2008年 100km Walk

 
◆山崎 悠 (岡山政経塾 7期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
〜24時間100km歩行を終えて〜




 2008年5月3日から4日に渡り、岡山政経塾24時間100km歩行が行われた。私も岡山政経塾7期生としてチャレンジし、20時間20分をかけて完歩することができた。
 これから、100km歩行を通じて得た学び、気づきについてまとめていきたいと思う。章立ては以下の通りである。
 
 T、準備
   1、体の準備
   2、物の準備
   3、心の準備
 U、本番
   1、感謝
   2、土俵に立てば皆同じ
   3、仲間の素晴らしさ、自分のちっぽけさ
 V、24時間100km歩行を終えて



T、準備
  入塾前から、先輩のみなさん方からは、「100km歩き切るには、周到な下準備が必要だよ。この準備には3種類ある。すなわち、体の準備、物の準備、心の準備だ。この3つの中で1番大事なのは、心の準備ということは言うまでもない。過去のチャレンジャーの実績もそれを証明している。」というアドバイスをいただいていた。

1、体の準備
 体の準備は不十分であったと言わざるを得ない。意識的に練習をするようにはしていたが、自主練習、公式練習会を含めた総練習時間は24時間に達していない。
 公式の練習会は、下見の下見で実際のコースを目の当たりにしてから初めて参加した。そこにはいつもの穏やかさからは想像できない、チャレンジャーの鬼気迫る表情があった。その気迫とスピードの速さに圧倒された。自分が忙しさを理由に参加していなかったことを悔いた。そんな理由、言い訳でしかない。日々の忙しさは皆同じはずなのだから。自分を恥じ、それからの3週間を100km中心の生活に切り替えた。まだ遅すぎることはない、と自分に言い聞かせた。
 本番2日前の夜、熱が出た。何年かぶりの高熱だった。悔しかった。自分の摂生が足りていなかったことに、またしても情けなくなった。歩かせて欲しいと思った。本気で歩きたいと思った。

2、物の準備
 物の準備は怠らなかった。怠らなかったと言うよりは過剰であったかもしれない。特に本番が差し迫ってきてからは、先輩や同期の方々から聞いた情報で、必要と思うものは迷わず片っ端から揃えた。痛い出費だったし実際には自分には不必要なものもあった。それでも不安な心を少しでも落ち着かせたかった。
 今思えば、心の弱さを物で補おうとする浅はかさの表れであったように思う。今の自分に、何が本当に必要で、何が必要ではないか。現状把握と情報の取捨選択能力の大切さを知った。

3、心の準備
 最後の、「心の準備」が完全に整ったのは、当日の朝だった。前述の通り、体調を崩していたが、スタートの場所に立つことができた。ロキソニンを服用し、体を騙し騙しといった具合だったが、「歩ける!!」ということが何よりうれしかった。まず自分の体に感謝した。そして看病してくれた友達にも。
 与えられたこの機会を逃すわけにはいかない。最後まで楽しんで歩ききることを、うわべではなく、心から実感を持って決意したのはスタートを切る瞬間だった。



U、本番

1、感謝
 100km歩行は、感謝を学ぶ行事だと思った。書きたいエピソードは数多くあるが、すべてを書ききることは到底できない。
 何よりも感謝し、尊敬したことはサポート隊の皆さまの存在だった。開始から時間がたつほどに、比例して増していくサポート隊の方々からの声援の重み、ありがたさ。
 「がんばれよー!」
 「いいペースです。このままでいけば余裕です!」
 「大丈夫かー?元気かー?」
 「・・・グッ!!(無言のガッツポーズ)」
 何よりもうれしかった。何よりも私の支えになった。推進力になった。
 後ろから車のエンジン音が近づいてき、その車が減速しているらしいことが分かるとそれだけでうれしかった。
 遠くに見えるチェックポイントから皆さんの手を振る姿が見え、声援が聞こえてきた時。砂漠でオアシスを見つけたようだった。どんなに疲れていても、笑顔になれた。不思議なもので笑顔になると、疲れも吹っ飛んだ。空元気ではなく、力が湧いてきた。
 どうしてなんだろう。何がここまで人を、人に優しくできるようにしているんだろう。底抜けの優しさ。屈託のない笑顔。力強い言葉。「この人たちは仏だ。」と本気で思った。
 自分は、来年はサポート隊になる!あんな素敵な笑顔で、来年のチャレンジャーの支えになりたい!!チャレンジ中に新たな目標ができた。

 2、土俵に立てば皆同じ
  私はチャレンジ中、「自分は昨日まで高熱があって、ここでこうして歩いていることすら奇跡なんだ。」と思っていた。いつしかそのことが、自分が歩けているという事実への感謝から、「もしダメでも言い訳が立つ。みんな、よくがんばったと誉めてくれるさ。」という下衆な考えにすり替わっている時期があった。逃げ道だけ先に作って、悲劇的な自分の状況に、酔ってすらいたのかもしれない。
 歩きながらある時、はっと思った。急に降りてきた考えだった。「土俵に立てば皆同じである」と。
 岡山政経塾には様々な境遇の人がいる。チャレンジャーにも、サポート隊の方々にもそれぞれの事情がある。年齢もバラバラ、社会人も学生も、既婚者も未婚者も、子持ちの人もいる。膝に爆弾を抱えている人もいるかもしれないし、腰痛持ちの人も、持病を持っている人も。家族が病に苦しんでいる人もいるかもしれない。
 それでもみんな100km歩行という土俵に立って、それぞれに自分のまわしで相撲をとっているんじゃないか。「私」を見せずに「公」のために懸命じゃないか。それなのに自分はなんて浅いんだ。なんて手前勝手で、小さいんだ。
 恥じた。自分を恥じた。さっきまでの醜悪な自分のあまりの情けなさに、涙が出そうになった。「社会人」という存在の大きさ、「学生」であることに甘えている自分の小ささ。そのあまりの差に愕然とした。
 絶対に負けるかと思った。甘く、薄汚れた自分の殻は、近隣住民の方には申し訳ないけれども、コース上に脱ぎ捨てていこうと思った。恐らく45km地点あたり。備前の皆さん、すみません。

3、仲間の素晴らしさ、自分のちっぽけさ
 私は人間だ。人間であるがゆえの虚栄心、功名心、猜疑心、競争心などなどを、この100km歩行の中でも随所に発揮してしまった。そんな黒い自分が、常に1歩前を歩いている感じだった。自分のちっぽけさ、弱さをまじまじと見続けてきた。黒い自分の背中を追ってきた。
 その黒い自分を追い越すことはできなかったが、肩を並べることはできた。ゴールの瞬間である。迎えてくれた8人の仲間の、サポート隊の皆さんの、私を見つめる眼差しが黒い私を少し浄化してくれた。
「よくがんばったね。」
「おつかれさま、おめでとう。」
 慈愛に満ちた皆さんの言葉。気恥ずかしさと、安堵と、喜びと、達成感。説明できない感情の波が一気に押し寄せてきた。1人1人とハイタッチや握手を交わした。感動的な場面ではおいおいと泣いてしまう性質の私だが、この時はポロポロっと2、3滴の涙が出るばかりであった。量は少なくても、密度の濃い、涙だった。
 続いてゴールされた方々の顔も、一様に晴れ晴れとしていた。砂と汗で汚れたキャンバスに一筋の涙の線が描かれた時、何度もこっそりともらい泣きをした。
 政経塾に集まった私たちが、「集団」から「仲間」になった瞬間だと思った。当たり前のことだが、人は1人では生きてはいけない。そばに仲間が必要だ。
 当たり前のことを当たり前だと気づくことも、実は容易ではない。それができるのも、この政経塾の大きな魅力の1つだと、実感した。


V、100km歩行を終えて
 結果的に歩ききれたので、しばらくは「意外にあっけなかったな。」というのが正直な感想だった。しかし、あの1日の事を事細かに思い出し、その時々の自分を冷静に分析し、文章に起こしてみると、まったくそうではないことに気づいた。学ぶことも気づくこともたくさんあった。この経験を咀嚼し、消化しようと試みたが、何度も消化不良を起こし、何日も胃もたれの日々が続いた。もし、頭の中をデジタルに起こし、保存することができるならもっともっと見てみたい。
 勇気を持って自分をみつめることの恐さと難しさ、そして大切さを同時に学んだ。仲間の素晴らしさを肌で感じた。「愛」を肉眼で確認した。
  
 素晴らしい1日だった。確かに100km歩ききったのは私自身だが、自分の力だとは思わない。私を支えてくれたすべての方に、感謝と尊敬を。
 本当にありがとうございました!!

 「100kmもう一度歩きたいか?」と問われれば、少し迷って「NO!」と答えるだろう。
 「100km歩こうか迷ってるんだけど・・・」と聞かれれば、迷わず「GO!!」と答えるだろう。


                平成20年5月18日 岡山政経塾7期生 山ア 悠