2009年 100km Walk

 
◆塩澤 勝利(岡山政経塾 8期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「100kmが教えてくれたこと」
 〜それは人生や仕事で当たり前の基礎/基本だった〜





1.はじめに
「人生最高のGWだった」100kmを終えておよそ2週間、率直な感想である。
幹事各位、事務局各位、先輩各位、サポーター各位、同期各位、見ず知らずの私にエールを送って下さった沿道の皆様、応援に来て下さった同僚の皆様、吉永の皆様、本当にありがとうございました!無事時間内完歩出来たのも、皆さんのおかげです。感謝の気持ちでいっぱいです。
準備〜本番〜振り返り、一連の100km歩行が教えてくれたこと、それはこれからどんな物事や困難でも大切になる、そして、当たり前の基礎/基本であった。

2.早い準備が、逆に、根拠なき過信と堕落に繋がった
<2月から前日まで>
@早くからの準備(2月)
私を誘ってくださった7期生であり会社の先輩である荻野さんを始めとする政経塾先輩各位、そして、入塾面接時の各位から、口に出るのは100km歩行のことが多かった。私が政経塾に入った目的は、自分に新しい風を入れ、「足跡を残せる」人間に成長させることであり、一見それと100kmは無関係に思えたが、100kmには何か神秘的なものを感じ、早くから準備を始めている自分がいた。物の準備に加え、自宅〜会社間を毎日徒歩往復など体の準備を始めた。脚力UPの実感とやせる感覚を持つ。今思えば、100km歩行は何かを変えてくれる!、その気持ちが自分を動かしていた。目的も、知らぬ間に、ここに置いていた。

A倉敷ツーデーマーチに参加(3/15)
長距離歩行の実感を持つため、7期先輩の西村さん、荻野さんからお誘い頂き、3/15にこれに参加し、40km歩行。結果は6時間50分で完歩。昨年トップゴールの西村さんには1時間遅れ、昨年6:12ゴールの荻野さんには10分遅れのタイム。後遺症は少々の筋肉痛だけで無傷。練習が本格化していない中でのこのタイム、この状況であったことは、恐怖感克服には繋がったが、同時に根拠なく自分を過信してしまい、それゆえにそれ以降の練習はトーンダウン気味。

B練習会への参加するも日々はトーンダウン気味へ(3月下旬から)
練習会には、日曜は毎週、平日は2回だけ、早く帰れ、体が順調なときだけ参加した。細かなノウハウも教えていただき、当日安全に歩行できたのもこのお陰である。しかし、3月下旬からの仕事のハイタイムによる自分への甘やかしと倉敷ツーデーマーチ完歩での思い上がりから、徐々に自転車通勤中心に戻ってしまい、練習らしい練習は練習会のみで、脚力はせいぜい現状維持かダウンと、ベースは崩れつつあった。脚力は落ちやすいとも聞いていた。脚力ダウンは当日にももろに影響した。今思えば、体が余程厳しい時のみ片道だけはバスに乗るにしても基本は徒歩通勤にすべきであった。当日はその余程厳しいときでさえも歩かねばならない。どんな時も継続すること、ベースを築くことは大切なことである、大切な基本を忘れていた。継続は力なり!油断禁物!

3.順調ゆえの思い上がりと不調を受け入れきれない素直でない自分
<スタート〜備前体育館>
・多くの方に見送られながらのスタート。会社の先輩も応援に来てくださっていた。スタートから〜箕輪交差点過ぎは、前日が休日で休養十分だったこともあり絶好調(当然)。西大寺のポプラでサポーターの方と談笑するなど余裕の姿勢。
・箕輪交差点(26km)には14:30到着。同距離を倉敷ツーデーマーチと同じ所要時間。大きな違いは倉敷の時は休憩ナシでこのタイムだが、今回は25分の休憩ありでこのタイム。このことに気づき、ペースアップしていると根拠なく勘違い。備前体育館には16:30には余裕で到着、伊里中ローソンには遅くとも19時には到着、と今思えば、先も考えず、根拠無い自信で予測していた。勢いだけで完全に調子に乗っていた。
・しかし、箕輪交差点過ぎ〜飯井交差点過ぎは、それまでの勢いと強固とはいえない脚力のためか、一気に足が痛み出し、思うように進まず、いつまでも距離感は縮まらず。
・15:00トリイで初めて携帯電話確認。横田さん(上司であり、政経塾の先輩)からの、「調子に乗って飛ばしすぎてないか」のメールを確認。メールが届いたのは10:27。自分の調子に乗る性格を案じて届けてくださったメッセージだった。自分のそれまでの調子はまさに図星。同時に、横田さんから教わった、自分のペースで自分と対話、タイムトライアルでないこと、ようやく思い出した。しかし、同時に100Kmくんを初確認。先頭集団が飯井か鶴見。タイムトライアルでないことを頭で理解しつつも、変な競争心から自分のペースを焦るばかり。歩調、気持ちともに下降気味。
・飯井交差点過ぎ〜備前体育館、気持ちの焦りもあり、休憩、坂道準備ナシで臨んだためか、足には痛みを増すばかりか、攣る気配を感じた。また、縮まらぬ距離感から、歩調、気持ちとも失速絶不調。攣る痛みは嫌と言うほどわかるから、足をかばいながら歩くしかなかった。気持ちは、ここで終わったら格好悪い、見栄の気持ちだけであった。不調を素直に受け入れきれないまま8kmを歩き、備前体育館には、箕輪での予想は軽く裏切られ、到着は17:30。同距離を倉敷の時より40分遅れの到着で、筋肉痛は倉敷の時以上どころか、攣る気配。

4.手段と目的を履き違えてはならない。100kmの目的の再確認と手段遂行へ視野狭窄の自分からの脱却。そして初めての感謝の心を持つ。
<備前体育館〜備前市民センター>
・今思えば、ここが大きなターニングポイントであった。
・攣る気配だけはもう誤魔化しが効かなかった。備前体育館ではサポーターに素直に話す。弱い自分を初めて素直に受け入れた。しかし、難波さんがマッサージをしてくださったことで、足はよくなった。さりげない親切に感動!初めて感謝の心を素直に持った!ここからは歩調、気持ちともに回復した。
・歩きを再開。もう少しで折り返し地点。ここからも好調→不調→好調→不調→・・・の繰り返しだろう、むしろ疲れや痛みで不調のほうが長いかもしれないとは容易に想像が付いた。ここでもう一度目的を再確認した。100km歩行は、岡山政経塾における自修自得の学習プログラムであり点数争いではない。もちろん、早く歩けなくなっている自分への悔しさはあったが、目的は、24時間以内ゴールというシンプルな目標を目指す中で、これからの困難に立ち向かうための考え方や姿勢(≒勇気や精神力)を学ぶする機会である!、と、目的を再確認した。そう、小山事務局長のよく仰る「手段と目的を履き違えるな!」、ここで強く実感した。ゴール時間だけを気にし何も学びや気づきがなければ、目的の半分しか満たしたことにしかならない。時間的には翌朝10時までには十分ゴールできると予測できた。だからこそ、このプロセスで多くの学び(自分との対話)をしようと心を入れ替えた。同時に、最初に思い上がっていた自分、早く着いて見栄を張ろうとした自分、そして、多くの人に支えられていることに改めて気づき、ゴールまで取っておこうと思った涙を人知れず流してしまった。ここで、スタートで釘を刺して下さった横田さんにも「一歩一歩着実に行きます!」とだけメール初返信した(遅れて申し訳ございません)。

5.不調を受け入れる素直さと、だからこそ、その後のアクション(覚悟と準備、warm heart & cool head、確実な一歩。)
<備前市民センター〜和気の堤防歩道過ぎ>
・備前市民センター〜伊里漁協は、先の長さへの苛立ち、押し寄せる疲労と痛み、暗さ、寂しさで下降気味に。備前体育館以来初めての不調路線。
「状況が悪かろうと進むしかないし、受け入れるしかない。好調でないときこそ、その人の人間性試されるよ。」
こう自分と対話した。不調であったが、とにかく足を出すことだけを考え、聳え立つ閑谷の坂には心、体の再準備をして臨もうと決めた。同時に、とかく順調であることばかりを望む自分を深く反省した。
・伊里中ローソン到着時は、急がば回れ。これまでの反省を踏まえ、閑谷の坂に臨む前は、セルフマッサージ、栄養と水分補給、両頬を両手で叩く、暗かろうと厳しかろうと進むしかないとの心の切り替えなど、準備と覚悟を持つ。セルフマッサージは、新田さんに教えて頂いた軽い足もみ、シンプルだがこれ効きます!そのため、閑谷は、速くなくも確実な足取りで思いの他順調。おかげで、途中、荻野さんや関東から応援のために即帰岡下さった富田さんにも笑顔のガッツポーズ!また、下り坂の炊き出しにも元気に到着。やはり準備と覚悟は必須アイテムと実感!さらに下り坂の、吉永の方々、サポーターの方々の応援と暖かさで気持ちは高値のまま!ありがとうございました!
・坂を下りると時刻は22時過ぎ。やはりまさに暗闇に一人。だからこそ、一つでも多くの学び、気づきを得ようと再度心にする。揺るがさないためにも吉永駅付近で横田さんと友人たちへ即メール。
・また西原幹事が途中車を止め、お絞りを下さった。ありがとうございます。さらに気が引き締まった
・ただ、時間的なこともあり、藤野交差点あたりからどっとでる疲労感は誤魔化しきれなくなりつつあった。

6.一人じゃない!待っててくれる仲間の強さ
<和気の堤防歩道過ぎ〜瀬戸駅過ぎ>
・和気の堤防歩道を過ぎたあたりから、隠せぬ疲労と痛みはピークに達する。いつまでも見える平病院への苛立ちも手伝い歩調は一気に下降。気持ちも下降になりかけた。しかし、リバーサイドにはチャレンジャーであり8期生同期であり同僚である榎波くん、渡辺くん、そして、塩澤の応援に、忙しい中同僚2名が駆けつけてくれていた。彼らより遅れた分、なるべく元気な表情を見せよう、なるべく早く着こうとの気持ちだけが、確実にペースダウンするも、自分の足を動かしていた。逆に言うと、リバーサイドの2人がいなかったら、長時間休憩へと自分を甘やかしたかもしれない。待っててくれる仲間の力、一人じゃないってことは凄い!むしろ、一人でなんか生きて行けない!心から実感。たかだか数日伸びる痛みの後遺症を気にするよりもがっかりさせたくない気持ちが強かった。
・リバーサイドには0時過ぎに到着。同僚2人、遅くなっただけに帰ってるかもしれないと一瞬不安になったが、待っててくれていた。嫌な顔せず迎えてくれ、応援メッセージ旗つきのおにぎりやフルーツを用意してくれていた。あまりの嬉しさに一気にむしゃぶりついた。一気に疲れはとび、応援メッセージどおりに自分を信じ、残り3割を歩むことを決意。心と身体は一体なのか!? この後は歩調、気持ちともに一気に回復。夜中の道もキリンビールの看板ロードも、速くなくも確実な前進を実感。あっという間だった。仲間は本当に心強い。「一人じゃない」「一人でなんか生きて行けない」ってことをすごい実感。あの旗は一生大事にします!

7.「不調であっても前進、やるしかない」を再確認。そして、仲間との相互作用は「限界」を高めた!
<瀬戸駅過ぎ〜古都ローソン>
・時刻は真夜中。瀬戸駅のサポーターには元気に挨拶をするも、やはり疲労と痛みは隠せないどころか一気に増してきてしまった。さらに先の長い一本道を歩くことへのうんざり感から、歩調は一気に下降気味に。ただ、まだ歩ける自分だけを信じ、何度か追いつき追い抜かれを共にした波夛さん、多田さん、油田さんたちの背中を見つめ、そして何度も車を止め喝を入れてくださった上田さんの言葉を身にしませ、「不調であっても前進」これしかなかった。しかし、東平島交差点が近づくにつれ、段々と足が言うことを聞かなくなり、一瞬、いよいよ限界かとも頭を過った。
・多田さん、油田さんと東平島交差点で一緒になった。ここで足がいよいよ言うことを聞かなくなっており、古都ローソンまでの一本道の距離感も手伝い、一気に失速。時速は2.5km/h。深酒後の千鳥足以下か?何度もセルフマッサージやストレッチを繰り返すが、思うようには足が進まない。まさに絶不調でもしかしたら心が折れるのかもと感じた。何度も聞いた「限界」とはこういうことか?とさえ考えてしまった。情けない。しかし、3人で何度も励ましあいながら、時には弱音を吐きあいながらも、足を前へ前へ出し続けた。また、自分より足が辛いはずの山中さんと伴歩の吉冨さんが、力強く前を歩いていた。背中で語ってくれていた。吉冨さんには、途中のサークルKで2度目のマッサージをして頂いた。この区間を歩めたのは4人のおかげだと思う。逆に言うと、リバーサイド前に同じく、この4人がいなかったら、「限界」と勝手に思い込み、長時間休憩、最悪リタイア宣言へと自分を甘やかしたかもしれない。仲間の存在は「限界」値を高めてくれる。傷のなめあいは進歩がないが、相互作用は前進させてくれるし限界値さえも高めてくれる、そう感じた。「連携」の意味、深く握り締めた。1+1=∞。岡山政経塾は志もモチベーションも高い方々が集まる。相互作用がたくさん挽きだせるよう、自分も精進して行きたい。
・この区間の一本道は実際に長く単調。そして、それまでの歩行距離や疲れから、距離感はそれを遥かに超える。後の確認結果だが、実際、多くの人がここでは速度が落ちていた。もしかしたら、この区間は、ラストスパートに向けた再準備をするか、限界と感じて心を折ってしまうかの分岐区間なのかもしれない。この区間の辛さは多くの先輩方が口にされる。24時間100km歩行のコースはよく出来ているとこのレポートを書きながら感じる。

8.再度の覚悟と一人じゃない実感。そして本気ゆえの皆さんの喝(愛情)。総括の道だったのかもしれない。
<古都ローソン〜ゴール>
・古都ローソンには小山事務局長他たくさんのサポーターの方が待っててくださり、応援と喝をもらう。職場の先輩でもある荻野さん、富田さんの姿があったのも大きかった。正直甘えたくなったが、彼らの喝はそうさせてくれず、少し折れかけていた心が一気にまっすぐになる。途中、多田さん、油田さんとローソンで休憩取ろうかと話していたが、一気に元気をもらい、休憩ナシでも歩調は3人とも軽くなる。心と身体は一体なのか!?
・しかし、やはり疲れと痛みはごまかせず、東岡山駅以降、徐々に多田さん、油田さんとは距離が開いたが、ここはもう自分との勝負。閑谷で気づいた「覚悟」を再認識し、何があっても歩ききろうと覚悟した。既によれよれながらも歩ける足だけを信じた。「後遺症は勲章」図らずもそんな言葉が頭を支配した。道路からは、荻野さん、富田さん、山田さん、西村さんを始めとする方々が、時には何度も何度も行き来し、たかだか自分の歩きのために、恥をしのび喝を入れてくださり、ゴールで流そうと決めていた涙が再び堪え切れなかった。ただ、「ハイ!」と答えるのみ。再び、「一人じゃない」ってこと、強烈に実感。こちらが本気だからこそ、喝(愛情)を入れてくださる。
・隠しきれないが涙はゴールしてから、そう決めて最後の堤防を歩んでいた。しかし、蓬莱橋には何人もの仲間の姿が見え、感無量。再び涙。蓬莱橋では西村さん、富田さんが最後の喝とともに伴歩!涙拭けと言われるが、涙だけはもはや限界宣言。たかだか自分にここまで多くの方々が応援してくださったこと、そしてここまできた自分に感激の涙と共に、5/4  8:34にゴールを切った!
・ゴールテープには幹事、先輩、サポーター、そして職場の先輩や同僚と、たくさんの方々がいてくださった。涙ゆえに西原幹事は「感動的なゴールをありがとう!」との言葉を投げかけてくださったが、ただただ泣きたかった。スタート時に来てくださった先輩もいらっしゃった。後でスタート時、ゴール時、両方の自分の写真を確認したが、ゴール時は何とも言えない憔悴と泣顔。でも、全てが勲章であった!

9.結びと感謝
冒頭に重なるが、準備〜本番〜振り返り、一連の100km歩行が教えてくれたこと、それはこれからどんな物事や困難でも大切になる、そして、当たり前の基礎/基本ばかりであった。
@目的と手段を履き違えない。手段遂行への視野狭窄は梯子を掛け違える。
Aやるのは自分、でも一人じゃない。むしろ、一人でなんか生きて行けない。いつでも感謝の気持ちを。
B不調、悪状況こそ素直さを!warm heart & cool head、そして、確実な一歩を!
C準備と覚悟はパワーの源。
D仲間との相互作用。時には限界値さえも高めてくれる!1+1=∞!
E継続は力なり。油断大敵。
F心底の本気こそ吸引力!人を惹きつける!
G生きてる/生かされているって素晴らしい!
いずれも当たり前のことばかり。しかし、32歳社会人11年目の塩澤よ!君は出来ていたか?
このことに気づけた苦しくも楽しい22時間34分は、何物にも変えがたい価値ある体験!
塩澤よ!ゼッタイ忘れるな!何度でも復習せよ!

最後に、幹事各位、事務局各位、先輩各位、サポーター各位、同期各位、見ず知らずの私にエールを送って下さった沿道の皆様、応援に来て下さった同僚の皆様、吉永の皆様、本当にありがとうございました!無事時間内完歩出来たのも、皆さんのおかげです。感謝の気持ちでいっぱいです。
これからもどんな困難でもくじけず、素直な心で一歩、一歩、歩んで参ります!ご指導、ご鞭撻のほど、何卒宜しくお願いいたします。