2008年 100km Walk

 
◆今井 裕之 (岡山政経塾 6期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「最大限の成長を求めて!」



「かっこいい大人を目指したい!」
 去年、スタート時に、逢沢先生が100キロ歩行に参加されている姿を見て、とても感動したことを覚えています。それも5年連続参加だと伺い、鳥肌が立つほど感激しました。
 私は、去年のレポートで300キロ(3年連続)を歩くつもりで、100キロを歩きます!と書いたことから、この自分の発した言葉に対してどう責任をとるか迷う日々が続きました。
 去年、たくさんの涙を流し、激痛を我慢し、足を引ずりながら歩いた経験を今年もう一度体験することに何の意味があるのだろうか。もし、歩けなかったら、かっこ悪すぎる。100キロを完歩した翌年は、サポートにまわり、運営にまわるということが岡山政経塾の基本方針に背くのではなかろうか。2年連続でチャレンジャーとして参加することは、趣旨に反するのではなかろうか。自分のわがままが、サポート隊の運営に迷惑がかかるのでは、なかろうか。などと悩んだ結果、小山事務局長に相談しました。
 「歩きかたかったら、歩けばいい」「学びたければ、学べばいい」「2年連続歩いては、いけないという決まりはない」との言葉に、2度目の挑戦を決意しました。
 
「できない言い訳より、できる創意工夫を!」
 参加決意はしたものの、昨年に比べ、本業の全国出張やイベントの準備などが重なり、予想以上に歩行の練習時間が取れませんでした。そこで、足に2キロずつの重りをつけて、足に負荷をかけ、かかとを上げて、わざと負荷をかけながら日常生活をすごしました。
また、早朝、その重りをつけたまま、1万歩を歩く練習を行いました。
 時間や環境がないことを言い訳にするのではなく、自分ができることの中で、創意工夫すれば無理なことは、ないのだと学びました。
 
「私は、生かされている!」
「地球交響曲」の映画監督 龍村仁監督が、世界の偉業を成し遂げられた偉人にインタビューしてきた際に、みんな最後に共通したコメントにびっくりしたというお話を聞いたことがあります。その共通したコメントというのは、「私は、生かされている!」というコメントでした。ずっと、この言葉の本当の意味が、実感わきませんでした。「生きているのではなく、生かされている!」という偉人の使う言葉の意味の本質を求め続けてきました。
 100キロを歩く途中、たくさんのサポーターの人たちに、応援され、励まされ、マッサージしていただき、お絞りをいただき、差し入れをいただきました。いつも、きめ細かく、配慮されて、動き回り、気遣い、励まし、100キロ歩行の全体の運営をされている中で、
安心して歩かせていただくことができていることに、あらためて気づかせていただきました。歩きながら、「感謝」を超える言葉を捜しましたが、「感謝」以上の言葉が浮かんできませんでした。
 人は、一人では生きられない。そして、太陽、光、月、星、水、空気、風、大地などの自然の恩恵などがなくては生きられない。人間は、自分一人では、生きられない。
 100キロ歩く中で、「私は、人と自然に生かされている!」ということが、言葉としてではなく、幾度も体感として実感させていただきました。すべての存在に心より感謝します。

「来年に向けて」
 今年で2度目の参加ですが、岡山政経塾の100キロ歩行は、本当に奥深いのだと実感しました。参加するさまざまな立場から学ぶことができ、感動することができるドラマ制作の舞台に似ていると思いました。
 人生をかけて歩くチャレンジャー、当日に向け盛り上げる実行委員、チャレンジャーを励まし、支えて、見守るサポーター、全体運営がうまくいくように気づかう運営委員、その全体を見守る事務局長、幹事の方々、地域の理解ある応援者、外部よりご参加いただいた参加者の方々、誰一人かけても成り立たちません。来年行われる「岡山政経塾の100キロ歩行」というドラマ舞台に、ご恩返しとして、どのような参加ができるか深く考えたいと思います。
 
「最後に」
 100キロ歩行を終えた翌日、5月5日の朝5時55分、目がパッと覚めました。そして、
「私は、何のために歩くのか」という問いかけの答えを得るために、後楽園の周りを3周
(約1万歩)歩きました。その日、出た答えは、「成長し続けるために歩く!」でした。
 人生の学びに終わりはありません。自分にとっての成功とは、成長し続けることです。
 自分にとって成長し続けることとは、挑戦し続けることです。
 人生は、自分の限界に挑戦し、経験を積み、今の自分の最大限を生きていく積み重ねなのだと思います。
 いつも最大限の「成長」の機会を与えてくれる「岡山政経塾」に心より感謝いたします。