2009年 100km Walk
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◆油田 洋幸(岡山政経塾 8期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「岡山政経塾100Km歩行レポート」
1.はじめに
このレポートでは、入塾式から本番前日までの準備期間における心境の変化と、本番当日に体験した最も辛かったことや印象に残っていること、そして、ゴールしてから考えたことの3つについてまとめました。
2.準備期間
100Km歩かなければならない。そのことは入塾前から知ってはいました。しかし、何で100Km歩くのか全く意味がわからず、また、100Kmの距離を全然想像できず、根性で何とかなるだろうと始めは思っていました。
その気持ちが変わりだしたのが諸先輩方のレポートを拝見してからでした。まずは前年の先輩方のレポートを拝見しました。読み進めているうちにあることに気づきました。完歩したのに後悔している人がいるのです。この気づきは私を100Km歩行に引き込むのに十分な力をもっていました。そこからは先輩方のレポートを全て読ませて頂きました。1度失敗して、2度目のチャレンジで成功した先輩、24時間100Kmは無理でしたが24時間完歩は達成された先輩、いろいろな物語がそこにはありました。全てを読み終えて思ったことは「100Km歩く意味を考えなければいけない」でした。もう1度100Km歩行の目的を読み返しました。そこには「限界を超え、未知の領域に挑戦すること」とありました。結局、自分の限界というものをいろいろ考えた結果、私は「常に全力で歩き、絶対に弱音を吐かず、必ず完歩する」という答えをだしました。
次に100Kmの距離です。100Km歩行の考え方には「津田永忠に学ぶこと」とあります。岡山について何も知らなかった私は、決意表明で歴史を学ぶと表明したこともあり、よい機会と考え下見会までに軽く津田永忠について調べることにしました。下見会で実際に後楽園、曹源寺、閑谷学校、沖田神社を見て回りました。特に、富山小学校前から用水路沿いを歩くコースがありますが、その用水路が永忠の開いた倉安川だと気づいたときや、沖田神社から金岡の信号までのコースが永忠の埋め立てた沖新田であることに気づいたときは本当に驚きました。なぜなら、永忠がいなければ私たちはこのコースを歩くこともなかったのですから。このときばかりは、永忠の生きた岡山に我々も生きているのだなと、歴史を身近に感じ、晴れの国岡山の太陽と、きれいな田園、雄大な川に「岡山は美しい」と感動するばかりでした。この地で学ぶ機会を得たことに改めて感謝しました。とは言っても、やはり100Km。これは長い。少し不安になった下見会でした。
3.本番当日
ついに本番当日です。心、体、物の準備はしたつもりでしたが、どうしても完歩できるか不安が残りました。しかし、後楽園に到着し、同期のみんなと顔をあわせるたびに不安は薄れていき、スタート前に円陣を組んだときには不安は吹き飛んでいました。
(1)体力的に一番辛かったとき
備前体育館から松本橋に向かうまでが一番体力的につらかったときでした。朝におにぎり2個と、道中ウィダーインゼリーでエネルギー補給はしていたのですが、備前体育館から松本橋間で完全にエネルギー切れを起こしてしまい。途中何度も何度もヒザをつきました。「もうダメだ」、「どうしよう。まだ半分も歩いてないのに」、そんなことを考えながらフラフラになりながら松本橋のチェックポイントにつきました。ちょうどそこには、私を岡山政経塾に導いて下さった7期生の高梨先輩の姿がありました。心が緩んだのか一気に弱音がでてきました。「先輩、まだ半分も歩いてないのですよ」、「途中ヒザをついてしまいました」。弱音は吐かないと決めたのに、情けないことに愚痴ばかりでした。先輩は、私がエネルギー切れを起こしたのを知ると、次のコンビニまで伴歩して頂きました。本当に助かりました。コンビニでおにぎりを購入し、1つを食べ、1つをカバンに入れ、とりあえず50Km地点を目指しました。
(2)一番印象に残っている歩き
伊里漁協から吉永交差点までの歩きが一番印象に残っています。ようやく50Kmのチェックポイントである伊里漁協につき、次の伊里中のローソンを目指して出発しました。辺りはもう真っ暗になっていました。時速は4Km程度、穂浪橋手前を左折し、しばらくすると、おにぎりが効いてきたのか元気が出てきました。そのとき、「チェー、ケキャッ、キャー、□▲○◎×△*――」。なぜか猿叫がでました。もうこれは奇声です。まさか、示現流の稽古中以外で、しかも鹿児島ではなくて岡山で叫ぶことになるとは思わなかったです。ここからの私はスタート直後よりも気力も体力(これは錯覚かもしれません)も充実していました。右足を踏み込むたび、「イチ、イチ、イチ、…」と声を出しながら歩き、すぐに伊里中ローソンへ、そして軽く休憩してすぐに閑谷の山越えです。声をだして一歩踏み込むたびに、元気が湧いてきました。「岡山で薩摩の恥をさらすな」、日新公(島津忠良)にそう言われている気分でした。あっという間に閑谷学校につき、おにぎりとお茶をごちそうになり、吉永の交差点まで行きました。
(3)精神的に一番辛かったとき
東平島のマクドナルドを左折して、古都のローソンそしてゴールまで、この区間もかなりきつかったのを覚えています。この区間は多田塾生、塩澤塾生と一緒に歩かなかったら、どうなっていたかと思います。「ゴールまであと少し、ゴールしたら休める」と考えると、脳から足にもう歩くなという指令がいくのか、どんどん筋肉が硬直していき、ストレッチの効果も全く持続せず、どんどんスピードが落ちていきました。またも、「きつい」、「痛い」と弱音がでてきます(多田塾生、塩澤塾生、申し訳ありませんでした)。三人で歩いていると、今度は山中塾生が追い抜いて行きました。山中塾生とは今回かなりデットヒートを繰り広げ、抜かれるたびに気持ちが萎え、同時に、私もがんばらなければと何度も思いました。他にも、この区間では何回も何回もサポーターの方に声援を頂きました。そのたびに少しスピードがあがるのです。この区間は絶対に一人では歩けていなかったと、今振り返ると思います。同期とサポーターの皆さんのおかげで歩けました。折れそうになる心に、皆さんの声援というテーピングを何重にもしながら、なんとか歩ききりました。ゴールしたときは感謝のあまり涙がでました。本当にありがとうございました。
4.布団の中で
反省点としては、やはり弱音を吐いたことです。「常に全力で歩き、絶対に弱音を吐かず、必ず完歩する」という目標の弱音の部分が達成できませんでした。まだまだ修行が足りないと感じました。道中、私の弱音を聞かせてしまった波多塾生、多田塾生、塩澤塾生、本当に申し訳ありませんでした。
100Km完歩できたこと、これは素直に達成できたことを喜びたいと思います。これも全て一緒に歩いたチャレンジャー、そして、サポーターの皆さんのおかげです。沖田神社でのハイタッチ、渡辺塾生のテーピング、一緒に歩いた波多塾生、多田塾生、塩澤塾生、濱本塾生、デットヒートを繰り広げた山中塾生、田中様の歩行指導、トマトの味、高梨先輩の伴歩、閑谷でのおにぎり、マッサージして頂いた吉冨様、横田様、リバーサイドでのおかゆ、小山局長の声掛け、西村様、富田様、上田様、岩井様、小河原様、難波様の励まし、荻野様のグッ…という無言のガッツポーズ、そして、サポート隊隊長の仲達様、サポートで眠いなか家まで送り届けて頂いた大原様、誠にありがとうございました。とにかく、赤いジャンパーが見えるたび、どれだけ元気がでてきたことか。私は、このような素晴らしい先輩方や仲間がいる岡山政経塾の一員であることを誇りに思います。紙幅の関係ですべての皆様にお礼をお伝えすることができませんが、皆様本当にありがとうございました。
来年は私も赤いジャンパーを着たいです。この善意のリレーを途切れることなく伝えるためにも。7期生の皆様、ガンガンこき使って下さいませ。
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