2007年 100km Walk
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◆坂本 眞一(岡山政経塾 4期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「何かが足らなかったね」
毎年4月、桜が咲くころになると、うちの社長はいつも「今年の100Kmは…」などと何かにとりつかれた様に話し出し、またよせばいいのにあちこちの取引先で話を咲かせ、やめようとはしない。特に新入社員の研修のときなどは、さも自分が幸運のヒーローであったかのごとく、これまたよせばいいのに話をやめようとしない。困ったものである。
会社でよくある場違い社長のいる風景、これは私の会社であり、困らせる社長とは私である。
私はいつも何かの時には100Km歩行か空港(旅客機オタのため)に例えて話をすることが多い。旅客機は別として、100Km歩行で得たさまざまな経験を伝える使命を持っている。
2年前岡山政経塾第4期生現役のとき70Kmで無念のリタイア、そして翌年実行委員長を仰せ付かり23時間56分での完歩。あのときの人生において最高の感動と、なんだか精神的に成長したような偉そうな今の自分のことを伝えたくて、今年はサポート隊副隊長としてメンバーに加わった。
4月22日、チャレンジャーと同行しての下見。今年のチャレンジャーは迫力がまったくない。チャレンジャーの1人に「100Km大丈夫ですか」と聞いてみると「想像すらつきません」との返事。そりゃそうだ… 他のメンバーを見ても完全に遠足気分だ。こりゃケガ人続出完歩率ゼロだわ、大変大変と車中で100Km歩行実行におけるポイントを3時間にわたって解説。(同じ車のメンバーの皆様ごめんなさい)話を聞いてみると長距離(20km以上)の練習は一切していないとのこと。どういうことだ??みんな、本当に大丈夫か??何度問いかけても、はいともいいえとも返事がない。だめだ…本当にみんな想像できてない…
その後も心配は尽きることなく、時間はあっという間に過ぎて本番日となった。
5月3日快晴、悔やまれるくらいに透き通った空、絶好のスタートである。
私のサポートの役目は最後尾のマーク、そして写真撮影の2つのタスク。2台のカメラを使って写真を写し、動画を撮り、歩く人々に車の中から「がんばれよ!!」と声をかけ、なるべくチャレンジャーと一体となるよう心がける。今年のチャレンジャーたちは歩くペースが遅く、特に20Km〜30Kmポイントでは他のメンバーと「ペースを上げないと…」とサポート作戦を考える。
チャレンジャーのサポートが難しい最大の理由はモチベーションの持続だと考える。ただでさえ30Kmを過ぎたあたりから疲労心頭であるチャレンジャーを言葉でどう励ますか、その言葉でさらに歩いてくれるか、ということを常に考えて行動しなければならない。サポーターも言葉を選ぶ。少しでもがんばって歩いてもらうためだ。
午後10時。50キロ地点である伊里中ローソン手前5Km地点でケガ人ありとの情報。駆けつけると6期生の加藤葉子さんがうずくまっている。どうやら足の爪が負荷によってはがれてしまったらしい。居合わせた他のサポーターと共にその場で応急処置を施し、病院へ搬送。
悔しいのか、痛いのか、本人は泣くばかり。無念のリタイアを伝えたあと病院で治療を行い、その後はサポートに加わってもらうことにした。病院を出たとき、彼女は「何かが足りなかった」と私に言った。私はそれが何であるかは解っていたが、本人には「そうだね、何かが足りなかったね」とだけ残した。それは言葉にしてはいけない。
午前3時。和気リバーサイド(70Km地点)手前3Kmにて、5期生安木進くんがあぜ道の上で仰向けに寝ていた。疲れと足の痛さに耐え切れず、リタイアしたいと本人は言うがリタイア決定を下す小山事務局長はどうしても首を縦に振らない。そこで休ませるのはいいが、リタイアはどうしてもしてはならない、と残して事務局長は去ってしまった。
リタイアさせるべきか、それとも歩かせるべきか。今後の社会復帰を考えここで終わらせてあげたほうがいいのか、それとももう少し頑張れと声をかけるべきか。とりあえず押し込んだ車の中で本人が寝ている間に葛藤が続く。
私としてはどうしても歩いてほしかった。あの刺さるような痛みが記憶によみがえる中、私は小山事務局長に電話をかけ、「歩かせるよう説得します」と言い切った。ここでの判断はどうなろうと自分が責任を持つ、そう決めたときであった。
午前5時、本人の目が覚めたところで現在のおかれている事情をゆっくりと説明。ここで歩くこともできるし、やめることもできる。自分の去年の経験を話すると、本人は歩くと言い出した。
車を降り、ゆっくり、ゆっくり歩く。一歩踏み出すごとに足に激痛が走る彼の表情はもはやこれまでの限界を超えていた。顔をくしゃくしゃにしながらも、次のポイントであるリバーサイドを目指して歩き続ける彼を見て、これまでにない喜びを感じた。
結局残念なことに彼はこのリバーサイドでリタイアしたが、それでもいったん折れそうになった心にもう一度アイロンをかけた彼は素晴らしかった。リタイアを宣告された後、私は「安木さん、今年は何かが足らなかったね」と声をかけると、彼はただ泣きながら頷き、そのまま気を失ってしまった。
後楽園午前9時。次々とチャレンジャーが帰還している。あれだけ大丈夫かと心配していた人のほとんどが後楽園を目指し、何度も折れそうになる心と建て直し、痛みと戦い、ゴールした瞬間の笑顔と涙を見ると自分までその気になってしまう。本当に、おめでとう。
【サポートを終えて】
壮絶な100Km歩行でのドラマ。ただ歩くだけの究極のシンプルさと限界を超えるチャレンジによって、たとえ歩ききれなかったとしても今の自分に気づき、将来に備え、考えるという思考プロセスが与えられるのは誰にとっても大きなチャンスだと改めて実感した。
私はサポート副隊長という役割での参加であったが本番直前まで出張が続き、事前準備はほぼ伊丹隊長をはじめ他のスタッフに任せきりの面があったことをここでお詫びしたい。
実際にサポートは決して楽なものではなく、時間を経るごとにいろいろな事件に直面し、また即時解決を求められる。判断に苦しむこともあり、自分の経験の浅さを思い知る場面もあった。チャレンジャー同様、事前準備は周到でなければならない。
また、私のつたない頑張れコールを聞きながら歩き続けてくれたチャレンジャーの皆さんにも感謝したい。それぞれの皆さんと共有できたドラマは今も忘れることができない。
【100Km歩けなかった人へ】
私のミッション、最後尾の追跡を通じて歩けなかった人にも伝えたいことがある。
以前リタイアしたときの私を含め、歩けなかった人には何かが足りない。例えば周到な下見であったり、歩くためのグッズの調達であったり、体力づけであったりするが、決定的なのはその人にある「慢心」ではなかろうか。
厳しい表現で申し訳ないが、この慢心であった自分の心は100Km経路の途中で必ず表に出て、今の自分と戦うことになる。誰にでもあろうこの慢心に勝った人が100Kmを制覇し、そうでなければリタイアする、というシンプルな答えが出るのがこの100Km歩行である。来年こそ、乗り越えよう。
【これからの自分に対して】
私は会社を経営しているが、その中にもいろんな場面で苦悩や苦戦を強いられることがある。
そのときにいつもこのことを思い出しては、自分の精神力がどこまで通用するのかを見ている。
今回のサポートを通じて経験したこと、それは「モチベーションの持続を如何に保ってもらうか」ということであった。仕事についても同様で、私の会社で働くスタッフはモチベーションで動いている。本当、100Km歩行のチャレンジャーと同じではないか。
これらの人を励まし、先を与え、達成を喜ぶという経営者に必要なマインドをこれからもっと実践すべきだと考えている。
【最後に】
このような経験を与えてくださった岡山政経塾メンバーの皆様に感謝いたします。
本当にありがとうございました。また、来年もよろしくお願いします。
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