2008年 100km Walk
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◆瀧 友子 (岡山政経塾 3期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
『24時間100キロ歩行、この六年を振り返って』
24時間100キロ歩行との初めての出会いは2003年、第一回のときのことだ。
『100キロを24時間で歩くらしい』妙に耳に残っていた話を確かめに、深夜不慣れな運転で、一人車を走らせ、暗闇の中をゆらゆらと浮遊するように歩く一期生の方を発見したのが最初だ。今のようなゼッケンも無く道行く人とチャレンジャーの区別がつかず、ふらふらと運転する私の動きはかなり怪しかったらしい。
その夜は、人生初めての職務質問を経験した。
とても爽やかな笑顔で、『どうしました?』車の窓越しに微笑まれた警察官に、眠気も手伝って、危うく恋に落ちそうになった。
浮遊するように、しかし確かに前に進む人の後ろをゆっくりと追いかける、古い軽四のった20台半ばの女。
その怪しい女、私は、翌年、自らが歩く事になった。
勿論、そのチャレンジは人生二度目の職務質問での奇跡の再会を願ってではなく、岡山政経塾の学びの一つとしての100キロを歩く事で、自分になにが起こるのかを確かめたかったから故のものだ。
結果、私は自らの弱さを改めて知る事となった。
70キロを過ぎところでリタイヤを決断したその直後は、自分にガッカリし、どこかで歩ける事を根拠なく確信していた自分に苛立ちを覚えた。危なげの無い選択で疑問を感じることなく過ごしてきた、大した挫折も経験しなかったこれまでが酷く虚しく感じた。
気持ちと身体の回復にかなりの時間を要したのを記憶している。
翌年、二度目のチャレンジ、三回目の100キロ歩行は、私にとってのまさにチャレンジだった。
自分の精神面、身体面について、考え、計画し、その日を迎えた。
大学入試、割と緊張した。
就職試験、これもなかなか緊張した。
二度目の100キロ歩行チャレンジには、それらに勝る緊張とともに、『わくわく』があった。
『わくわく』は満足のいく準備の上に成り立っていたように思う。
『わくわく』はエネルギー生んだ。
空の青さも、山の緑も、波の音も、聞いたこと無い生き物の声も、トンネルの中で歌う自分の声の反響も、エネルギーに変えた。
サポーターの方の励ましも、コース沿いで出会った地元の方の複雑な表情も、心から有難く感じられ、エネルギーになった。
この年、酷く日焼けしたふくらはぎを同僚に誇らしげにみせた。
そして今年、6回目の100キロ歩行。
職務質問にあう事も無く、チャレンジを見守る事が出来、改めて24時間100キロ歩行の魅力について考えた。
確実に形を整えつつある、このチャレンジを魅力的にしているものの一つはは、時間を越えた経験の共有にあるように感じた。その日、かつてチャレンジしたサポーターは一人一人がそのとき感じたそれぞれの思い、思い出をともに語り合い、まだ名前と顔の一致ももままならないチャレンジャーとの痛みや葛藤を共有する。
毎年、この時期を迎えると、2週間前から天気が気になり、伴歩の大役の可能性を考え、日頃の運動不足が不安になり、快晴の空を見てはチャレンジャーの日焼けや水分補給がきにかかる。ソワソワとした二週間。
そして24時間。
早くも3年が経過した、たった24時間の経験がいつも鮮やかによみがえるこの24時間100キロ歩行は、やはり年に一度味わうべき滋養強壮剤か、はたまた…。
最後に、これからも、事故無く、これからもより多くの塾生の方々とこの『わくわく』を共有する事が出来る事をお祈りします。
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