2007年 100km Walk
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◆坂 俊介(岡山政経塾 6期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「3kgの対価 〜数字から見る客観的自己成長〜」
5月4日午後1時。たかだか6センチほどの体重計への段差。
なのに体がひどくきしむ。やっとの思いで上がった体重計のメモリに目をやる。
「昨日と比べて3kg減」
減量というものはほとんどの人にとって嬉しいものである。しかし言い方を代えれば、今まで培った体の一部3kgをこの1日で失ったことにもなる。
少々乱暴な考え方かもしれないが、24時間100キロ歩行という経験は、私の失った3kgの対価としてはあり余るほどの成長を得た大切な1日であった。
@ 100キロという距離 → 「恐怖・不安を乗り越えられる自信」
100キロを24時間以内に歩くという経験をする人間はなかなかいない。未知のものに対峙する時、ワクワクする人もいるが、大抵、恐怖や不安を誰もが持つだろう。違わず私もそうだった。これはソフトな言い方だが、正直○○もれるぐらいびびりまくっていた。唐突だが、例えば小さな赤子が5段の跳び箱を前に何を思うか。そして例えば小学4年生の時、その5段を跳ぶことが出来た時何を思うか。未知のものに対する怖かった感情は、跳べたその瞬間に克服できたという自信に変わる。
「私は100キロを24時間以内に完歩したのだ。」
今まで長距離に感じていた30キロを歩くことなんて大したことない、という単純なところから始まり、100キロの経験の中で襲い掛かった肉体的苦痛、精神的苦痛以下のものには十分耐えられるという自信が今の私にはある。「以下のもの」といってもなかなかそれ以上のものも見当たらないだろう。私は一回り大きくなれた。
そして大抵のものには屈しないその自信を持ったメンバーと一緒に岡山政経塾で学べるということ。それはもう、ワクワクして仕方がない。
A 19時間17分という時間 → 「満足感」
私のゴールタイムである。午前5時17分、3着であった。
完歩が目標であった私にとって出来すぎであるかもしれない。この結果に関しては満足である。っていうかめちゃくちゃうれしい。この満足感を得るためにみんな完歩を目指してるわけで、完歩したみんながおそらく言い様のない喜びをかみ締めていると思う。3日から4日のこの感動・満足感を書き綴りはじめたらきりがないので、ここは一つ一人喜びかみ締めるということで、割愛。
B 70キロ・リバーサイドという通過点 → 「自分の現状を知る、という力」
去年、100キロサポート隊のお手伝いをさせてもらった。自分が担当した最後のチェックポイントがこの和気のリバーサイドであった。このポイントまでくると、チャレンジャーのみなさんに歴然とした差が出る。朝方にこのポイントで誰がゴールし、誰がリタイアしたかを知った。和気を通過していった時のそれぞれの状態が当時目に浮かんだ。
今回のチャレンジで、私にとってこのリバーサイドが明暗を分ける大きな分岐点だった。この地点に自分がどんな状態で辿りつけるのか。できる限りキズを負わずにこの地点を通過したい。その気持ちだけで歩いていたといっても過言ではないくらい意識したポイントだったのだ。
だからそこに辿り着くまでの自分は、自分の体ととにかく相談をした。 少しでも足や腰に負担を感じれば、どうすれば軽減できるだろうかを考えながら常に歩いた。
そして、予想以上の結果。
時に思い切りのよさも自分の能力以上の力を発揮することにつながるかもしれない。ただ、大体思い切りよく行動してしまう自分にとって、自分の能力との相談も、より大きな結果を生むのだということを再認識した「わけ」だった。
おしるこ飲みたかった。
C 7分という差 → 「今の自分に足りないもの」
1着の中野さん、大原さんは私より一足先にゴールした。時間は19時間10分。私と7分差だ。100キロ歩いた中での7分の差なんて大したことない、と思う人もいるだろう。ただ私にとってこの7分は大変大きくのしかかった。
何が?
なんとなく感じている方もいるだろう。とにかく結果が中途半端なもので終わってしまったのだ。「去年より1時間早く2人が1着ゴールイン」「最高齢52歳がなんと19時間台でゴールイン」・・・・・私には何が言える?
ただ、これは仕方がないわけではなかった。ゴールした2人含めて80キロ過ぎまでは共に歩いていた。それが徐々に差が開く。
30キロ地点でトップであることを知り、そのままの状態できていたことが後押しとなり、抜かれてはならぬという意志の強さとあいまって時速5・5キロペースを維持できた。後ろから来ているチャレンジャーの中には今誰がどの辺を歩いているという周りの状況を知っていた人がいたのは後になって知ったが、80キロを過ぎ、当時私は、周りの状況が分からず、ただ一人旅という寂しさと孤独感におそわれた。
そんなことを考えながら歩いていると、東岡山を過ぎたあたりで全く見えなかった大原さんの背中が見える。そして、あと50メートルにせまる。がんばれ、自分。
しかし「なんとかして同着2位だ」という思いとは裏腹に今度は差が開いていった。
それから先、その差は埋まらなかった。それが7分差。
3着でも19時間台で完歩できたなら立派じゃないか、離れて行く大原さんの背中を見ながら思ったその思いが7分差という数字であり、最終的に私には何が言える?という疑問につながっている。
目立てばいい、というわけではないのは十分分かっている。ただ100キロという距離を歩いて最後に思ったその「甘え」こそが今の自分に足りないものの筆頭なのだと今、痛切に感じている。
100キロ歩行は私に大きな課題も残してくれた、ということ。
と同時に、まだ限界にチャレンジできる余力が残っている、ということでもある。
まだまだ自分は成長できる。これからの生活をもっと楽しくさせてくれる100キロ歩行でもあった。
D 6期生という自分
100キロ歩行を通じて、様々な成長が出来た。そして、同じ経験をしてきた先輩方に支えられている自分たちを感じる。この苦しさを乗り越えてきた同志たちの集合体がどんどん大きくなること、共に学び、切磋琢磨すること。
岡山県に岡山政経塾あり。
岡山の未来は明るくなると信じ、その一助に少しでもなれるような自分磨きをしていきたい。
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