2008年 100km Walk
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◆西江 行平 (岡山政経塾 7期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
1.概要
5月3日の朝10時にスタートし、5月4日の朝7時57分にゴール
することができました。
前半は、良いペースでしたが、後半はかなりペースダウンしたと思い
ます。終盤にかかるにつれ、チェックポイントでの休憩も長くなりが
ちで、余計に時間がかかったと思います。
今回の100キロ歩行で、たくさんの発見や気付きを残すことができ
ればとの考えから、音声を録音しながら歩きました。
しかし、8割は無言だったと思います。残りの2割の大半も、掛け声
ばかりでほとんど使えませんでした。これは企画倒れでした。
2.〜備前体育館40キロ地点
飯井意交差点30キロ地点まではとても順調でした。しかし、その少
し先から、状況は一転します。個人的に今回の100キロ歩行で一番
きつかったのは、この33キロ付近ののぼり坂とくだり坂の地点にな
ります。
ここで急にふくらはぎがつりそうな感覚におそわれ、かつ靴の中の足
もジンジンしだしました。あまりの状況の変化に、ベンチで休憩をと
っていました。そこへ難波さんが現れたので、私は難波さんについて
いくようにしました。難波さんの調子はのぼり調子で、ドンドン前へ
進んでいかれました。私はくだり調子で、ドンドン差が開いていきま
した。そのような状況にあせりを感じている私に、備前体育館に入る
前の地点で、田中さんからアドバイスいただいたことが、ひとつの転
機になったように思います。
そのアドバイスは「足が前へ前へと出すぎている、体力があるときは
いいが、その歩き方だとふくらはぎに負担がかかりすぎる。もっとす
り足気味でゆっくりと足をだせばいいよ」というアドバイスでした。
確かにご指摘の通り、私は前の人に遅れをとらないようにとの思いか
ら、気持ちばかりが前へいっていて、それにあわせるように足も前へ
前へと出ていたのだと思います。そのことが予想以上にふくらはぎへ
の負担になっていたようです。
その後、備前体育館で休憩し、かつギアチェンジすることで、自分の
ペースで歩けれるようになりました。
自分のペースにもどすために、一度休んでギアチェンジすることの大
切さを学びました。
3.〜松本橋交差点付近
備前体育館からは富田さんといっしょにスタートしました。しかし、
富田さんはかなり足と腰が痛そうでした。お互いのペースを尊重しあ
うことを大切にするために、松本橋交差点の先のサークルKで分かれ
ることにしました。
しかし、富田さんはその後、足と腰の痛みを克服され、閑谷学校の
下り坂で元気に過ぎ去っていかれました。そして、その後私が富田さ
んを追い越すことはありませんでした。あの時の富田さんの痛そうな
表情を見ているだけに、富田さんの不屈の根性には驚かされました。
4.閑谷学校手前のローソン
一番思いで深い休憩所は閑谷学校手前のローソンです。ここでの皆さ
んの表情はとても活き活きしていたように思います。さらに、うどん
もおいしかったです。
休憩所でサポータの方々やチャレンジャーの仲間に会えるのは大きな
喜びであり、楽しみでありました。休憩所で皆から多くの元気をいた
だくことができました。
そして、もう10キロがんばろう、またみんなの笑顔に会いたいとの
気持ちを固めることができたように思います。休憩所は、心と体をリ
フレッシュしてくれる場所でした。
5.閑谷学校の
ここでは、地域の有志の方々に栄養ドリンク、おにぎり、煮しめ、バ
ナナをいただきました。おそい時間にもかかわらず、大勢の方々にご
支援いただき、とてもありがたかったです。ここでいただいたおにぎ
りが最後最後で私にエネルギーを与えてくれました。(この話は後程)
6.リバーサイド70キロ地点
川沿いの道、途中曲がるところを曲がらず、ずっとまっすぐ歩いてし
まっていました。途中、あまりに様子がおかしいと思い、引き返して
いると、向こうからライトが近づいてくるのが見えました。それが
永岑先生でした。そして永岑先生といっしょにリバーサイドへ到着す
ることができました。
7.〜城東台小ローソン91キロ地点
リバーサイドからここまでは佐藤さん、林部さんについていきました。
私だけだとくじけそうだったのですが、お2人も痛みに耐えているの
だと思うと、自分もがんばらないと、との思いが湧き上がってきて歩
き続けることができました。このころは何故か、ガンバ、ガンバと口
ずさみながら歩いていたました。
8.城東台小ローソン91キロ地点〜
ここには朝6時ごろに到着しました。まだまだ時間的には大丈夫との
アドバイスがありましたので、多めに休みをとり、一人でスタートし
ました。
新幹線下のところへいく道で誤ってしまいました。サポート隊の方に
呼び止めていただき、もどることができました。
9.〜高島のローソン
城東台小ローソンから後楽園までは休まずにいこうと思っていたので
すが、どうにもがんばるためのエネルギー湧いてきませんでした。
閑谷学校のところでいただいたおにぎりのことを思い出し、高島のロ
ーソンでそのおにぎりをいただきました。このおにぎりが最後のゴー
ルまでのエネルギーになったと思います。
その後、高島保育園あたりで、またまた道を間違えてしまいました。
大原さんに呼び止めていただき、もどることができました。
もう頭がボーッとしていたのだと思います。
中島竹田橋付近で、数百メートル先に永岑先生の姿を見つけることが
できました。
なんとか追いつきたいとの思いから、少しずつ進んでいたらゴール
99キロ地点くらいで追いつくことができました。
私は、誰かとゴールすれば、喜びも2倍になるのではと思っていたの
で永岑先生といっしょにゴールすることにしました。
ここから、永岑先生の応援にこられていた新田さん、そして永岑先生
と私の3人で後楽園をめざすことになりました。
そして無事ゴールすることができました。
ありがとうございました。
ゴールできたとの達成感よりも、やっとゴールできたとの安堵の気持
ちの方が増していたように思います。ゴール後は急速に体が動かなく
なってしまい、体を動かすのもおっくになるくらいでした。
10.2つの電話
1つ目の電話は3日夕方6時ごろ、松本橋交差点付近を歩いていると
き、子ども達からありました。
どこを歩いているのか?という質問と、がんばって!とのはげましの
電話でした。この電話で私は、子どもたちの親として、がんばろうと
いう気持ちを新たに持ちました。
2つ目の電話はゴールをした後、4日朝8時30分ごろに子ども達か
らありました。
今どこ?という質問に、後楽園、100キロ歩いたよ!と伝えると
すご〜い!と子ども達がほめてくれました。
これから迎えにいくとのことでした。
迎えにきてくれた子どもたちに、私はどのように映ったのでしょうか?
疲れ果てたボロボロの父親だったしょうか?それとも、何かをやり遂
げた、頼もしい父親だったでしょうか?
11.気付き
@人の温かさ
今回の100キロ歩行で、改めて人は一人では生きていけないこと
を感じました。お互いに支えあって生きていく、その認識と感謝の
気持ちがあるからこそ、人に優しくできるのだと感じました。
”俺が俺が”を改め、”お蔭、お陰”の気持ちで、これからは生き
ていきます。
Aマイペース
人は誰かと比べようとするからあせり、自滅するのだと感じました。
自分の中に、自分の目標を定め、その目標に向かってマイペースで
取り組むことの大切さに気付きました。
B痛みをもたない人などいない
多かれ少なかれ、人は皆、苦しみや痛みを克服しながら生きている
ということを学びました。
これからは、泣き言を言わず、誰かのせいにすることもなく、その
痛み(危機)を受け入れながら生きていきます。
Cとにっかくやってみる
やってみることで、道は開けていくと感じました。
リスクをとってチャレンジすることの大切さ、すばらしさを学びま
した。これからも未知の世界へチャレンジしていきます。
Dノウハウの大切さ
今までの経験の上に、新たな経験を積み上げていくことの大切さを
学びました。
今回の7期生全員の完歩もそのような流れの上に成り立っていると
思います。
これからはノウハウを学びつつ、残していくことの視点も大切にし
ていきます。
12.最後に
西原監事、小山事務局長、実行委員の皆様、サポート隊の皆様、チャ
レンジャーの皆様、すばらしい機会を与えていただき、本当にありが
とうございます。
この感謝の気持ちは、来年サポート隊でチャレンジャーの皆さんをサ
ポートすることで恩返ししたいと思います。
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