2007年 100km Walk
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◆小坂 和也(岡山政経塾 4期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「 24時間100キロ歩行2007 〜奇跡の1日〜」
5月3日〜4日が24時間100キロ歩行の日になって、今年で3年目になる。
1年目、オーバーワークがたたり直前に入院、サポーターとして参加して仲間たちの壮絶なドラマを見て泣く。
2年目、参加するも万富サンクス(77キロ)でリタイヤ、自分のまだまだやれる肉体の強さに感心し、自分のハートの弱さに自己嫌悪。
3年目、完歩、嬉しいという感情より、仲間に、自然に、用具に、自分の肉体に、自分を取り巻くすべてに感謝している不思議な感情。
(準備)
@トレーニング
2月はフランス縦断、3月は国内、3月末から4月5日までアメリカ・韓国と旅が続き、4月9日に新しい会社に移籍、いきなり出張の連続、4月12日から学校(月曜〜金曜は岡山で調理師学校・土曜は大阪のワインスクール・GWは野菜&フルーツの資格取得の講義)が始まりトレーニングできる時間がなく焦る。
しかし、プーだったこの10ヶ月は国内・国外をいろいろ旅して時間の許す限りかなり歩いた、これが基礎体力をアップさせているはずと思い込む。
Aシューズ
1年目の大会前に購入した靴をあらゆる旅に履いて行き、ひとり旅だったアメリカから「相棒、今日もよろしくな」と話かけるようになった、たしか「ゲゲゲの鬼太郎」で物にも魂が宿ると言っていた、「鬼太郎と一反もめんの関係だな」などと独り言(けっこう危ない・・・)。
Bバック・ウェアー・薬・サプリなど
身につける物はすべてタオル・帽子・靴下にいたるまで昨年と同じにした、ただし防寒具のみ1年目の入院の原因となった冬山特訓の際買った迷彩色の「安比高原カッパ」を使用、そして、昨年の反省から中身の軽量化を実行する。
薬・サプリも昨年買って残っていた物をすべて使用、今年は新規購入なし。
すべての用具に「明日はよろしくな」と声をかける(かなり危ない・・・)
C腕時計
前夜、なぜか電池切れ、あわててショップに行くが閉店、重い腕時計は嫌なので腕時計なしで臨むことにする、時間を気にせず自分のペースで行けと言うことかと解釈する。
(当日)
自分の手で高カロリー・消化の良い朝食を作る、そして3年目にして初めて仏壇に手を合わせ「行ってくるわ」と報告する。
@スタート前
緊張も興奮もなく自然体、静かにスタートを迎える。
A後楽園〜大富三叉路(20キロ)
同期の沢良木とトップグループで歩く、周りから飛ばしすぎと言われたが、僕には普通のペース、旅が続いたこの1年で歩行スピードはかなりアップしている、でも今年は皆のペースが遅すぎる。
汗をかいている身体に涼しい風が吹くたびに「神様ありがとう」と感謝する。
B大富三叉路(20キロ)〜備前体育館(40キロ)
昨年は膝・股関節・左足首を痛め一気にビリになった場所、今年は筋肉疲労だけでさほどダメージがない、しかしスタミナ不足の為、休憩の回数が増えてきた、休憩しては沢良木に抜かれ、歩きだすと追いついて抜く事の繰り返し、沢良木のペースを乱したのは僕です、すみません。
しかし、ここの距離が1番辛い時間だった、ずっとひとり旅の僕はもうリタイヤの事を考えていた、しかしそんな時いつも涼しい風が吹いてくれた。
C備前体育館(40キロ)〜伊里中ローソン(53キロ)
備前体育館で初めて横になり至福の時間を迎える、その後、1回目のウォーキングハイを迎え順調に歩く、中間地点の50キロを10時間で通過、時計を持っていない僕は順調なペース配分に驚く、伊里中ローソンでまた横になり2度目の至福の時間。
D伊里中ローソン(53キロ)〜リバーサイド(69キロ)
閑谷学校に向かう途中寒くなり、ついに迷彩色の「安比高原カッパ」を装着、しかし去年ほど寒くない、今年は天が味方してくれている。
閑谷の下りはまさに絶好調、走るように下り、吉永ローソンでまた横になり3度目の至福の時間、確かに横になった後のリスタートは足が痛い、しかし今年はしばらく歩くと回復して時速5キロペースで歩くことができる、一体どうしたのだろうこの49歳の肉体は、今年はすべてが味方してくれている。
和気に向かう途中、休憩していると眠くなり落ちそうになった、おかしい、去年は1度も眠くなかったのに、去年大会前、柳さんに「夜中、眠くなりますか」と質問したところ返事は「小坂さん、年寄りはならん、眠くなるのは若い子だけ」と言われた事を思い出した、ということは今年の僕は若い?
リバーサイドまで順調に歩き横になり4度目の至福の時間、しかし横になった後は自力で立ち上がれないほど足は疲れていて竹内に起こしてもらう。
Eリバーサイド(69キロ)〜古都ローソン(91キロ)
去年、朝7時にリタイヤした万富サンクスに到着、去年より3時間以上早い、去年の自分に「さよなら」して未知の領域に突入、この頃から筋肉疲労が激しくなり、どこでやめようかと思い始める、瀬戸駅前で休憩、横田さんと話していると少し楽になった、平島の自宅近くで美人妻に電話をしようかと思ったが電話をするとそのまま自宅に帰ってしまいそうだったので止める。
自宅近くで一平ちゃんから「休むと歩けなくなりますよ」言われ、休むと負けで休まないと勝ちという単純な勝負になったと思い込む。
しかし平島交差点過ぎの「金将ラーメン」の店先で休憩してしまう、自分の根性のなさに自己嫌悪、「一平ちゃんごめん」と半泣きでつぶやく。
とりあえず沢良木が去年リタイヤした「ナカシマプロペラ」まで行こうと歩き出す、筋肉疲労はピーク、右足首にも痛みが出てきた、もうリタイヤしたいという思いは強くなるばかり古都ローソンでリタイヤを決意する。
F古都ローソン(91キロ)〜後楽園(100キロ)
古都ローソンにいたのは小山事務局長だった、いきなり「小坂まではギリギリ完歩、後は無理、頑張れ」と言われ背中を押された、リタイヤのリの字も言えなかった、しかたなく歩き出す、高橋さんに時間を確認、まだ7時、3時間で9キロ、これは行ける、ここで初めて完歩の決意をする。
こうなると少しでも早く楽になろうと思い歩く、どこにこんなエネルギーが残っていたのか足がどんどん前に進む、まるで誰かがワイヤーで引っ張ってくれるように(一反もめん?)、高島保育園の頃から伴歩してくれた妹尾さんに励まされながら後楽園を目指す、後楽園前で2年前に僕がサポートした坂本・安藤に迎えられ8時39分、一気にゴール、去年、くやし涙をふいた福山雅治コンサートツアータオルを空高く投げた。
(後楽園の芝の上で)
美人妻に報告しようと携帯電話を見て驚いた、表示は「8時45分」時計を持ってなかった僕の感覚は9時半だったのだ、ということは最後の9キロを1時間40分弱で歩いていた、これは神がかり的なことだ。
美人妻に電話して「完歩したよ」と言った時、熱いものがこみ上げてきて後は何も言えなかった。
この奇跡としか思えない1日を振り返ってみた、去年の経験から気負いは全くなく、自然体で臨めた事、サポートしてくれた仲間達から、大自然からエネルギーをもらった事、49歳の肉体の基礎体力がなぜかアップしていた事、そしてハートが去年より少しだけ強くなっていた事。
(最後に)
僕の人生で初めての肉体系の勲章です、改めて自分が好きになりました。
最年長記録は52歳の栗山さんに横取りされてしまいましたが、4年後、53歳でチャレンジしてやろうかなと思っています。
1度体験するとハマってしまう100キロの魔力、これからも100キロジャンキーは増殖して行くのでしょうね、来年は今年の恩返しでサポーターとして歩きます。
最後に僕を取り巻くすべてに感謝の気持ちでいっぱいです、本当にありがとうございました。
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