負ってでも歩くこと。この1点のみでした。お互いその思いを胸に、熱い信頼関係を持ち続けながら歩き続けました。そして、もうひとつの約束は病床の父親へお百度参りのかわりに100kmを完歩し、癌の克服祈願を約束しました。

3.スタート

  早めに後楽園にスタンバイし、テーピングを施す。テーピングは2度の長距離練習でどういうテーピングが自分に必要なのかシュミレーション済みでした。63kmの練習で前日まで痛かった膝を完全に固定。前日は針を打って臨みました。澄み渡った青空の中、気持ちの高鳴りを押さえつつ、空に向かって一言・・・『必ず、帰ってくるぞ!』

4.故障

 事前の作戦通り、15kmまでペースを6km/hほどで集団を抜け出し、そのアドバンテージを保ちながら押さえ気味のペースで50kmまでを行く予定でした。50kmまでは予定どおりでしたが、50km地点で伊丹さんの膝が故障。伊丹さんの膝のテーピングを張り直して閑谷越えに向かいました。
 100km歩けるかどうかは、痛みに耐えてそれをどう克服するかが勝負であると考えておりましたが、思っていたとおり突然、伊丹さんの膝を激痛が襲いました。この地点での故障は正直言って2人を不安に落としいれました。閑谷越え後に故障個所がどうなっているかによっては完歩が危ぶまれるからです。閑谷のトンネル前で膝のテーピングをガチガチに固め直し、山を下りました。彼の膝は予想どおりかなりのダメージをおっていました。しかし、彼は一言も弱音を吐きませんでした。彼の気迫で私は胸が熱くなりました。

5.父親の100分の1

 70km地点からとうとう私にも激痛が襲いました。右足ふくらはぎから膝裏に痛みがはしりました。50km地点前で1度つった箇所でした。今度は私の方が伊丹さんのペースに付いていけず、少しペースを落として歩き続けました。そのとき私は心の中でずっとずっと叫び続けていました。
 『オヤジの痛みの100分の1の痛みじゃ!しかも、その痛みは24時間で終わる!』
 これを繰り返し繰り返し思い続けると、いつの間にかペースが5km/h程に戻っていました。目を閉じるとベッドに横たわる父の面影が写るようでした。そして空には満天の星が我々の姿を見守っていました。あと30km勝負はまだまだこれからでした。

6.最後の苦しみ

  残り20km程からペースが一気に落ちてきました。さらに落ちたペースから気持ちも下降気味でした。そのころから伊丹さんの足の付け根の痛みが発生。一気にペースも2〜3km/hに落ち、いつまで経ってもチェックポイントが見えず、何とか足を前に出していました。彼が『しんちゃん、ペース落ちてごめんな!』と・・・・・。グッと涙をこらえ、『二人で肩組んでゴールしょうでぇ〜!』と言うと涙腺破壊・・・。
 10kmを切ったところから伊丹さんが満身創痍で一気にペースアップ!二人で『イッチニ、イッチニ』のかけ声を轟かせながらラストスパート!!

7.ゴール

  二人で肩を抱き合ったままゴールテープを切った。お互いの健闘を讃え合い、抱き合う・・・・また涙腺破壊。彼と一緒にスタートしゴール出来たことが何よりも嬉しく、練習からこのゴールまでが思い出されました。伊丹さんとの友情はここに証明され、彼がいたからこのゴールがあると確信しました。彼の男としてのカッコ良さが滲み出ていました。
 そして支えてくれた人々に感謝の念が沸々と沸いてきました。サポーターの方々、幹事の方々、家族、彼女、会社のスタッフ、そしてチャレンジャー同志の方々、すべての方のお陰でこのゴールがあり、感謝の気持ちでイッパイになりました。本当にありがとうございました。

8.その後

  表町がセール中のため、8:15でゴール地点から先に引き上げさせていただき、9:30には仕事をしておりました。私にとっての100kmは4日の仕事も無事終わらせて終了となりました。
  その夜、病院へ行き病床の父へゴールを報告。父は笑いながら『ようやったなぁ〜わしも頑張る』と・・・・。病室の廊下で号泣・・・・涙腺大洪水。
  100kmは人生そのものでした。私の人生の100kmも熱い思いで歩き続けることの大切さを学びました。


                               ― 以上 ―


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