2008年 100km Walk

 
◆栗尾 成洋 (岡山政経塾 2期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「決意と覚悟」



 4回目の挑戦でついに歩いて後楽園まで帰ってきた。
ゴール直前に小山さんと握手をし、24時間以内ぎりぎりで100キロを歩きぬいた。ゴールの瞬間はただただうれしく、みんなの祝福にやりきった満足感で満たされた。

 「100キロ歩行」。ただ100キロを24時間以内に歩ききることを目的として(その後遺症も含め)ゴールデンウィークを使い切る。私は、サポートも含め今回が6回目の参加であった。

 今回、完歩して初めて過去の自分を振り返ることができた。
 初めて参加したのは、入塾直後の2003年。後に3期生で入塾する田中さんを車に乗せてのサポート役だった(写真を見ると今回着ていたのと同じ服を着ていた。)。レポートには「100キロ歩きぬいた人しか知らない喜びを感じたいと思う。」とある。
 初めてチャレンジャーとして参加したのは、2004年。30キロ地点で膝を痛め、閑谷学校でリタイアした。翌年には完歩することを目指し、「自分の限界に挑戦する。100キロ歩く意味をそうとらえたのは皮肉にも膝が痛くなってからだった。(略)そして来年はこの自分の心の中の限界を超え完歩をめざす。」とレポートを書いた。
 2回目は翌年の2005年。またしても膝が痛くなり閑谷学校でリタイア。完歩した人のゴールする姿を見て、悔しい気持ちしか記憶に残らない。
 3回目はさらに翌年の2006年。今年こそはと気合を入れて参加する。参加に際して自分にテーマを決める。「どんなに苦しくても笑顔で歩ききること」。これは、第1回、95キロ地点で「がんばれ」と声をかけるサポーターの自分に、ぼろぼろになりながら笑顔でこたえる柳井さんの姿を思い浮かべて決めたものだった。結果は、やはり膝が痛み、最後は、熊山のセブンイレブンで、みすぼらしい表情と声で小山さんにリタイアを申し出たのであった。膝の故障は自分にとって克服しがたいものであり、100キロではなく70キロが自分の限界なのだと感じた。ただ、完歩した人の満ち足りた表情を見ると、自分はまだやれたのではないかと自問自答せざるをえず、時間がたつごとに「悔しい」の気持ちは増していった。「もう限界」と「悔しい」を混ぜ合わせたものが自分の100キロ歩行へ挑戦してきた感想として残ったが、素直に言うと、もうこれ以上は無い、もう十分だと感じていた。
 2007年、チャレンジャーではなくサポーターとして参加する。準備するには日程が厳しかったのもあるが、前年にやりきった気持ちもあった。サポート最中、パートナーである金関さんと、100キロ歩行やいろいろなことについて思うこと、考えていることを話し合った。すべてが終わった後、金関さんに、「来年歩きなよ。絶対よ。」と言われ、しぶしぶ翌年チャレンジすることを約束した。

 そして1年近くが経ち、小山さんに2008年の入塾式で無理やりさせられた決意表明では、今年こそ歩ききると威勢のいいことを言ったが自信はなかった。ただ、参加することに意味があるとは、さすがに思えず、靴を買い、練習を重ね、さらに今年もテーマを決めた。結果にかかわらず最後の挑戦と決め、結果に後悔を残したくなかった。今回のテーマは「ちょっと無理してみようかな」に決めた。

 そしてスタート。100キロの道中は、毎回思うことだが、すべての景色、みんなのすべての声援、自分のやれるという気持ち、あきらめかける気持ち、そして、あきらめる気持ち、どの瞬間も自分にとってドラマチックで、語りつくせない体験だ。元気なうちは、どんなに気分よく歩ききったかとレポートの内容を作文しながら歩く。日が暮れ元気がなくなってからは、どのように言えばリタイアさせてもらえるか作文しながら歩く。

 過去3回は、穂波橋までの海沿いを歩くときには、すでにリタイアのための作文をしていたが、今回は違った。チェックポイントで何人かの人に言われる。「栗尾は、今回は今までと表情が違うわ。歩けるんじゃないんか。」もちろん、歩く気まんまんの私は、控えめに「もうだめです。リタイアさせてください。」と笑顔で答える。

 異変があったのは、和気リバーサイド手前だった。それまで両膝をかばいながらも順調に歩いてきたのだが、左足首でプチっと音がしたように感じ、急に歩けなくなった。尋常ではない痛みに、もう無理だと思った。倒れこむように和気リバーサイドへ到着し、もうだめですと言いかけた時、足に念入りにテーピングをしてくれ「これで歩ける。」と言われた。おいしい豚汁もいただいた。ここではリタイアできないとあきらめ、歩き始めた。寂しそうに歩いていれば、そのうち誰かがリタイアすればと言ってくれると。

 昨年心が折れた道を歩きながら、何度も小山さんに電話しようとしては、何度も電話をポケットにしまった。いつ止まろうかとうなだれながら歩く中、熊山のセブンイレブンには、金関さんがいると聞いた。偶然にも、昨年、自分が限界と決めた地点だった。金関さんに会わずにやめるわけにはいかないと思い直す。やっとの思いでたどり着くと、金関さんは、オレンジを勧めてくれながら、「次にくりちゃんに会うのは後楽園じゃな。後楽園で待ってるから。」と励ましてくれた。去年ずっと一緒にサポートをしていて、今年歩くことを強く勧めてくれた金関さんには弱音を吐くことは恥ずかしくてできず、後楽園でと空元気に通り過ぎる。

 記憶があいまいだが、この前後から能登君と石川君が一緒に歩いてくれていた。二人のおかげでなんとか一歩一歩を踏み出せていた。能登君の「自分が伴歩して完歩してない人はいないですから、栗尾さんも完歩できますよ。」という言葉に、心の中で「ごめん。僕は完歩できない第1号じゃわ。」と謝りつつ歩く。万富のサンクスで滝夫妻に手を振り、だんだんと夜が明けはじめたころ、能登君が重大な二択を迫ってきた。「栗尾さん、どっちかです。」この出だしを聞いたとき、私は素直に期待した。やっとリタイアさせてもらえると。しかし、続いたのは次の言葉だった。「24時間以内に100キロ歩ききるか、24時間歩き続けるか。」答えを口にすることはできなかった。
 正直なところ、過去3回とも暗いうちにリタイアしてきた自分には、日が昇って、世間の人が活動を始めてからも歩き続けるという感覚は無かった。ただうつむきながら、能登君の足だけを見て歩いた。

 転機は、やはり能登君の言葉だった。瀬戸警察署まで歩いたとき、「栗尾さん、まだいけます。瀬戸警察署に着くのがもう少し遅かったら24時間以内の完歩はあきらめるところでしたけど、まだ間に合います。」。口答えをしてみる。「そんなん言うても、もう足がありえんくらい痛いわ。」口だけは元気だ。すると、「僕が歩いたときは、足がもげたらやめようと思いました。でも人って頑丈で、足がもげたりはなかなかしないですね。」。今、何キロ地点か、何時かと考えることもできず、足が痛い足が痛いとばかり思いながら歩いていた僕に、この言葉は、先ほどの二択に答えを出させた。自分は24時間以内に100キロを歩ききるために参加しているんだ。「ちょっと無理してみようかな」と決めて参加したはずじゃないか。自分も足がもげるまで歩くと心を決めろ。
 体の痛みが弱まったわけではない。24時間以内にはぎりぎりだが、もうリタイアしようとは思わなかった。

 遠くに後楽園の木々が見える就実大学のあたりで、10時までの時間が少なくなり、近いが遠い距離にさらに足の痛みを感じたころ、後楽園からたくさんの仲間が応援に来てくれ一緒に歩いてくれた。100キロの道中ずっと支えてくれたみんなに囲まれ、奮い立ち、感謝の気持ちにあふれ、喜びは爆発した。

 今回、なぜ自分は歩けたのか。恥ずかしながら、それはしばらくわからなかった。
 多くの人の手助けや期待や声援が後押ししてくれたことは間違いない。しかし、過去の3回も、感謝の気持ちの中で歩いていた。
 完歩からしばらく経ち、少し分かってきた。歩く前に今年を最後の挑戦と決め「少し無理をしてみようかな」と「決意」したこと、能登君の助けにより「覚悟」したことが過去と違う結果をもたらしたのではないかと。
 3回の挑戦で望む結果がでず、自ら限界を決めていた自分に、小山さんや金関さんをはじめ塾生の仲間が叱咤し、激励し、100キロに挑戦することを勧めてくれた。2007年のサポートでは、完歩を目指し、自分の限界を押し広げていくチャレンジャーに心打たれた。この2年間があって、僕は、24時間以内に完歩することを(控えめながら)決意することができた。
 そして、決意を持って歩き始めたが、瀬戸での能登君とのやり取りで、ようやく、なにがなんでも決意したことをやりとげるという「覚悟」をすることができた。
 100キロ歩ききるには、体、装備、心の準備が必要だと教えてもらっていた。私は、体も道具も5年前からすでに準備できていた。心の準備はしたつもりだったのだ。そして、その準備ができたのは、4回目の挑戦を決意表明したときでも、スタートの後楽園でもなく、誰よりも遅いかもしれないが、70キロ地点を過ぎて、能登君に「24時間以内に100キロ歩ききるか、24時間歩き続けるか。」と決断を迫られ、その答えを出すことができたときだった。このとき正真正銘の「覚悟」ができたのだ。私にとっての心の準備は、なにがなんでも目的を達成しようとする覚悟だった。
 そして、このことに気づいてからは、決意したことに覚悟を決めて臨むことが大事だと自分に言い聞かせている。100キロ歩行に参加し、歩ききったからこそ言えることかもしれない。

 私は自分ひとりでは歩ききることはできなかった。参加を決意させてくれた政経塾のみんな。道中、車で通り過ぎるたびに手を振り、声援をくれ、チェックポイントでは体と心を休ませ、さらに歩き出す元気をくれたサポーターのみんな。抜きつ抜かれつ後楽園を目指して歩き続けるチャレンジャーのみんな。そして、能登君。初めての挑戦からゴールまで、心も体も支えてもらいました。みんなに感謝しています。ありがとうございます。