2008年 100km Walk
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◆佐藤 俊輔 (岡山政経塾 7期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「100K歩行から得たもの」
100Km歩行が終わった5月4日の夕方、私は近所の焼肉屋にいた。目の前にはビール生大、カルビ、塩タン、レバー、ホルモン、野菜盛が並ぶ。向かいには妻がいる。乾杯をした後、ビールを飲み干す。久方ぶりのビールである。程よく焼けた塩タンを口に運ぶと肉のうまみが口に中に広がる。至福の時である。これらは私の戦利品というか妻のおごりである。私と妻は賭けをしていた。私が100kmを24時間以内に完歩すれば練習で歩いているときに見つけた妙にゴージャスな店構えの焼肉屋でおごってもらうこと。私が完歩できなかったらブルガリの高級腕時計をプレゼントするというものであった。そして、私はその賭けに勝利したのであった。
100Km歩行。大会だけをみると24時間で終了ですが練習を含めると長期にわたる戦いでした。幸いメタボリックシンドロームという言葉が流行っていた昨年末から少しずつ歩くことを開始していたのですが相当なばらつきがありました。本格的な練習を開始したのは岡山政経塾の練習会が始まってからでした。週3〜5日歩くわけですがただ歩くのではなく時速約5Km以上を目安に30分〜1時間半と結構まちまちでしたが歩きました。練習会に参加するのが理想なのですが時間の問題もあって一人で練習を行うことが多かったと思います。速度については練習会で体感した速度が非常に参考になりました。100kmウォークを完歩するための情報についてはメール、飲み会などで岡山政経塾の先輩からいろいろなアドバイスを受けました。
当日は7期生の人数等を考えるとこじんまりとした大会になるだろうと思っていたのですがサポーターの方々が加わるにつれてどんどん膨れ上がり、おまけに今年はマスコミが密着するということで思った以上に賑やかな大会となりました。
大会が始まってから前半戦は暑さとの戦いでした。水を飲んでも飲んでも喉が渇いてきます。途中水を買って一口飲みほした後、残りを頭にかけたときの爽快なこと。いつの間にか一人になって、道を間違えてないか不安になりつつ歩いているうちに後ろから追いついて来たのが林部さんでした。ほほペースがあったということもあって最後ゴールするまでずっと一緒に歩く運命となりました。備前の市街地に入った頃には夕食時でしたのでコンビニによって思いきって牛丼を買って店先で食べました。それが思わぬ効果を発揮して足取りを含めた体全体の元気が回復するのがわかりました。考えてみれば、それまで、腹痛になることを恐れてウイダーインゼリー2袋で凌いできたのです。100kmという長距離の場合、十分にエネルギーをとることが大切であるということをその時実感しました。閑谷学校で地元住民の方に思わぬ歓待を受けた後、70Km地点であるリバーサイドに午前零時過ぎに到着。そこで西江さんと永峯先生に追いつき伴って出発。1時間歩いては休憩というパターンを繰り返して歩を進めました。
あと10Kmという地点では、気がつくといつの間にか足の裏に大きなマメができていて当然歩けば痛むわけですが、とにかく早く終わらせたいという気持ちが推進力となりました。後楽園に着くと小山事務局長と英雄西村さんが出迎えてくれました。また、その後ゴールに近づくとダッシュダッシュの声。久し振りにおもいっきり走るという行為をしてテープを切ったときのあの光景、たまたま、家に帰りついて見たお昼のニュースでばっちり放映されているのには笑ってしまいました。その後も次々にゴールしてくる人たち。7期生全員が24時間以内に完歩したという快挙。一生目に焼きつく光景でした。
100Kmを完歩して何を感じたか、また何を得たといえるだろうか。達成感、爽快感というのは平凡かもしれません。あれから約1週間たちました。素直な気持ち。それもある。サポーターの方の並々ならぬ援助は忘れがたいものでした。まだほかにあるだろう。もしかしてこれからの長い人生の中で窮地から私を救ってくれる何かを得ているかも知れません。また、幼少の頃読んだサンテグジュペリの星の王子様にでてくる「大切なものは目に見えないものである」というフレーズ。それは最初に語った焼き肉の味に凝縮されているのだと実感できたことも大きな収穫だったと考えています。
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