2007年 100km Walk
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◆今井 裕之(岡山政経塾 6期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「私にとっての100キロ歩行」
私にとっての100キロ歩行は、「魂の成長を学ぶための経験」でした。
1. 準備期間 〜 当日までの自分の思考と言動 〜
2. 当日 〜 宇宙という舞台に立たせていただいた24時間 〜
3. その後 〜 終わってから学ばせていただいたこと 〜
の3つの段階に分けて、レポートさせていただきます。
1.準備期間 〜 当日までの自分の思考と言動 〜
「目標設定」から「目的設定」へ
頭で準備をはじめたのは、2ヶ月前、心と体と魂の準備を始めたのは、1ヶ月前でした。フルマラソン、富士山登山、エアーズロック登山などを経験しているとはいえ、日ごろの多忙さに、不規則な食事、運動不測に、太りすぎにの現状から、日に日に不安は募るばかりでした。あまりにもの多忙さに時間が作れない自分への苛立ちがありました。まず、100キロ歩行の目標を立てるところから始めました。「目標」設定は、「100キロ完歩」と考えてみても不安は募るばかりでしたので、「目的」設定に思考を変えてみました。何のために、100キロ歩くのか?誰のために100キロ歩くのか?その問いかけに、「自分お器の限界を超え、自分がかかわるすべての仲間に愛と感謝を送れる器に広げるために成長する」ために100キロ歩行に参加するという「目的」を立てました。不思議と少し肩の力が抜けました。
イチロー選手の目標設定に学ぶ
その日、スケジュール帳に、月曜日、水曜日、金曜日に19:30(20:30)〜の予定を第一優先の予定に切り替え、残業をやめ、すべて早朝出勤体制に切り替え、朝の5:00起床を決断しました。朝方の体質に切り替わり、週3回の練習会に参加する中で、歩きながら「自分にできる最大限のこと」は何か問いかけながら歩いていたように思います。その時に、あるひらめきが頭に浮かびました。それは、「6期生全員完歩!!」という目標でした。いつもイチロー選手が、マスコミに夢を聞かれると「打率10割という理想の自分」という言葉に影響されたのかもしれません。
「脳」と「意識」のメンテナンス
日ごろ、「脳」と「意識」の研究をしていることもあり、顕在意識が、潜在意識につながり、集合意識につながれば必ず、「全員完歩」は実現するということを実証したかったのです。「全員完歩」のために自分のできることは、一人でも多く100キロを楽しむ仲間を作ることでした。楽しくて、わくわくしてたまらない、もう完歩してしまった状態の脳と心の状態で当日を向かえるためのメンタルコンディションの提案でした。脳が完歩をイメージし、毎日コツコツ努力していれば、誰でも完歩できる。脳が、きつい、大変だと思った瞬間に、心と体はその脳の奴隷になり、作用し、実現する。自分が口にした言葉も一緒のようです。「ツライ、キツイ、クルシイ、メンドクサイ」よりも「ツイテル、楽勝、わくわく、簡単、ありがとう」といっている方が心も体も動いてくれるようです。
高橋尚子選手に学んだ練習の基準
未知の世界100キロ歩行に関して、不安が何度も訪れました。そんな時に、シドニーオリンピックのフルマラソン金メダリストの高橋尚子選手が、金メダル獲得の翌日に話してくださったお話を思い出しました。
彼女は、1日42.195キロの練習をすることはなく、アップダウンの激しい土地で50キロ〜60キロの練習を続けてきたそうです。一番驚いたことは、走っている時に考えているときには、けしてゴールをイメージするのではなく、1本先の電信柱をイメージし、自分のペースで、ベストを出し切ることしか考えない。ただそれだけ。そこにあるのは、家族への愛情と小出監督への感謝だと話してくださいました。
そこで、私も目標を立て直しました。それは、「3年連続100キロ歩行に参加する」ことでした。岡山政経塾の規則がどうなっているかわかりませんが、3年連続参加したいと思いました。その1年目の100キロ歩行をどう捉えるかという目標に変更しました。100キロ歩行は、楽しいから、感動するから、新しい発見があるからと思って、リピート参加する
入塾生、幹事、理事の方々が増えていくイベントになっていったらどんなに楽しいだろか
どんなに岡山がよくなっていくだろうかと考えるようになりました。
その私の希望を5年前から(いやもっと前からだと思います)実行に移されていた方がいらっしゃり、魂を奪われました。感動しました。感激しました。嬉しくなりました。
2 100キロ歩行当日
人生の中で最悪のコンディション
5月2日の夜、会社でトラブルが発生し、人生の岐路に立たされた日でもあり、自分との葛藤の日でもありました。そのため、2時間くらい睡眠を取れたかどうかという、とてもベストコンディションとは思えない体調の中、「プラス発想」「プラス思考」「プラス感情」のはったりだけで、瞑想、セルフイメージを繰り返し、後楽園に歩いて向かいました。
人生の中で最悪のコンディションで、10:00に後楽園をスタートしました。心は葛藤、体は疲労、顔は笑顔、魂は暴走といった状態で、24時間未知への挑戦の旅が始まりました。
楽みながら歩く
一番初めに、魂を奪われ、感動した出来事が、相澤先生が、5年連続100キロ歩行に参加しているという事実を知ったスタート直後の相澤先生との会話でした。そんな嬉しい気持ちでスタートを切りながら、私の目標を再認識しました。自己ベスト記録を作ることではなく、6期生全員完歩ですので、記憶に残る100キロ歩行を楽しませていただきました。6期生全員と会話しながら歩きたいと思い、15キロくらいまで女性のグループと楽しい時空を楽しませていただきました。いろいろなお話を聞けて本当に楽しかったです。
女性はすごいです!
20キロ地点くらいからここままのペースでは、時間に間に合わないと言われ、少しずつペースを上げました。その過程で、40キロくらいまで、何人かの人と楽しいお話ができました。自分のためにではなく、社員の夢のために走るという経営者や職場のスタッフに応援されて励ましのサインの入ったTシャツを着て走っている人、すでに他界された、友人のために走るという人、愛する人のために走れるのが、女性の強さなのかと、改めて女性のすごさを再発見しました。またまた、感動してしまいました。
サポーターの方々のありがたさに感謝
日が暮れ始めて、足に痛みを感じ、少し余裕がなくなってきました。その時に初めて、サポーターの方々の「ありがたさ」を認識しました。今、思えば、初めからずっと、励ましの声をかけてくださり、応援してくださり、気にかけてくださっていたにもかかわらず、余裕のあるときは、その意味とありがたさを深く理解していませんでした。自分が一人になって孤独になるに連れ、サポーターの声にどれだけ助けられたかわかりません。サポーターの皆様、本当にありがとうございました。
日が暮れてから、途中で地図をなくしてしまい、懐中電灯の調子が悪く本当に不安になりました。羅針盤を失った船の船長さんのようなブールーな状態になっているときにも
6期生の同志とサポーターに助けられ、地図と懐中電灯を用意していただき、未来が明るくなりました。さすが、政経塾は、明るいナショナル!松下電器といった感じでした。(笑)
自分の魂との対話と戦い
50キロを超え、60キロへの道中、70キロへの道中、睡魔との闘い、足に感じる激痛、より自分の魂との対話が始まりました。高橋尚子選手のように、次のチェックポイントまでがんばろう!と魂に渇!を入れながら、何度も立ち止まり、このまま眠りについて、歩行を放棄したらどれだけ楽かもしれないと魂との葛藤は、何度も続きました。ストレッチしてもストレッチしても、足が棒のようになり、痛みを和らげるために、マッサージクリームを塗っても長くはもたず、自分の意志で体が動かない状態が続くようになりました。
歩く筋肉が硬直したので、走る筋肉を使うことで、ストレッチの意と下り坂のひざ対策も含め、閑谷学校の長い坂をジョギングで下りました。気持ちよかったです。(変態ですね)
長い坂を下り終え、ローソンのチェックポイントで、テーピングを巻くことを決めました。テーピングの意味を始めて認識した瞬間でした。知らないことって怖いことですね。
テーピングは、筋肉の代替になるのですね。初めて知りました。もっと早く知っていればテーピングの研究をしておくべきでした。テーピングを終え、気持ちいい肌のぬくもりとテーピングのサポート力を感じながら、次のチェックポイントに向けて歩き始めました。
仲間のありがたさに感謝
歩いても、歩いても、果てしなく続く孤独な歩行レース、何度も立ち止まりました。そんな時に、電波が入った携帯電話が、私を呼んでくれたのでした。
30件近くの応援メールでした。私は、去年、東京から岡山に引っ越してきましたので知人が少なく、私が24時間くじけないように、全国の仲間に応援メールをお願いしていたのでした。たくさんの仲間が、私の魂を支えてくれていたのでした。このメールには、たくさんの励ましの言葉、思い出のエピソード、座右の銘、パワースポットからの写真、笑顔の写真、たくさんのメッセージが送られていました。それを読んだら、涙が止まらなくなりました。その瞬間です。足取りが、軽くなった(気が)して、どんどん歩けている自分を認識しました。はじめて気づきました。自分の体は、ただの借り物で、私の体ではない。
私は、生かされている。ただ、一時的に、自分の体をお借りして、魂のドライブをたのしんでいるだけに過ぎないということを教えていただきました。動かないからだが、他人のメッセージで動けるようになる、燃料のない車が、言葉の燃料で動けるようになる。不思議な体験でもあり、納得した体験でした。
食べ物、自然、母なる大地への感謝
次に訪れたのは、空腹でした。ありがたいことに、会社の社長が、小さな玄米おにぎりをたくさん作って差し入れしてくれていたのでした。その一粒、一粒を噛み締めるたびに
食べ物のありがたさに感謝せずには、いられずまたまた、涙が止まらなくなりました。食べ物にもエネルギーがあり、命が宿って、その命をいただいて、生かされている自分に認識できる体験でした。食べ物に命があるということは、言葉では聞いていましたが、初めて体感として、実感した出来事でした。
両親への感謝
まだまだ、続く暗い夜道の中で、こんな体(命)を産んでくれた、父親の常喜、母親の睦子のありがたさに感謝せずにはいられなくなり、またまた涙が止まらなくなりました。
本当に、私は生かされているということを実感、いやそうしないと自分の体を動かすことのできない不思議なシステムにびっくりしました。
自分の体ではないという認識
70キロに向かう道中、80キロに向かう道中、たくさんのサポーターの励ましと時空を超えて、応援してくれているたくさんの仲間のエネルギーをもらいながら、自分の体をだまし だまし、歩いていくことが出きました。
言霊の力(エネルギー)
朝の5時くらいにまたまた、たくさんの応援メールをいただきました。道中にあった同志に痛み止めをもらい、それから20キロほとんど休みことなく歩き続けました。その時には、怪しいかもしれませんが、江本先生の「愛感謝、愛感謝、愛感謝、愛感謝…」五日市さんの「100キロ完歩しました。ありがとうございま〜す。感謝しま〜す。」斉藤ひとりさんの「ついてる、ついてる、ツイテル」、小林正観さんの「ありがとう、ありがとう、ありがとう」、観世十句、ガヤトリーマントラ、知っているマントラなどをぶつぶつ唱えながら歩いていました。(危ないですよね〜)
ただ、感謝の気持ちを心に抱き、言葉にして歩くだけの20キロだったように思います。
最後のゴールまでの2,3キロで痛み止めが切れ、足に激痛が走りそうなのを察知し、脳をだますために、体の部位に感謝の気持ちをこめて「足さん、ありがとう、ひざさんありがとう、足首さん、ありがとう、ももさんありがとう、肺さんありがとう、心臓さんありがとう」などと、自分の日ごろお世話になっている、体の器官さんたちに感謝の気持ちと言葉をかけていきました。途中も、たくさんのサポータの方々の励ましに支えられ、西原さんのすばらしい激励力に癒されながら、後楽園のゴールテープを切りました。24時間走り続けると宣言した自分に負けて、そのまま倒れこみ、他のチャレンジャーのサポート歩行の実現には至りませんでした。6期生の皆様、申し訳ありません。
3.100キロ歩行を終えて
100キロ歩行を終えて、たくさんのことが映画のワンシーンのようにスローモーションで流れていったような感覚がありました。どれだけたくさんの方に支えられて生きてきたのかを思い知らされました。今回の100キロ歩行での、魂の成長と気づきのポイントをまとめて見たいとおもいます。
1. 準備の大切さ …
2. 言葉の大切さ
3. 目標設定より目的設定
4. 食べ物の大切さ
5. 両親の意味
6. 仲間とは何か
7. 自分は、誰のものか
8. 生きると生かされているの意味の相違
9. サポートの大切さ
10. 自己成長とは
11. 岡山政経塾の偉大さ
12. 紹介者への感謝
13. 同志への感謝
14. 言動一致とは
15. 励ます意味
私の影でいつも会社を支えてくれている社長をはじめとする、同志の皆さんに感謝申し上げます。みんながいるから、完歩できました。
最後に、100キロ歩行の打ち上げで6期生の皆様からいただいたメッセージには、予想していなかっただけに、感動で涙が出ました。本当にありがとうございました。
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