2008年 100km Walk

 
◆高橋 和巳 (岡山政経塾 3期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「そうだ、『知覧』へ行こう」
   〜人の業、煩悩のゆえに〜



参加されたすべての方へ、心からお疲れさまです。
決意し、行動をおこし、24時間100km歩行において、自分なりの目標や目的を達成されたすべての方へ、心からおめでとう。
そして、今を生きる出逢ったすべての方へ、心からありがとう。

さて、今回は、前日までサポートの時間調整に手間取り、フリーの立場(夜9時から翌5時)で動かせてもらいました。そのためか、時間を共有し、一瞬一瞬の光芒、感動や感謝の場面は目の当たりにしたものの、残念な場面にも遭遇しました。一部参加者の夜間歩行における蛍光タスキ、懐中電灯、反射テープなどの準備不足です。また、私の勘違いであると信じたいですが、サポートするのが当たり前というような奢りを感じる場面がありました。
「結果責任。自己責任。終わり良ければすべてよし。」といってしまえば元も子もありませんが、最低限のルールを守る、人としての心構えが、自分を含めて自省すべき点であったと思います。

こうした状況のなかで、なにかしっくりこない、物足りなさを感じている自分がいます。当時の状況を反芻しながら、思いの一端を述べてみます。

本当に歩いたのか・・・・・。
たった2年の間に著しくさらに老化した肌、腹や足まわりのブヨブヨ感、少し歩くだけで悲鳴をあげる心臓に驚愕し、そしてなにより、決意し、精神的に高揚し、頑張った自分や皆への感謝をどこかへしまい込んで、この2年間、心があっちこっちしていました。人の業、煩悩なるゆえでしょうか。日々の仕事にかまけ、あるいは流され、本来すべきであったことに目を背けていたのかもしれません。2年前、あるいは子供の頃描いた夢なり目標と現在立っている位置はずれていないのか、ここなのか、大きくかけ離れているのではないか。別の場所でも構わないが、そこに稟とした、襟を正した生き方ができていたのかを考えると、忸怩たる思いで一杯です。

決して熱しやすく冷めやすい性格ではありませんが、人間のもつ業(特に三業(さんぎょう))や煩悩(特に三界(さんがい)、四諦(したい)、十纏(じってん))の力、深さに慄然としています。果たしてみなさんはどのような煩悩がでてきましたか? 本当の、素の自分に近づけましたか? 真実の自分に目覚めるきっかけはあったのでしょうか? そして体験したこと、気づいたことを今後どのように活かしていきますか?

気づけば、人の一生の折り返し地点を過ぎ、竹内まりやの「人生の扉」の歌詞が心に染みこむ歳となってしまいました。物が溢れかえる現代にどっぷりとつかっている中での24時間100km歩行における自分との戦いは、限界を超え、未知の領域に挑戦する意味で非常に有意義であることは間違いありません。
が、仮に、現代からは想像することすらできない戦争という極限状態を生きる時代にタイムスリップしたらどうでしょうか。百死零生のなか、それぞれに夢や希望、志を抱きながらも、今の自分の半分も生きることが許されなかった方々に対し、失礼はないのか。
現代と昭和の戦争時期では、生き、過ごしている時間は、たとえ量が同じでもその中身や質には圧倒的な差があります。限られた時のなかで、自らを完全燃焼したからこそ、昭和の戦争や幕末期など、歴史を動かし行動された方々が残された言葉、遺詠は、私を圧倒し続けます。彼らが行動した同じ歳に自分は何をやっていたのか・・・・・。
一方で、幕末や昭和の戦争時期を過ごされた方々が、現代にタイムスリップしたらどうでしょうか。我々が生きている今は、彼らが、希求し、思い描き、命をかけて護ろうとした日本になっているのでしょうか。
日本とは、日本人とは、生きるとはなにか・・・・考え、行動せずにはいられません。今を一生懸命生きるのはもちろん、過去から現在、そして未来へ紡いでいかなければならない責任があると信じています。   
先の戦争で斃れた24歳の竹内浩三は、次のように詠んでいます。
「日本よ オレの国よ オレにはお前が見えない・・・(中略)・・・オレの日本はなくなった オレの日本がみえない」

靖国神社も考えましたが、知覧で幾多の先人達の思いに触れ、心の洗濯をしてきます。