2008年 100km Walk
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◆上田 勝義 (岡山政経塾 7期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「24時間100キロ歩行」2008に参加して」
7期生最年長 上田勝義
過去31.3キロ歩行をして、マメと腰痛に悩まされたのが30歳代のころですから、もう15年前のこと。3倍しても100キロに満たない。「まあ、どうにかなるさ」と6期生の卒塾式までは気楽に考えていました。しかし、卒塾式での6期生のスピーチの中心は100キロ歩行の厳しさ、そしてOB・OGからの脅しのような励ましで、このイベントの重大さを実感した次第です。
早速、事務局から配られた資料に沿って『心・体・物』の準備に取り掛かりました。
体の準備は4月1日から、練習方法ステップ1,2、3までをミックスした練習をひとりでやりました。(岡山まで往復するだけで2時間かかるので時間がもったいないので。)加齢からくる関節痛(持病の腰痛が特に心配だった)だけが気がかりでした。
物の準備は6期生の栗山先輩から、最年長というハンデを甘く見ないで、真剣に取り組むようにと再三のご指示をいただきましたので、忠実に倣いました。おかげさまで足のマメは1個だけでした。シュミレーションをして、それぞれの対策にと、物の準備も万端にしました。そのせいで、リュックにあれこれ詰め込んだので、非常に重い荷物を背負って歩くことになり、これは失敗でした。多分私が一番重いリュックを背負っていたのではないかと思います。また3日前に購入したウェアーと靴は慣らすことなく、ぶっつけ本番になることが気がかりでした。
最後に心の準備としては、最初から最後まで時速5キロを想定し、何キロ地点を何時に通過して、残りを何時間で行けば、ゴールが何時になる、というように自分がスタートからゴールまでを元気に歩く姿を何度もシュミレーションしました。
それでも当日アクシデントがありました。まず1点目は20キロ過ぎにメガネが壊れたことです。この時点からメガネなしで、はっきり見えなくなりましたが、逆に調子が出てきたのもこの頃からです。何が幸いするかわからないものです(夜間に備え修理を依頼して間に合った)。2点目は岡山市内それも最後の最後になって道に迷ったことです。旭川の土手まで行かずに百間川の土手を下り、原尾島まで行って気づきました。さらにそこから2回も迷い、西原幹事にはその度駆けつけていただきお世話になりました。下見不足でした、反省です。
また、サポート隊の皆さんと、このイベントをお支えいただいた総ての皆さんに感謝を申し上げなければなりません。チェックポイントでのサポート、移動しながらのサポート、沿道の住民の皆さんの激励、温かく見守っていただいているという心の支えがあったからこそ、安心して歩き切ることに専念できたと思っています。
全てが自己責任といわれますが、ひとりひとりのスキルが違う集合体ならではの、現役、OB・OG、幹事・事務局「チーム岡山政経塾」のパワーを感じた二日間でした。また、岡山政経塾のメンバーの一員として加えていただいたことを誇りに思えた瞬間でした。
最後に練習中にも本番でも感じたことを書き記します。まともなというか歩きやすい歩道が少ないことです。歩道を歩いていたら、突然途切れたり、道路から敷地への接続部が上下しているので非常に歩きにくいということ。50キロからゴール近くになると足も上がらず、ちょっとした段差や小石にもつまづくような状況になり、道に当たる自分が情けないと思うと同時に、道路計画をされる担当者にも参加していただきたいものだと強く感じました。
昨今問題になっているガソリン税で造られる道路だから、ガソリン税を払わない歩行者や自転車が通行する道は整備が遅れるのも致し方ないということなのか?と妙な納得をした次第です。
夜間、通行量の多い区間で歩道のない部分は今後の課題だと思います。非常に危険でした。(特に瀬戸南高校付近)
閑谷の地に立ち、「藩校をこの地に」何を感じたのか藩主光政は?
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