2009年 100km Walk
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◆津村 泰弘(岡山政経塾 8期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「100km歩行を終えて、学んだ事。」
はじめに
歩行前の準備(心と体と物の準備)
心の準備。
目標を24時間で100キロ完歩する事に置く。
時速5キロで20時間、残りの4時間は休憩出来る。(4時間も休憩しないだろう)
多分、歩けるだろうと、思っていた。
体の準備。
歩く為の足腰の筋肉を作ること。
う〜ん、足腰の筋肉を短期間で作れる訳がない。
とりあえず、同期のみんなと20キロ歩行は練習なしで、しかもジーパンとスニーカーで歩けたし、なんとか、なるだろう。
飲み会の時は、自宅の新保〜中央町まで、往復6キロの道のりを5〜6回は歩いたし、飲み以外の時は、自宅の、周りを5キロ位1時間程かけて、4〜5回歩いたし、しかも小山事務局長が、練習なしでも完歩した奴も、いるんだぞって言ってたし、大丈夫、何とかなるさって、思っていた。
物の準備。
自分にあった、大きめのサイズの靴を選ぶこと。(例:ニューバランス、アシックス)
とりあえず、どっちかのメーカーの靴を買えばいんでしょ。自分は何となくアシックスの方が好きだからアシックスにする事に、決めた。
近くに靴屋もスポーツ店もないし、よし青江のジャスコに行けばあるだろう。行ってすぐに、アシックスのランニングシューズ発見。試しに履いたら、まあーこんな感じかなと思い、即効購入。確か値段は¥6980だった気がします。
値段なんて関係ない、自分に合ってればいいし、靴に金をかけるんなら、飲みに金かけた方が楽しいし、要するに、気合いでしょっと、思っていた。
以上、3つの準備は、バッチリだと、自分自身に、言い聞かせていました。
本番当日、スタート前。
体調はバッチリ、ミーティング、準備体操を終え、チャレンジャー全員と円陣を組み、同期の榎並くんの「全員完歩を目指して頑張るぞ〜」の掛け声のもと、全員で「エイエイ、オー」と誓いあった。
スタート〜10キロ。
同期の、古賀くん川口さんたちと一緒に歩き、沖田神社に11:46分に到着。先輩たちのハイタッチを受け、嬉しかったです。気分も、絶好調、何て楽しんだと思いました。
10キロ〜20キロ。
沖田神社を出発後、一人になり、政田のサークルKで、タバコ休憩後、すぐ出発。金岡の交差点で逢沢先生の、「頑張れよ〜」と言って右手を振ってくれた事で、好調をキープでき、マイペースを維持出来ました。
20キロ地点の大富の交差点の通過が13:59分、スタートして4時間、とりあえず時速5キロは落ちていない、そー思い、通過。
20キロ〜30キロ。
次に目指すは30キロ地点の飯井の交差点だ。途中、古賀くんと合流し、箕輪の交差点のサークルKで昼食。
おにぎり1個とお茶をのみ、タバコを吸って出発。出発後、途中道端で膝のサポーターを直したりした為、また一人に。
ここからは、練習でも歩いていない未知の領域だと思い歩いていたら、少し右足首に違和感を感じた。そんなに、痛みはないし、大丈夫だと思い歩いていたら、次に両足の親指が痛くなった。まだ、1/3も歩いてないのに、「クソー」っと思いながら、何とか、飯井の交差点に、16:24分に到着。やばい5キロ平均を下回っている。
そうこうする内に、同期の、森田さん、工藤さん、川口さんも到着。みんな頑張ってんだなーと思い、一人で出発。
30キロ〜40キロ。
次の目標は備前体育館だ。山越えが始まる。上りは指の痛みをこらえつつ上れたが、下りとなると足の指が、靴の先にあたって思うように歩けない。下りの途中、後ろから足音が聞こえ振り返ると、森田さんと工藤さんだ。
「指痛くない?」って尋ねると、工藤さんから「上りはいんだけど、下りは痛いよ〜」って言う反応から、みんな同じなんだと思いつつ、あっという間に自分を抜いて行ってしまった。
その時は、足の指全部と右足の足首は、かなり痛みが増していた。
どうにか備前体育館に着いたのが、18:48分。スタートして40キロで費やした時間が8時間48分。休憩に48分使っていたら、8時間で40キロ位=5キロ平均。自分では時速5キロが保ててないのは理解していたが、休憩に48分使ったんだと言い聞かせ、テーピングをやり直していると、仕事でお付き合いのある、秋山さんが「おい、津村くんじゃないか」と声をかけてくれました。あれ、「秋山さんは、岡山政経塾の何期生ですか」と尋ねると「3期生だよ」と言われ、世間は狭いなーと感じながら、世間話をし、知っている人に会ったせいか、少しホッとしました。
ここから閑谷学校までの道のりは練習でも歩いた道のりだ。テーピングも、やり直し、いざ出発。
40キロ〜60キロ。
次の目標は閑谷学校だ。足は痛いが、まだ心と気持ちは折れていない。備前体育館を7時過ぎに出発したから、閑谷学校に最悪でも23時30位には着きたいと思い歩き続けた。すでに日は暮れ一人ただ黙々と歩いた。
しかし、右足首は悲鳴をあげていた。少し歩いては休み、少し歩いては休みを繰り返しながらも、ひたすら歩いた。
松本橋手前で、同期の川口さんに、あっけなく抜かれ、ひょっとして最後尾と思い焦りはじめた。次に同期の古賀くんを発見。かなり苦しんでいて、故障しているのが、すぐに判った。「膝が曲がらん」と言ってかなり苦しんでいるが、今の自分には、どーしてあげる事も出来ない。「先に行ってくれ」といわれ、悪いなーと思いつつ、古賀くんを、あとにした。
休憩をはさみつつ、やっとの思いで伊里漁協に着いたのが22時前だった。10キロの道のりを3時間近くかかっている。
時速4キロ以下のスピードだ。この地点で24時間以内は厳しいなと、正直思った。気持ちも心も折れかけていた。
ふと、見るとスタッフの春名さんを発見。思わず春名さんに弱音を、吐いてしまった。「もう駄目。24時間以内なんてゴールできないよ、足も痛いし、ここで止めていいか?」と尋ねると、返ってきた言葉が「前半の50キロを12時間で歩けたんだから後半の50キロも12時間で歩けばいんだよ。リタイヤは許さん」だった。心の中では理解していたが、時間がない事が頭をよぎり、めちゃくちゃ焦っていました。よし、ここからリバーサイドまでの、20キロ休憩なしで歩いてやると、出来もしない事を心に決め、伊里漁協と、春名さんを、あとにした。目指すは閑谷、閑谷と思い、足は痛いが一歩一歩前進した。伊里中のローソンはスルーした。小山事務局長、スタッフの皆様から「頑張れよ〜」の一言に、すごく勇気が出てきた。
途中、足が痛くて休憩していると、4期生の高畠さんが車から降りてきて、右足首を、ガチガチにテーピングで固定してくれました。その後痛みは少し和らぎ黙々と歩いていると、閑谷手前で、7期生の藤井さんが合流し判歩して下さる事になりました。内心、「まあ〜1時間位したら、別れるんだろう」と思い、歩いていました。藤井さんとの会話は、あまり覚えていませんが、ただ一言「めんどくさかったら、話しかけても、答えなくていいから」と言われたのを鮮明に覚えています。なんて気のきく、優しい人なんだろうと思いました。足の痛みをこらえつつ、何とか閑谷学校に到着。時間は午前0:28分でした。備前体育館からの20キロ弱の距離が時間にして5時間40分もかかってしまい、時速4キロ以下でした。もちろん、地元の人の炊き出しも終わっていて、そのままスルー。残された距離と時間は、40キロに対し9時間32分で、時速4キロ平均では、ゴール地点の後楽園に辿り着けない事にその時、気がつき、ヤバイと感じたのを、覚えています。
60キロ〜82キロ。
閑谷学校を午前0:28分に通過し、頭の中の目標タイムを和気のリバーサイドまでの約10キロを、時速5キロで午前2:30分にしました。閑谷からの下りは想像していたよりも、楽でした。
足の指先が靴にあたりつつも、何とか我慢できる範囲でした。どうにか山を下り吉永の交差点を左に曲がりかけた所、道の向こう側に、小山事務局長とスタッフの方を発見。「頑張れ〜」と声援をうけ、小山事務局長が「おまえ、わりと頑張るな〜」と励まされ、一言「有難う御座います」とだけ返事を返し、リバーサイドに向かいました。リバーサイドに向かう途中、何回か足のストレッチをしました。途中、藤野の交差点を過ぎたあたりで、タバコ休憩をした時に最後の1本を吸ってしまったので、この次は熊山のセブンイレブンまで、休憩出来ないなと思い、ひたすら歩いていると、同期の井上さんが、道端でうずくまっていました。足を故障したみたいですが、判歩の藤井さんが、かけよって行かれましたので、自分はそのまま歩き続けました。
やっとの事でリバーサイドに着いたのが午前3:20分でした。そのままスルーしましたが、閑谷からの約10キロが2時間52分もかかり、またもや、時速4キロ以下かと思いつつ距離にして、スタートから、70キロも歩いたんだ、2/3はクリアーしたんだと、少し優越感にひたっていました。ここから先は地元が瀬戸町なので、頭の中に地理と距離は何となく理解していた。「あ〜タバコが吸いたい」と思いつつ熊山のセブンイレブンに到着。小腹が空いたので、着いてすぐにタバコと水とおにぎりを購入。スタッフの方が椅子を用意してくれ、「本日2回目の食事だなー」と思い、おにぎりを即効食べてタバコを吸って出発しました。そこから、地元の瀬戸町までは、必死に歩き82キロ地点のJA瀬戸に着いたのは午前6:31分でした。正直、地元まで歩いたから、このまま実家に帰って休みたいと思いました。JA瀬戸には女性で7期生の小河原さんがいて、「ペース上がってますよ。次は平島の交差点で待ってます」と言われ、止めように止めれなくなりました。この地点で自分に残された距離と時間は、18キロに対し3時間29分でした。
82キロ〜90キロ。
ペースが上がったとはいえ、時速5キロも出ていればいいほうだ。いや出ている訳がない、リバーサイドからJA瀬戸までの12キロを休憩をはさんだけど、3時間11分かかっている。時速4キロかと思い残り時速6キロで歩けたとして3時間。んな事、絶対無理だと思い、とりあえず平島交差点を目指しました。その間、春名さんから電話があり、またまた弱音をはいてしまった。「ゴメン。もう止めていい?完歩は出来たとしても24時間以内、10時までには間に合わないよ」すると返ってきた言葉が「入塾式の後、絶対完歩します、足が折れても、肘で前進しながらでもゴールするって言っただろう」と、言われ、折れかけていた気持ちが少し復活しました。JA瀬戸から平島の交差点は、判歩の藤井さんの励ましもあり、何とか辿り着けましたが、古都のローソンまでが、めちゃくちゃ長く感じました。歩いても歩いても全然着かない。しかも見えない。ただ、その時、時間の事は頭から忘れていました。ローソンまで着けば約90キロ地点。残り10キロなんだと思いひたすらローソンを目指しました。その間7期生の荻野さんが、車を少し走らせては止め、走らせては止めと、何回も応援して下さいました。どーにか古都のローソンに着いたのが午前8:24分。
スタッフの方が用意してくれていたオレンジを2ついただき、即効で食べました。めっちゃおいしかっです。少し生き返りました。休憩をはさみ、出発したのが午前8:30分頃でした。
その地点で、残された距離と時間は、10キロを1時間30分で歩く事でした。
90キロ〜100キロ
幸いな事に、足の指と足首は激痛が走っていましたが、膝は故障していませんでした。すでに右足はビッコを引きながら明後日の方を向いていましたが、何とか一歩一歩前進しました。東岡山駅の手前から荻野さんがずっと励ましてくださり、東岡山駅〜竹田橋まで、車で少し進んでは車から降りて、自分と藤井さんの隣まで来て下さり、無言で、俺に着いて来いと言わんばかりに時速7キロの歩きをしてくれました。あの荻野さんの歩きがあったから時速7キロペースには、到底ついて行けれませんが時速6キロ位には上がったと思います。藤井さんと荻野さんが、こんなにも自分の為に、一生懸命頑張って支えてくれている。春名さんも応援してくれている。そんな先輩方の気持ちを決して無駄にはしたくない。色々なことが頭をよぎっていました。例え午前10時に間に合わなかったとしても、絶対に完歩してやる。その後は、時折、荻野さんが歩いてくれる時速7キロペースの背中を追いかけました。高島駅付近からは、今度は7期生の難波さんも判歩に合流して下さり、自分の前に難波さん、後ろに藤井さんといった縦列で黙々と歩き続けました。竹田橋を通過し百間川の土手に着き、下りた所でまたまた、先輩たちが合流してくれました。6期生の丹生さん、7期生の西村さん、富田さん、山崎さんでした。自分一人の為になぜ、こんなに多くの人が。その時自分の心の中では、先輩方に「ありがとう御座います」を心の中で繰り返し言っていました。その地点で自分の為にも先輩方の気持ちに応える為にも、残された距離と時間は、約2キロを20分以内にゴールする事でした。ひたすら後楽園を目指しました。途中、丹生さんが「走れ走れ、走らんと間に合わんぞ、こんな事来年もまた、したいんか?24時間99キロで終わるんと、100キロで終わるんと、どっちがえんなー」もちろん24時間以内100キロ完歩で終わりたい、でも頭では、理解しているが、体がついて行かない。クソっと思いつつ、ただ、ひたすらゴールを目指した。またまた、丹生さんから、激励か罵声か判断出来ないが、「走れ、走れ、来年もしたいんか」と何度となく繰り返し言葉が飛んできた。自分の中で、段々闘志が芽生え「ヨシ、やってやる」と言い聞かせた。この際、足が折れようが、筋や血管が切れようが、やってやる走ってやる、ゴールは、あと少しすぐそこだと思い最初の一歩を踏み出した。激痛は感じたが、走りを止めたら、二度と走れない。このままの勢いで走り通してやると思い、ひたすら走った。その間、先輩たち全員が「右、左、右、左」「ファイト〜」「右、左、右、左」「ファイト〜」と何十回も繰り返し、並走しながら叫んでくれた。自分の中で、先輩方と一体感が、生まれた気がした。
赤い橋の上からも、何人かの人が手を振ってくれているのが見えた。正直嬉しかった。更に加速した様な気がした。最後の階段を上がる時は、痛みも何も感じなくなっていた。階段を上がりきり、赤い橋を目指した瞬間、自分の中で、絶対ゴール出来る、24時間以内に間に合うと確信した。赤い橋を通過しゴール直前に、誰かが「両手をあげて、笑顔で」と言ってくれたのが、今でも覚えています。言われるがまま、そのポーズをとりゴールテープをきりました。ゴール時間は午前9時57分。トータル時間にして23時間57分でした。ゴールした瞬間先輩たちに囲まれ、今まで生きて来た中で一番と言っていい位、幸せな気持ちになれました。こんな気持ちにさせてくださり、心から感謝の気持ちでいっぱいです。言葉では伝えきれません。ありがとうございました。
最後に。
100キロ歩行を通じて自分自身、学んだ事は、自分を助けて下さった方全員の方、幹事の方々、小山事務局長、スタッフの方々、サポート隊の方々、先輩方々、同期の方々、すべての人に、心から「ありがとう」を伝えたいです。今まで自分に、かけていた、感謝の気持ち、協調性、を再認識出来ました。人間決して一人では生きて行けない、例え生きて行けたとしても、一人より周りに理解者がいた方が楽しいに決まっている。今までの自分は怠慢な所、ない物ねだりなど、たたあった気がします。日本人として産まれてきましたが、人に対して「ありがとう」と「ごめんなさい」の言葉が素直に口から出て来たか?多分出てないだろう。口に出さなくても解ってくれよと思い、何も相手に伝えきれてなかったと思います。100キロ完歩してみて、色々な事を学びました。
感謝、助け合い、協調性、連帯感、執着心、闘志、喜び、感動、達成感、友情などきりが、ありません。
ただ、100キロ歩行を完歩して最後に言えるのは、今まで、仕事に対しても何に対しても、諦めたり弱音をはいたり挫折したりしていましたが、100キロ歩ければ何でもで出来るという気持ちに、なれた事です。今までの自分自身の悩みなんて、ちっぽけな物に感じました。これからは、何に対しても前向きな強い人間として生きていける気がします。過去の自分は完歩した瞬間捨てました。
これからも、幹事の方々、小山事務局長をはじめ、先輩方々、同期の方々、宜しくお願い致します。皆様、ありがとうございました。
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