2008年 100km Walk

 
◆平田 祥子 (岡山政経塾 6期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「100キロ歩行を終えて」



〜2回目の挑戦〜
 私は、去年、24時間歩行はできていたが、ゴールまでたどり着けることなく終了した。自力で歩行ができないぐらいの痛みを、ゴールできなかった無念さが残り、虚しさだけが残った。「どうしてもっと練習しなかったのだろう」や「もっと痛みに耐え前に進むことができたのに」と悩む日々が続いていた。しかし、日々の業務の忙しさにまぎれその思いも薄れていたとき、時は廻り「100キロ歩行」の時期が周ってきた。本当にチャレンジするかどうか正直、本当に迷っていたが、小山事務局長の叱咤激励のお陰もあり今年もチャレンジさせていただいた。しかし、どうしても、前回の痛みや辛さを思い出し、躊躇している自分がいた。

〜練習〜
 躊躇していても、何も前に進めないと考え、練習をはじめた。最初は、30分くらい近所を歩くことから始めた。初めての練習は・・・30分歩いたくらいで、靴擦れが起き、足に水ぶくれができていた。頭に大規模な血マメができた去年を思い出してしまった。
 何故できてしまうのか??と考えこむと、足の皮が薄いのだと考えついた。 地道に練習を行うことが、血豆対策だと思い練習する。そして、歩く練習をする時には、リュックを背負って行った。当日となるべく同じ格好で練習するためだった。 練習をしても去年経験した痛みや辛さを思い出し、不安になる自分がいた。本番が怖い自分がいた。
 本番数日まえに、腰の痛みが去年の閑谷の坂で起きていた事を思い出し、腰用のサポーターを購入し、そして、サポーターをつけたまま、また練習。 そして、下見にも行ったが、(源様、滝口様 下見をさせてくださりありがとうございました。)本当にこの距離歩けるだろうか??いや歩いてみせる!!いや、この距離・・と腰が引けたり、やる気になったりと悶々していた。

〜本番〜
 とうとう本番を迎えることになったが、緊張のあまり、前日はあまり寝れていないし、当日は朝4時に足がつり目が覚めてしまった。足がつった時には、「どうしよう、こんなんじゃ100キロ歩行が危ない!!」と半泣きになりながら、急いで、ストレッチをして治した。漠然とした不安で目が覚めてしまったが、こうなったら仕方ないと開き直り、姉を起こして、テーピングを行う。 後楽園につき、出発の準備を行っていると、荷物が多すぎるとの声。急いで荷物を減らす。そして、リュックが駄目とのこと。急いで、河本さんのウエストポーチをぶん取り自分の物に。
 そして、10時。2回目のチャレンジが始まった。最初は、加藤さんと一緒にあるいていたが、徐々に朝、つった足の調子がおかしい。瀬戸内市に入った時は、加藤さんに先に行っていただく。 途中何度も、自分の伴歩担当の大原さん、西美さんに、声をかけていただく。大原さん、西美さんは、私が完歩するための、タイムスケジュールをお二人で話し合って計画をたててくれていた。「今のペースで大丈夫」「今、20分ほど予定より余裕がある」そんな言葉を何度も何度もかけていただく。そして、「頑張れ!」と何度も何度も声をかけてくださるサポータの皆様方。 次第にずっと感じていた不安が無くなり「よし、歩ける。歩ける。」と自然に心の底から思えてきた。歩きつづけていると、だんだん他の方々に抜かれていってしまっていた。しかし大原さんの「競争ではない。自分が100キロを24時間以内に歩くことに意味がある」と励まされ、ひたすら歩く。抜かれて行く事に、焦りを感じていたが、安心して、自分のペースで歩く。そして、また、応援の声。去年も声をかけていただいていたが、今年は、その応援のありがたみが良く身にしみている。小山事務局長の「歩けた人間の理由。歩けなかった人間の理由」の言葉を思い出す。上手く、表現できないが、その意味を歩きながら実感していった。夜中になり、急激な睡魔に襲われ、恐ろしいほどのペースダウン。なかなか、目が覚めない。多分、5キロぐらいは寝ながら歩いたのではないかと、今になって、思う。西美さんにフラフラな自分を支えてもらって、歩く。どうしても、道路の真中に行きたがる自分。支えてくれる西美さん。そんな繰り返しだった。「もう駄目かもしれない」と思っていたが、金関さんのオレンジを食べ、復活。ぼやけていた視界が鮮明になった。今までの、タイムロスを挽回しようと歩く。歩く。
 そして、去年タイムオーバーした、平島のブルドック付近のゆるやかな坂を乗り越える。あともう少しだ。と実感するが、そこからは未知の領域だった。しかも、普段からその道をしっているせいか、異様に道のりを長く感じた。足も痛くなっていた。何度も「痛い」と言い、何度も「痛いのは当たり前、ここまで歩いて痛くないのが不思議」と宥められ、足を前にだす。坂がやはり憎い、憎くて仕方が無かった。何故、坂がある!!と半場キレながら足を前にだす。だが、去年感じていた「もう駄目だ」という気持はでてこない。「このままのペースでいける」「行ける」と何回も声かけしたいただく。自分も「行ける」と思っている。また、前に足を出す。途中、佐藤さん、江草さん、滝口さん、一緒に歩いていただいた。そして、やっと、やっとゴールできた。2年越しのゴール。ゴールしたては夢のように感じ、嬉しさを噛み締められなかった。
 
〜達成できたからこそ感じたこと〜

 ようやくゴールにつけて、一番はじめに思ったことは、「ありがとうございました」と素直な感謝の気持でした。決して、一人で歩けない距離何故あるけたのか?と自問自答したら、「あぁ、皆さんのおかげなんだなぁ」と。
決意文に歩ききることで感謝の気持を表したいと書き、小山さんに渡した文書が、嘘ではなく、真実になったこと。

 「嬉しい」「ありがとう」 2つの言葉が湧き出て安堵感に浸っていた。
 そして、そんな時、事務所から代議士夫人の恭子さんと本村さんが、来てくれた。ごーるしたことが上手く理解できていない自分の頭がポーとして、すぐにわざわざ来てくれたことが理解できなく、キョトンとしていたが「頑張ったね」と言ってハグをしてくれたことで、「あぁ自分はやっと歩ききれたんだ」と思った。泣きそうになった。
 激痛で去年大泣きした自分が、今年は笑顔で芝生の上にいる。なんて幸せなんだろう。チャレンジしたかいがあったんだ。何度も逃げ出しそうになったが、本当にチャレンジをして自分が成長できたんだ。成長させてくれたんだ。と感謝の気持をずーと感じていた。
 

 最後に、いろいろな確度から応援してくださった皆様。本当にありがとうございました。
これからは、100キロ歩行完歩できたんだ・と胸を張って自分に自信をもっていきたいと思います。そして、今度からは、新に100キロ歩行にチャレンジする方々、そして、またチャレンジする方々をサポーターし、恩返しをしたいと思っています