2008年 100km Walk
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◆坂 俊介(岡山政経塾 6期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「坂、一晩、伴歩を経て 〜7分差の向こう〜」
神様、これから私は正直にキーボードを打ちます。ただそれは(誤解のない)深い愛情を持ってのことですのでどうかお許しを(笑)
私はサポート隊の中で同期の6期生加藤葉子の伴歩がメインになった。
分科会でも共に学んだ仲間の伴歩ということであったが、当初正直イヤだった。偉そうな物言いになってしまうが、歩きながら弱音を吐き、歩きながら歩けない言い訳をするのを聞きながら伴歩することになるだろう、と一人勝手に感じていたからだった。本当に失礼な話である。ねえ、加藤さん(^^;)。
そして、そんなことを思いながら、実はそうではなかったという話をこれから書かせてもらいたい。そしてその中から私の中での気づきがあったということも。しばらくこの加藤葉子の100キロの様子を紹介させてもらいます。
加藤は昨年、閑谷学校の手前50キロすぎの地点でリタイアした。理由は右足の小指の怪我だったそうだ。そのまま病院に運ばれたらしい。ただ伴歩する傍ら当時のリタイアの様子を当たり前の様に話す加藤に少し嫌悪感。しかし、練習を一生懸命やってきた成果か50キロまで順調に足が運ぶ。「なかなかいいペース」「このペースだと6時過ぎにはゴールしちゃうぞ」など希望に胸膨らませながら、二人で歩く。途中から7期生端山さんと足取りを同じくしながら、閑谷学校手前までやってきた。しかし、ここで突然のアクシデント。加藤が右足を引きずり始める。どんどんペースが遅くなる。耐えかねて道端に移動し、足を見る。どうやら水ぶくれが潰れた状態を我慢したまま歩いたことが災いしたらしい、炎症がひどい様子だった。本人へは言わなかったが、この場面でのこの負傷は正直これから厳しいぞ、と一人思った。その矢先、私の中で予想だにしなかったことを彼女が言う。「テーピングでがちがちに固めてほしい」と申し出てきたのだ。「1年前と同じことはしたくない」、リタイアなど頭にないのだ。彼女は1年前と大きく変わっていた。
それから先の50キロは相当な痛みとの戦いだったろう。それぞれのチェックポイントで血でにじんだテーピングの上にさらにテーピングをする。とにかく足を引きずっての歩行だった。それでも80キロ過ぎまでは痛みが麻痺していたこともあいまって、時速4〜5キロペースを維持できていた。痛みが麻痺したこのままでいってほしい。
しかし、その思いとは裏腹に平島手前からスピードが極端に落ちる。「痛い」という言葉も増えてきた。しかし自分は何もできない。「痛みを意識するな」「痛くて歩けないではなく、痛くても歩け」といったきつい言葉で鼓舞する。ここで甘えても仕方ないのだ。「つらい時にこそ頑張らないと100キロ歩いた意味なんてない」と背中越しに歩く加藤に言いながら、ふと昨年の自分を思い出す。昨年のレポートにも書いた「7分の差」をこの場面で思い出した。昨年私はもっと上位までいけたかもしれなかった100キロ歩行を終盤ギリギリで諦め、3位に甘んじて、完歩したことに満足しようとしていた。
「つらい時にこそ頑張らないと意味ないだろ、自分に甘えちゃだめだ」
加藤に言いながら、自分に話しているようだった。ふり返ると加藤は歯を食いしばり、泣きながら歩いていた。胸が痛んだ。
加藤が100キロ完歩する間際、旭川を右手に見ながら涙しそうになるのを必死でこらえながら、背中越しに涙している加藤を目にする。そして痛みに耐えながら笑顔のゴール。本当によくがんばった。心からの拍手を贈りたい。
伴歩を通し、肌で感じ思い出した「自分に甘えてはだめだ」という感覚。私がそれを真に克服する時は100キロ歩行再チャレンジなのか、また別に訪れるであろう試練の時か、それは分からない。ただ、その試練が訪れた時に動じない、甘えない自分でいようと思う。100キロ歩行を肌で感じながら、また思いを強くしたのであった。
そして今回、本当に私は気持ちよくサポートができた。これは言うまでもなく源さん、井上さんをはじめとしたサポート隊幹部のみなさんのおかげだと感じている。
時として人は相手に優しくしなければならない。
時として人は相手に厳しくしなければならない。
その時相手が何を思うのかを考えなければならない。
その結果相手がどういう行動をとるか考えなければならない。
チャレンジャーにそしてサポーターに全ての人に気を配りながら接し、臨機応変に対応された源サポート隊長のリーダーシップに敬意を表し、そういう人間でありたいと思ったサポート経験だった。
そして最後に。
「40キロちょっととはいえ、相手のペースに合わせての歩きというのもまた体にこたえるなあ」と今、体をさすりながら思っていること。頭で分かっていながらも、やはり私は少し誤解をしていた。
100キロ歩行というものは自分の力の限界を知り、その上で恐怖や不安に打ち勝ち、 自らを一回り大きくするものだと思っていた。今回サポートの立場になり、それは断片的なところしか見ていなかったことに気づく。24時間をチャレンジャーの皆さんと、サポートの皆さんと共に過ごして気づいた100キロ歩行の姿。それは、何かを掴みたいという思いや、掴んでほしいという思いや、純粋に恩返ししたい思いや、とにかく色々な思いを持った全員が、それを成功させようと取り組んでいる姿だった。100キロ歩行はやっぱり一人で何かを掴むためのものではないのだった。
その中で、7期生全員完歩、チャレンジャーリタイアなし。チャレンジャーの皆さんの意志の強さに力一杯の敬意を表しながら、来年このメンバーがサポートに回ることはまた楽しみで仕方ない。気づき、学び、どんどん力強くなり、信頼関係を強くしていく仲間たちが増えていく。岡山に岡山政経塾あり。岡山の未来はまだまだ明るくなると信じ、これからさらなる研鑽を積んでいきたい。
小山事務局長はじめ、西原幹事、100キロ歩行に携わった全ての方に感謝します。
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