2007年 100km Walk
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◆丹生 孝憲(岡山政経塾 6期生)
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「岡山政経塾100km歩行レポート」
@ 100km歩行についての私の考え方
4/15 私は、岡山政経塾に入塾したが、なんとか100km歩行から「逃れる手だては無いものか。」と、考えていた。
しかし、入塾式後の懇親会・2次会で諸先輩方からのお話を頂き、参加規則・条件 入塾した者は必ず参加すること。
から「やるしかないんだ。」と確信。
A 100km歩行についての私の体の準備
4/18 7km歩行の練習に参加しました。
練習参加の次の日、左足裏に豆1つ、両足太もも内側筋肉痛。
「えっ!これで大丈夫なのか?」・「やば!」とも思いましたが、取り合えず治るまで休息しました。10日間ぐらいかかりました。
B 100km歩行についての私の心の準備
4/21 コースの下見に参加。車は行けども行けども、閑谷に着かない。
車中では、滝口さんが、事細かくコースを教えてくれるのと同時に過去の100km歩行の壮絶話を、体験談を通してしてくれた。
同乗していた高田さんが、「うん。うん。」とうなづく事が、私に現実感をあたえた。
備前体育館で休憩中、新田さんの「練習されてますか?」の質問に、「はい、一回ほど‥‥。」
で、帰って来た言葉が、「絶−対!無理!」
そして、藤田さんの追打ちの一言、「丹生君、歩けんかったら坊主な。」
「あ〜れ〜、政経塾ってバリバリの体育会系ですか???」来る所まちがえたか?
そして車は閑谷へ。
「たぶんここが俺のゴールだな。100km歩行は2〜3年かけて歩くもんさ。」と、自分自身に言い訳を作り、その後の下見は何だか「ボッー。」って感じで、思考回路ゼロでした。
C 100km歩行についての私の物の準備
4/28 ようやく練習での筋肉痛も取れたので、物の準備をしようと思い、靴を買いに噂の歩人館へ、店で靴を眺めていると「100kmウォーク」と、店員さんに聞かれ、「はい、そうなんです。」と答えた後で両足裸足になり、足型のコンピューター計測。
ベテランの山下店長にお任せし、靴とソックスを購入。靴の履き方を教えてもらい、気分良く帰宅しメールチェックをしていた時、横道さんのメールで、服、靴、靴下、の3点には絶対に気をつかってください。靴は、本当はランニングシューズが一番おすすめです。今日、僕が購入したのは、ウォーキングシューズ。
「もっと早く教えて〜。」 と、へこみました。が、100km歩行まで5日間しかない、靴を慣らそうと5日間はどんな時もその靴をはいて慣らしました。
D 100km歩行についての私の心構え
その日の例会で、小山事務局長から100km歩行についての話の中で「100km歩けそうにないと思ってる人?」の質問に、「はい。」と手を上げたが周りを見渡せば、僕と河野さんだけ。河野さんと例会後、3次会で二人でワイン飲みながら100km歩行について熱く語り合い、気合を充填しました。が、同時にカロリーも充填したことは、その時は忘れていました。
E 100km歩行の前日の過し方
5/2 前日、備品の準備がまだだったので、河野さんに電話をすると「2万数千円かかったけど、全部ちゃんとしたよ。 」おー!!ライバルもぬかりはないな。俺も準備・準備。
田中一平さんからの準備品リストを手に、買物出かけた。
買物中、先輩方の知恵に感謝した。が、やはり不安だったので、他に何か良い物はないか、歩き抜く良い知恵はないかと思い完歩経験者の先輩方に電話をかけまくる。。
「うん、何かあれば明日持って行くよ。」「サングラスがあった方が良いかな。」
「あれは100均で売ってるよ。」「取り合えず、がんばって。」「やるしかないだろー。」
「そんな甘いもんじゃない。」色々な人から貴重な意見を前日に聞け、不安が解消した。
ゴールデンウィークで闘病中の父が帰って来ており、父の生活闘病生活ついての想いを、夜中3:30まで聞き、4:30就寝。
@〜Eを検証し、なぜ自分は24時間内で完歩できたのか
5/3〜5/4 朝、足裏・腰・ひざにテーピングをし、後楽園へ。
寝不足のせいもあり、多少、ボッーってしてました。サポーターの方々のテンションの高さに、何でかな‥‥っと思いながら、歩行開始。15kmまでは非常に楽しく、心地よかった。
しかし、西大寺を過ぎた頃から、太もも内側の筋に異変。17〜18km地点におられた小山事務局長に冗談っぽく「もう駄目です。」と言ったが、却下され、20km地点からは一緒に歩いていた中野くんにも見放され、一人で歩く。25kmぐらいから足が前に出ない。誰かに付いていこうとするも、遅れる。「もう、いいや。」心がポキンと折れた。
しかし、そんな時サポーターの方々から「がんばれ-!」の声援に、「もう少しがんばろ。」
足は出ないが、手を振ってたら前に進むんじゃないかと、手ばっかり振った。
でも、全然進みません。何とか30km地点。これから備前体育館まで山道。上り坂。
気が遠くなる。真直ぐ歩けない。源さんが僕をぬいて行く中で、「折れちゃいけんっすよ。」
「折れるにゃあ、まだ早えっすよ。」と行ってくれて勇気を頂いたが、体は言うことを聞かないのが、むなしい。山道をヨロヨロ歩きながら意識が遠のきかけていたとき、伊丹さんが、「大丈夫か。」「大丈夫じゃね〜な〜。」と言って、永野さんと車を止めて駈け寄ってくれなかったら、倒れていただろう。半分意識は無かった。全然進まない足に、腹を立てこの際、思いっきり足揺らしながら歩いた。おっ、太股の筋肉が揺れて進む。いい感じ。
やっとの思い出、40km備前体育館。「閑谷までは行けんかったけど、ここで終わろう。」
「また、来年。」と思い、本当は、チェックポイントから動く気はなかった。
一平さんに、足の豆の治療を受け終わり座っていると、
秋山さんが「丹生ちゃん、足ふっちゃら〜。」と、足を振ってくれた。「‥‥‥‥。」「‥‥‥‥。」「ここでは止めずらいな。」もうちょっとだけなら。よし、行こう。
備前の暗くなって行く海を見ながら、一人歩く。ただ、ただ、ぼっーっと。ぼっーと。
45km恒本さんの姿を発見。助かった。その先のコンビニで休んでいると、野田くんと洲崎くんが車でやってきた。「丹生さん以外と元気そうですね。」「応援しにきましたよ。」
昨日の電話で心配になったのか、応援に駆けつけてくれた。足はヘビー級の重さなのに、なぜか飛び跳ねて喜ぶ自分がいた。っとそこに、出発しようとする二人を発見。
横道さんと、伴歩の本村さんだ。気分はハイテンション。すぐさま足が動いた。勝手に二人に引っ付き歩いた。またこれが、自分の理想のペース。会話も弾む。
今までの苦痛がうそのように消えて行った。100km歩行「イェーイ!」ウォーキングハイの到来です。なぜ、あの時歌が何曲も歌えたのか?全ての曲で必ず本村さんが「丹生ちゃん、音程が違う。」と言ったのかは、今も不明です。
そして、横道さんと必ず時間内完歩の約束をした。
しかし、閑谷を下り吉永のローソンに着く頃には、またいつものボロぞうきん足に。
また一平さんにテーピング、兄貴の応援、林さんの笑顔を見ると、またまた元気。
リバーサイドにたどり着き、藤田さんに時間内完歩の可能性を聞くと、「難しいかな。」
そりゃそうです。後30km残し時間は3:30頃。残り6時間半。
こうなりゃ行くしかないでしょ。一人でないことが、勇気をくれます。
もう、後の30kmは、ただがむしゃら。
痛みで、半分涙ちょちょぎれながら。
一歩進むたびに、「うっー。」「あっあっー。」
本村さんの早いペースに、何度、怒りを感じ、何度、感謝したかわかりません。
しかし、平島から古都の交差点までのチョーハイペースの伊丹さんの伴歩は、「ヒィーーー。」
限界を超え、未知の領域に。体験しました。感謝・感謝。
後楽園手前で、佐藤さんや山口さんの応援にはびっくりしました。
100km歩いた後の、仲間への応援。「すごい。」「超人的暖かさを感じました。」
そして、23時間45分位でゴールさせていただきました。
結論 一人では、私は歩けれません。みなさんが歩かせてくれました。
このような機会を与えてくださった岡山政経塾、西原幹事、小山事務局長、伊丹サポート隊長をはじめサポートでお世話になりました先輩方に心から御礼申し上げます。
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