2009年 100km Walk

 
◆能登 雅彦(岡山政経塾 2期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「70キロでの忘れ物」




4回目の目的
6年前、1回目の挑戦。知識も経験もないなか、当時20歳の今まで以上に未熟だった私は、何も考えず、気の趣くまま、70キロまで走りリタイヤ。
その後3回目のチャレンジで完歩。しかし、毎年100キロ歩行にサポーターとして参加するたびに思い出すのは、「感謝の気持ち」そして、完歩した喜びや、達成感ではなく、和気リバーサイドを少し過ぎた、街燈のない真っ暗な道の縁石に一人座り、小山事務局長にリタイヤを連絡する、「6年前の自分」の姿です。
今回、4回目のチャレンジ。目的は100キロ完歩することだけではなく、6年前の私を後楽園に連れて帰ること。      

目標と準備
70キロ11時間のペースで「走って」リタイヤした自分を「歩いて」、迎えには行けない。目標は走ってゴールすること。それ以外では、70キロで止まった時間は進まない。しかし、漠然と走ってもゴールすることは不可能。そにため、目標ゴールタイムを14時間とした。そして練習は、時速10キロのペース。走行距離は2ヶ月で450キロを走り、最後の1週間は完全休養する計画をたてた。「絶対に連れ帰る」という決意のもと練習に取り組み、そして計画通り1週間前に、目標の450キロをクリアーすることができた。
今まで、これほど準備したことはない。これで自身を持って100キロに臨めると考えていた。しかし、万全の練習の先にあったものは、不安と恐怖。

100キロ
不安と恐怖を抱えたまま、ついにスタート。しかし走り出してしまえば、いつのまにか不安と恐怖から、6年前の自分に逢える嬉しさ、逢いたいという思いに変わっていた。そのうえ、自分が想像していたより体が軽い。40キロまで予定通りのペースで、体にも異常がない。このまま70キロまで行けると思った矢先、体が全く動かなくなり、時速5キロを保つのも難しくなっていた。しかし、閑谷の入り口のローソンで、おにぎりを3つ食べたおかげか、閑谷学校に着いたときには、さっきまでの不調が嘘のように回復していた。
そして、リバーサイド通過。6年前、ボロボロで立つことが精一杯だった。自分に負け、逃げることしかできなかった。今回は違う。疲れはあるものの、体は普通に動く。マメは、1センチにも満たないものが1つだけ。6年前の自分を連れて帰る気に満ちている。
6年前とは確実に違う。やっと迎えにこれた。
後楽園、0時54分到着。(タイム14時間54分 目標より少し遅いが、想定範囲内。)

6年前の忘れ物。
6年前の忘れ物とは、何だったのだろうか。それは、己を知り、己をありのまま受け入れる。己を認める心だと思う。自分は自分以上でもなければ、自分以下でもない。そして、己を知り、志を持ち、努力し続けなければ本当の自分を見ることはできないし、受け入れることもできないと感じた。スタート前に感じていた、不安や恐怖は、努力し、自分と向き合ったから感じれたものだと思う。今までは不安や恐怖を見ることもできず、ただ飛び込んでいただけ。それは勇気ではなく、ただの無謀だった。
70キロ地点に6年間、座り込んでいたのは、ただ無謀に飛び出した、自分を知ろうともせず、自分を認めようともしない、自分自身でした。
不安や恐怖を感じ、それを受け入れることのできる人になるべく、行動していこうと思う。
小山事務局長。「言葉は嘘をつくが、行動は嘘をつかない!」ですよね。

感謝
最後になりましたが、サポート隊の皆様、今回、私が走ることにより、大変迷惑をかけたことと思います。事前会議でも走る人間をどう扱うか、難しい問題だったと思います。すいませんでした。しかし、嫌な顔1つ見せず、笑顔で応援していただき、ありがとうございました。無事完歩できたのはサポート隊含め、皆様のおかげです。本当にありがとうございました。



ホントに最後に・・・
今から考えると第1回100キロは壮絶でしたね。全てが未知なるものへの挑戦。
でも成功しても、失敗しても、あのワクワクはたまんないですよね? 柳井さん?