2007年 100km Walk
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◆源 真典(岡山政経塾 5期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「歩くということ」
去年の反省から
あの悔しい、辛い思いをしてから早一年、様々な学びを得てやっと卒塾ができたような晴れ晴れとした感覚である。
去年の失敗を活かすために「心と体と物の準備」を怠らず、「絶対に歩く」という目標を持ち、今年の戦略を「マイペース」そして「足の裏の痛みは当たり前」=「歩き方を絶対に変えない」この2点を強く心に決め、当日を迎えたのである。
前半戦
とても気持ちよく、少し暑さを感じるほどの晴天に恵まれ、私は最初の野望であるスタート地点での写真にデカデカと写ることを達成し、気持ちを新たに2007年度100キロ歩行のスタートをきることが出来ました。
相棒は、実行委員を共にした多賀さん、6期の仲達さん。早く行きたがる仲達さんを抑えて15キロ地点まではピクニック気分。3期の江本さんや6期の高森君とも合流し、選挙の話しや世間話をしながら20キロ地点を気持ち良く通過。しかし、疲れが少々出てきたのか口数も段々と少なくなり、ゴールの遠さに様々な不安とネガティブな考えが頭をよぎる。同時に、膝に違和感を感じたのもこの頃だ。運よく次のチェックポイントでサポーターの田中一平さんに出会うことが出来た。私はテーピングをお願いし、少し不安を感じながら休憩をとった。その間に多賀さんと仲達さんは先に出発し、「もう、会うことはないだろうなぁ」と、心の中で別れを惜しみ、友を失ったような感覚に陥る。ここからは自分との戦いになると認識し、気合いを入れなおしたことを思い出す。
中盤戦
「ペースが遅い!」と言われ続けた前半戦。マイペースを持続しながら「完歩したら勝ちなんだ!」という想いを胸に、江本さんより一足先に出発、高森君との旅が始まった。
流石は一平さんのテーピングである。膝の違和感は消え、すこぶる快調で足が前に出る。「ペースを少し上げていこう!」と高森君と歩くが、徐々に差があいてくる。心が折れそうな高森君を何とか励まそうと声をかけたが、後ろから聞こえる足音は遠くなっていき、聞こえなくなっていった。
この中盤戦は、ペースを上げると同時に何人かの人に追いつき、抜いていくことが多かった。その中でも実行委員として一緒に練習を重ねてきた安木さんを35キロ過ぎた地点で発見した時は、私も動揺が隠せなかった。
「足が痛い!」と心の折れかけている安木さんを放って行くことなど出来るはずもない。私はすぐにサポーターに電話し、テーピングの要請をした。流石はサポーターの皆様、見る見るうちに何人も集まり、安木さんの「足と心の治療」に駆けつけてくれた。今回ばかりは自分自身かなりの葛藤があったことは間違いない。「時間がない!」しかし、「仲間の心が折れそうだ、置いてはいけない!」そんな葛藤の中、伊丹さんが言った一言「その為にサポーターがいるんだ!」という言葉に納得し、「絶対に追いついてよ!」と安木さんと約束し、心苦しくも足を前に進めた。
去年は抜かれていく辛さを味わい、今年は抜いていく辛さを痛感させられた。その後の歩く中の考えで、例えば「戦争の時に動けない仲間を置いていってしまう奴なのか」等、そんな深くまで考えていき、戦争の恐さもなぜか痛感した。
しかし、これは100キロ歩行。サポーターのありがたみを実感し、伊丹さんに伝統の完歩者の夜光タスキを頂き、重みを感じながら一人黙々と歩き続けた。疲れが溜まってくる40キロ地点の備前体育館で少し休憩をとり、再スタート。
ここからが本当の戦いである。段々と空も暗くなり、足も前に進まなくなり気持ちも萎えてくる。第一次自分大戦がやってきた。「絶対に歩く!」と声に出し自分を鼓舞するが、少したつと「辛い、何でこんなことせんとおえんのんなぁ」とネガティブな弱い自分が顔を出す。ダメだ。「絶対に歩くんだ!」とこの繰り返し。45キロ地点で少し休憩をとっていると後ろから足音が聞こえてきた。振り返ると、「あれ?何で?」先に行っていたはずの多賀さんと仲達さんがいるではないか。運命というものを感じ、この再開を心から喜んだ。
後半戦
少し歩いていると足がつりそうになり、痙攣を起こしている。「くそっ!せっかく二人に会ったのについていけない!」私がバス停に座り、ストレッチをしていると「もう源ちゃんやめてやぁ」と、わざわざ戻ってきてくれたではありませんか。私は涙が溢れそうになりました。
この出会いが今回一番のキーポイントであったように感じる。仲間というものは時に計り知れない力で心を癒す。お二人には心から感謝し、一生忘れられない思い出になった。逆に、こういった感情を利用した悪質な詐欺という犯罪に怒りを覚えた。
以後、私の心は一気に回復です。様々な楽しい話しをしながら3人で55キロ地点閑谷学校へ到着。そこで、同じく実行委員の尭君との運命的出会いがあり、夜中一人で歩くことを予想してサポーターをお願いした妻も加わり、5人で70キロ地点、和気のリバーサイドを目指した。やっとの思いで去年の回収場所へ到着し、そこで温かいおかゆを頂き、私は仲間、家族、サポーターの皆様の素晴らしさ、温もりをひしひしと感じて再度、「絶対に歩く!」と近づくゴールを目指し、5人で歩き出した。
未知の領域
ここからは、想像を絶する長い道のりであった。歩けど歩けど1キロが長く感じる。何度も何度も折れそうになる。励まし、励まされ暗い夜道を歩いていると、スーツ姿の柳井さんが、声をかけにきてくれた。
「えっ!?貧ぼっちゃま!?」スーツを一着無駄にしているではないですか。私たちは一気に盛り上がった。私は妻に、「この人が岡山政経塾のOB会長だ!」と胸を張って伝えた。妻も大きくうなずく。
そして、体力も落ち、皆から遅れをとるようになり、急に寒さを感じる80キロ地点、瀬戸駅に到着。少し休憩をとり、3期生横田さんに伝統の夜光タスキを渡される。これは重かった。私の予想では前半戦に江本さんがつけていたものだ。ここで、江本さんがリタイヤしたのだと感じ、その想いも受け取った。
この後は、気力だけで歩いていたような気がします。5人から私と妻の二人になってしまいました。もう前に行く3人には追いつけません。逆に待ってもらうほうが辛かったように感じます。私は妻と最後の力を振り絞り、新幹線下の道をただひたすら歩いた。「もう、限界!」私はあまりのきつさに根を上げ、バス停に座り込んだ。そこに、小坂さんが必死の形相で私を抜いていく。「すごい!」と思ったが体は反応しない。妻も励ましてくれるが動けない。そんな時、滝口さんが通りかかり、伴歩してくれることになった。不思議なもので最後の力が出てきたのである。「もう、休まずにゴールまでいくぞ!」と気合いを入れ、上がらない足を引きずりながら一歩一歩前に歩く。ゴールが近づくにつれ、滝口さんの言葉と共に感激の涙が止まらない。
私は妻と22時間49分で100キロ完歩という目標を達成することが出来た。
最後に
歩くということ、前に進むということは人生そのものであり、常に学ぶということではないか。様々なことを乗り越え、仲間や家族に支えられ、目標に向かい突き進む勇気と精神力、絶対に諦めてはいけない強い心が今後の人生において必要不可欠だということを認識すると共に、それを自分のものにすることが出来たように思っております。
学びの場を与えてくれた幹事の皆様、5年連続チャレンジの逢沢幹事、5年連続サポートのカメラマン西原幹事、5年連続の叱咤激励の小山事務局長、そして、サポート隊長を始め、先輩諸氏や5期の仲間、温かいサポーターの皆様、同じくチャレンジャーの皆様、弱音をはきたくてもはけなかった心のサポーター妻、実行委員長多賀さん、100キロに携わった全ての人に感謝しています。
「ありがとうございました!」
来年は、サポートで恩返しをし、この素晴らしい行事をもっと多くの人に知ってもらいたいと強く思います。
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