2007年 100km Walk

 
◆春名 宏司(岡山政経塾 6期生)

岡山政経塾100km歩行レポート



◇恐怖 準備〜スタート前
 
初めは100キロ歩行という未知の響きに圧倒され、そして先輩方のいろいろな経験談を聞けば聞くほど、本当に歩けるのかと言うのが素直な感想でした。
消防団の訓練の時期と重なった為、歩行練習は3月31日の20キロ練習、そして7キロ練習に4月16日から全回参加しました。21日のコース下見に参加して100キロのとてつもない長さとコースの過酷さに驚き、恐怖しました。もっと早く練習をしていればよかったと反省し、今からでも体作りを間に合わせようとそれ以後の7キロ練習に熱が入り、それ以外にも歩ける機会があれば必ず歩く様にしました。
先輩方のレポートも片っ端から読ませてもらいました。完歩出来た人と出来なかった人との違いを考え、それは大きく言うと「体・心・物、全ての準備をしたか、しなかったか。」に絞られました。また足元の準備も大きい分れ道と先輩に聞き、足のサイズをコンピューターで計測し、本当のサイズにあったものを選んでくれるという靴屋でシューズを買い、靴下も登山用の一足1500円もするものを何足か買いました。その他の準備物は必要と聞いたものは惜しまず買い集め、物の準備はほぼ完璧になりました。7キロ練習でも、ある程度のスピードで歩ける様にもなっていました。心の準備としては絶対出来ると自分を決めつけようと「完歩はして当たり前。」と口に出す様にし、歩けたイメージを出来るだけしました。30日にもう一度単独で下見を行い、細かい部分の再確認と、一度歩いておけば気が楽になるだろうと、閑谷学校までの登り下りの歩行を少しですが体験しておきました。前日夜にキネシオテープで腰から下の数カ所を補強。そして当日朝に古傷のある右足首を中野君にテーピングしてもらい、様々な恐怖を打ち消す為に準備に集中し、出来る限り万全な形でスタートラインに立ちました。

◇過信 スタート〜20キロ
そして100キロ歩行がスタートしました。20キロくらいまでは、いいペースで歩く事が出来ました。この頃の思考は「後ろの人達は今、どの辺りにいるのか。自分は何位でゴールできるのだろうか。」、今から考えると「期間は短かったとはいえ、ある程度の準備が出来たのだからと絶対歩けるはずだ。」、と言う気持ちが災いしてか地に足が着いていないフワフワした気持ちでスタートしてしまっていて、「今の感じで思い通りのペースで歩けるだろう。」、と完全に過信している事に気付かないでいました。

◇失速 20キロ〜50キロ
20キロ過ぎた辺りから左膝裏に違和感を感じだしましたが、「絶対、大丈夫だ。」と思いながら歩きました。しかし乗りと勢いで歩ける程甘いはずは無く、30キロからの山道に入る前に完全に左膝全体が痛み出しました。山道が終わる頃には、それまで一緒に歩いていた中野さんとペースが合わなくなり別れる事になりました。40キロの備前体育館で田中一平さんにテーピングで膝を固めてもらい再スタート。初めは痛みが和らぎ、復活かと思う歩きも数キロで痛みが戻り、大失速を始めました。

◇挫折 50キロ〜55キロ
50キロを過ぎてからは後から追いついて来た多くの人に出会っては置いて行かれるという事の繰り返しでした。「みんなあえて抑え気味のペースで歩いてきたんだな。自分も浮つかずペースを抑えて歩けば良かった。もしこのまま終わってしまったら自分はただの嘘つきだ。」などと自己否定的な事ばかりを考える様になっていました。
しかし途中で出会うチャレンジャーからねぎらいと「一緒に頑張ろう。」という気持ちを頂き、西原幹事、小山事務局長、サポート隊の方からも励ましの声援を頂き、またペースを自分に合わせてくれ励まし色々とお世話してくれた今井さんのお陰で、何とか閑谷前のローソンまでたどり着けました。

◇復活と失速の繰り返し 55キロ〜70キロ
閑谷前のローソンで一平さんにまた膝のケアをして頂き再スタート。痛みはあるものの一度歩いていた安心感からか、登りは順調で復活かと思いましたが、下りで失速し、やっとの思いで吉永のローソンにたどり着きました。吉永のローソンで足のマッサージをして頂き再スタート。出足は平地になって安心した事もあり、また復活かと思う様なスピードで歩け、その時出会った柳井さんに頂いた「後楽園で待っとるで。」との言葉が励みになり更に足取りが軽くなっていく様でした。しかしそれも長くは続かず失速、またもや弱気に。ここからリバーサイドまでが長かったこと。今まで多くのチャレンジャーがこの付近でリタイアした理由が、よく理解できる様になっていました。

◇魔の区間 70キロ〜79キロ
リバーサイドでもマッサージをしてもらい再スタートも、今までとは違い復活を予感させる歩きが全く無く、「今のペースと残り時間・残り距離を考えると、もう限界で、時間内のゴールは無理なのか。」と言う考えが頭の中の9割以上を占めるようになり、歩くペースが極端に落ちてしまいました。途中、和気のJAでストレッチをしている所に小倉さんが通られ一平さんを呼んで下さいました。思い掛け無かった3度目の左膝のケア、新たに痛めていた古傷のある右足首も固めて頂き、再スタート。しかし歩くペースは変わりませんでした。「ここまでしてもらっても駄目なのか。」、「完歩は当たり前なんか大きい事を言っていた事が恥ずかしいな。」、などともう終わってしまったかの様な事を思う中で、「でも途中で諦める事は今まで激励し続けてくれた西原幹事、小山事務局長、サポート隊の方々、何度も体のケアをして下さった一平さんの気持ちを、チャレンジャー全員で完歩しようと言っていたみんなの気持ちを裏切る事になってしまう。」、と言う気持ちも少しだけ残っていました。
そんな葛藤をしている時、沖津さんと中屋さんが追いついて来ました。沖津さんも足をひきずっていました。「あぁ自分だけ痛いんでは無いんだ。」。そして中屋さんが声を掛けてくれました、「もう岡山市に入りましたよ。これから休憩の取り方さえ気をつければ絶対ゴール出来ますから。」。しかし自分は「休憩もしないで歩ける訳がない。」とペースが上がらない情けない歩きのままでした。

◇復活 79キロ〜100キロ手前
何とか万富のサンクス手前までたどり着きました。その時の時刻は5時前、残り5時間で21キロ、冷静になって考えてみると中屋さんの言われた通り、まだ頑張り次第で何とかなる時間でした。「もう一回気持ちを持ち直せばゴール出来るかもしれない。」、心が折れる寸前で力が出なくなった情けない自分との決別の時がやって来ました。そして、そこから本当の意味での自分の100キロ歩行が始まりました。
「自分の限界を超えて未知の領域に挑戦し、勇気と精神力を養う。」。
万富のサンクスをスルーして、今までの疲れは嘘だったのかと思うほど、気持ちが蘇った今度こそ本当に復活の歩きでした。「一歩、一歩」と声を出しながら歩を進めました。瀬戸駅過ぎ付近で満身創痍の西美さんに会いました。「お前の足だったら行ける。俺に構わず早く行け!」、辛い別れでしたが完歩への思いが更に強いものになりました。途中でチャレンジャーのみんなの顔を見れていたのも功を奏しました。「先を歩いていったみんなはもうゴールに近づいているんだろう。早く後楽園に帰って、みんなの顔を見たい。」、とにかく一歩一歩、歩き続けました。最後に粘れたのはチャレンジャーのみんなと気持ちが繋がった事、それまで自分を支えて下さり何とか歩かせてくれていた、西原幹事、小山事務局長、サポート隊の方々の声援、ケアのお陰があったからとしか言い様がありません。
東岡山の新幹線下で、歩行練習の時にお互いに完歩を誓い合った今井さんがリュックに付けていた鯉登りが落ちていました。これは今井さんからの「必ず完歩しろ!」と言うメッセージなんだと思い込み、「これを早く届けなくては。」と死ぬ気で歩き続けました。この日起きた、全ての出来事が積み重なって生まれたラストスパートでした。

◇感動のゴール 100キロ
そして9時10分過ぎ、後楽園のゴールテープを切る事が出来ました。
ゴール手前で西原幹事の姿が見えた時に「もう終わったんだ。」と安心感と達成感の涙が溢れ出し、そしてゴールテープを構えて待ってくれている、苦しい時にお世話になったサポート隊の方々、涙を浮かべて迎え入れてくれた一平さん、自分の姿を見て駆け寄って来てくれた途中まで一緒に歩いた中野さんの顔が見えると更に感謝と感激の涙が溢れていました。過去の人生を振り返り、この時ほど心の底からありがとうと言えた瞬間はありませんでした。
感動はまだまだ終わりませんでした。自分の後に次々と帰ってくるチャレンジャーの姿に涙。あの満身創痍だった西美さんが帰って来た事、ドラマか映画の様に時間ギリギリにゴールして男泣きする彼の姿に涙、涙。そして先にゴールしていたチャレンジャー達の姿を見て驚きました。みんなそれぞれに体の痛みを感じ疲れ果てていた事。「誰もがみんなギリギリの戦いだったんだ。」と言う事が分かり、体の痛みを理由に諦めないで本当に良かったと思いました。
タイムアウトで完歩はならなかったけど24時間歩き続けた平田さんと高森さんの根性、残念ながらリタイアしてしまった方の落胆ぶりを見ると悔しかっただろうなと胸が熱くなりました。
これまでの人生の中で最高の感動をくれた100キロ歩行、完歩出来て初めて分かる素晴さがありました。

◇学びと感謝
振り返ってみると良かったのは最初と最後だけで、痛みに苦しみ、自分の弱さに負けそうになりながらのボロボロの100キロでした。
そこから気づき、学んだ事は、人間は必ず誰かの力を借りて生きているという事、そして自分も誰かの力になれる様に最善を尽さなければいけないという事。そして人生とは、自分の予想出来ない困難が起こった時、決して逃げ出さず乗り越えて行かなければならないという事。また誰かとの競争ではなく自分自身との戦い、競争なんだという事。人間とは何か、人生とは何かとの多くの気づきと学びを頂いた本当に密度の濃い、24時間でした。
最後に改めまして西原幹事、小山事務局長、逢沢幹事、サポート隊の皆様、チャレンジャーの皆様、全ての皆様のお陰で24時間100キロ完歩する事が出来ました。来年はサポート隊として皆様に恩返しが出来る様に、精一杯やらせて頂きます。何度お礼を言っても足りませんが心の底から感謝いたします。
「本当にありがとうございました。」