2009年 100km Walk
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◆井上 英明(岡山政経塾 8期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「理想と現実の挟間」
はじめに
「24時間100q歩行」完歩を宣言しながら、75Kmほどで、タイムアップを迎えた事は、何とも言えないぐらい残念で、無念で、情けない思いで一杯です。
最初から歩けないと思って参加していたのなら、まだ、納得もいったかも知れませんが、
練習を重ねて、自分自身では、完歩のイメージも出来ていたにも関わらず、練習時には、予測も出来なかった足のトラブルで、歩けなくなった事を反省しつつ、このレポートを書いています。
準備段階
合同練習に最初に参加した時、何とか付いていけたものの、スピードの速さに驚かされました。7期生の西村さん、8期生の采女さんのスピードは、尋常ではなく、衝撃的でした。当初、練習会には、全回参加しようと考えていましたが、仕事の関係で、思うように参加出来ず、毎週の合同練習への参加は、2、3回に留まりました。合同練習に参加出来なかった部分は、自宅での自主練習に切り替える事で補うようにしました。2日に一度、仕事が終わってから、夜11時からの1時間を歩行練習に当てました。
備前体育館から閑谷学校までの20Kmの全体練習時には、7期生の荻野さん、西村さんからテーピングや装備について細部にわたってレクチャーを受けられた事は、大変参考になりました。また、夕方から、夜の時間を大勢で歩いてみて、夜間装備をつけていない人は、後ろからは、全く見ない事がよくわかりました。おかげで、蛍光テープやヘッドライトなどの夜間装備の重要性も実感させてもらいました。
この20Kmの練習を歩いてみて、多少の筋肉痛はあったものの、「20Kmの距離は大丈夫だ」と感じました。そして、もっと、長い距離や違うコースを歩いて、体への負担や疲労の残り具合を確かめてみたいと思い、平日の夜の合同練習の後に、後楽園から沖田神社への往復練習を行ったり、最後の合同練習だった古都ローソンから後楽園までの練習の後に、後楽園から、倉敷市真備町の自宅までの33Kmを歩いて帰る練習をしました。
この時、筋肉痛は20Kmの時より、激しく、全身疲労もありました。この33Kmを歩いた事で、100Km歩いた時の足の痛みや疲労度が、自分なりに、なんとなくイメージが出来た事は、大きな自信になりました。
装備については、先輩方のレポートや同期生との練習時の会話の中からの情報を、参考に試行錯誤を繰り返しました。
シューズ、タイツ、リュック、ヘッドライト、ドリンクホルダー等、自分が、歩き易く、エネルギー補給をし易い装備を理想に構成をしました。
テーピングについては、自分でするつもりで、キネシオテープを購入していましたが、小山事務局長の「プロに任せた方がいい」とのアドバイスもあり、整骨院で前日にして頂くことにしました。
当日
朝5時に起床。絶好の歩行日和。朝食も普段通り十分な量を摂り、装備、携行品の最終チェックをして、電車で、後楽園に向かいました。
後楽園では、既に、関係者が集まり、芝生の所には、異様な雰囲気の集団が、それぞれの思いを胸に準備をしていました。
全体説明やストレッチが終わった後、チャレンジャー全員で、円陣を組み、気合いを入れた。スタートに向けて、気分が最高に盛り上がった瞬間だった。
後楽園から飯井交差点
8期生の采女さん、榎波さん、吉田さん達とトップ集団でスタートし、最初のチェックポイント沖田神社までは、榎波さん、吉田さんと3人で歩いた。この頃は、周りの風景や景色を眺めたり、コース沿いの民家の方と話をして、楽しむ余裕があった。
金岡信号から箕輪交差点までの間では、吉田さん、1期の柳井さん達に抜かれ、小山事務局長と立ち話をしている間に、8期生の渡辺さんにも抜かれていった。
渡辺さんに抜かれた事で、自分のペースが落ちているのかと不安になり始めた。そして、当初、予定していた10Kmごとの休憩を変更して、休まず歩く事にした。
(この予定の変更が、後で、完歩を妨げる要因の1つになろうとは、この時は予想もしていませんでした。)
飯井交差点では、サポート隊の方々が、休憩を勧めて下さったが、次の休憩場所は、備前体育館に変更していたので、「すいませんが、先に行きます。」と言いながら、通り過ぎた。通り過ぎる瞬間、飴やお菓子を手渡してくれた心遣いが、嬉しかった。
飯井交差点から備前体育館
飯井交差点を越えての登り坂では、歩きながら地元の方に100Km歩行について説明をする余裕もあった。7期生の高梨さんの応援の言葉にも勇気づけられた。
最初のアクシデントが起こったのは、飯井交差点から鶴見の三叉路に向かう下り坂でした。左足を踏み込んだ時に、激痛が走り、危うくバランスを崩し、転倒しそうになった。
そこから、左右の足のバランスが取れず、坂を下りきるまでは、左足に負担がかからないように細心の注意を払いながら、歩いた。その後は、鶴見の三叉路で、逢沢幹事が、車で通られ、「よく頑張っているね。いいペースだよ。」と声を掛けて下さった事も、励みになり、一路、備前体育館を目指した。備前体育館から閑谷学校までのコースは、練習で経験済みでもあり、早く知っているコースを歩きたいとの思いもあった。
備前体育館から閑谷学校
備前体育館に着いて、15分間の休憩を取った。足のマッサージや飲料の補給を済ませ、出発した。休憩中、8期生の多田さん、波多さん、山中さんらが、続々と到着してきていた。自分が、当初、想定していた時間より、相当遅れている事に焦りを感じながら、一心に歩いた。市民センターを越えた辺りで、休憩中、多田さんに追い付かれ、伊里漁協を越えた辺りまで、一緒に歩いた。沖田神社から、ここまで、一人で歩いていた自分にとって、
多田さんと歩ける事は、本当に心強かった。伊里漁協と伊里中ローソンの中間地点に差し掛かった辺りで、再び、左足に激痛が走り、左足首が動かなくなった。多田さんは、気遣ってくれたが、この状態では、一緒に歩く事は無理だと判断し、先に行ってもらった。
縁石に座り、エアーサロンパスを患部に吹き付けるが、全く改善する気配は見られなかった。ずっと、休んでいるわけにもいかず、左足を引きずりながら、伊里中ローソンを目指した。途中、8期生の波多さんにも抜かれ、やっとの思いでローソンに着いた時には、後続の山中さん、油田さん、濱本さんも相次いで到着していた。
ここでは、みんな、それぞれに足の手入れをしていた。準備が出来て、濱本さんに続いて、閑谷学校へ続く坂を登って行った。坂の1/3地点で、先行した濱本さんが、休憩していたので、一緒に歩く事にした。途中、油田さんが、掛け声を掛けながら、すごい勢いで追い抜いて行った。2人で付いて行こうとしたが、無理だった。
リバーサイドへの遠い道のり
閑谷学校のトンネルを越えたところでは、地元とサポート隊の皆さんの温かいもてなしを受けた。寒く暗い道を歩いて来た身には、本当にうれしかった。当初、閑谷学校まで歩けば、もう固形物は喉を通らないぐらい疲れているだろうと予測していたが、予測に反して、おにぎり、温かいこぶ茶、バナナなど、たくさんの物を頂いた。上半身は、至って元気だった。この元気を足に分けてやりたいなどと馬鹿な事を考えながら、食事をしていた。
この休憩所でも、荻野さんをはじめ、サポート隊の方々に励ましの言葉を頂き、進んでいく勇気をもらった。
後から、休憩所にやってきた8期生の山中さんが、休憩所から出発するのに合わせて、出発したものの、足の痛みが、歩くたびにどんどん増していき、足首が動かなくなってきた。普通に歩くという動作が難しくなっていた。何度となく、休憩を取りながら、歩く中で、8期生の塩澤さんと一緒に吉永のローソンまで、歩く事になった。
前に、ほとんど進めなくなっていた自分にとって、塩澤さんの存在は、非常にありがたかった。
吉永のローソンでは、サポート隊の7期生の上田さんと岩井さん、先行していた山中さんの伴歩をしていた7期生の吉富さんに足のマッサージや足の手当て、長袖に着替える手伝いをして頂いて、出発をした。
ここから、藤野交差点までは、バランスが取れず、フラつきながら民家の塀や門を伝い歩きしながら、進んだ。気力と体力はあり、少しでも前へ進もうという思いもある。でも、足が思うように動かない。この区間は、そのジレンマとの戦いだった。
そして、藤野交差点を越えて、リバーサイドまでが、この100Km歩行で、最も長く感じた区間だった。藤野交差点から土手の上を進む道では、1人で、伝い歩き出来る塀や門もなく、杖になる枝や木材を探したが見付からず、2、3度転倒しながら、進んだ。3度目に転倒した時には、さすがに起き上がる気力が、無くなり、土手の石段で横になったまま、ひたすら足をマッサージしていた。この足の痛みをどうにかしたい。その思いで頭が一杯だった。そのうち、「何で、こんな事になっているんだろう。こんなはずでは、なかったのに。」などという思いも頭をかすめた。全く想定していなかった現実だった。
横になる事で、足の痛みがなくなったせいもあり、初めて、緊張の糸が途切れ、不覚にも睡魔に身を委ねてしまった。どれくらい後か、ふと気が付くと人の声がしていた。
8期生の工藤さんと森田さん、サポート隊の伴歩の方、3人が通り過ぎる後ろ姿が見えた。
いつの間にか眠ってしまった不覚を悔みながら、すぐに起き上がり、3人の姿を探したが、すでに闇の中に消えていた。ここから、上がらない足をすり足と伝い歩きで進めながら、リバーサイドを目指した。途中、サポート隊の方々、小山事務局長が、車で通りながら、時には、車を止めて声をかけて下さった事、西原幹事が、温かいタオルを差し入れて下さった事は、涙が出るほど嬉しかった。
ただ、歩けど歩けど、リバーサイドは、見えてこず、街灯の明かりと暗闇が広がる景色が、一向に変わらない現実には、溜息が出た。そんな中、ペースが落ち切っている状況を確認されていた3期生の横田会長が、電話を下さり、足を痛めて思うように歩けていない状況を伝えると、車を飛ばして駆けつけて下さった。すぐ、足の状況を見て下さり、小雨が降る中、応急手当をして下さった。この時ばかりは、感謝の気持ちと申し訳ない思いとで胸が一杯になった。「ここでは、何も出来ない。とにかく、リバーサイドまで来い。歩けるか?」との言葉に、その思いに応えるべく「はい、行きます。リバーサイドまでは是が非でも、行きたいんです。」と答えて、歩き始めた。直後に、小山事務局長が、再度来て下さり、「その足、相当厳しそうだね。見ていてよく分かるよ。どうする?」と聞かれた。
これは、「リタイアも視野に入れて考えろ。」との事なのかと一瞬考えながら、「いえ、大丈夫です。リバーサイドに行きます。」と答えていた。休み休みに歩を進める中、8期生の津村さんと伴歩の7期生の藤井さんが、追い抜いて行った。藤井さんは、声を掛けて下さり、色々と心遣いをして下さいました。サポート隊の方々も来て下さり、急遽、7期生の端山さんが、伴歩をして下さることになり、1人で歩く時間が多かった自分にとっては、本当にありがたかった。端山さんは、「自分のペースで、無理せず、歩いて下さい。」と足の事を気遣いながら、声を掛けて下さった。休憩中には、マッサージもして下さり、気分的には、相当楽になった。そこから、リバーサイドまでは、5期生の源さんと抜きつ抜かれつで、進んでいった。やはり、共に歩く(競う)人がいるのといないのでは、雲泥の差であると感じた。源さんに遅れる事、10分、午前4時。藤野交差点から、約4時間。やっと、念願のリバーサイドに着いた。本当に長い道のりだった。この区間は、今まで歩いて来た閑谷学校までの60Kmより長いんじゃないかと感じたほどだった。
リバーサイドからタイムアップそして後楽園へ
リバーサイドへ着くと、待って下さっていた横田会長が、すでにゴールして応援に来ていた2期生の能登さんとその友人の方と共にすぐに手当てをして下さった。テーピングを取り、患部をチェックして、「これは、ちょっと酷いね。」「このまま歩けますか?」「う〜ん、ちょっと休んで、様子を見た方がいいよ。」そんなやり取りの中、足を長椅子の上に載せられ、寝袋の上に横になった。おかげで今まであった圧迫感と痛みが全く無くなった。寒くなって来た為、エアコンが効いた車の助手席に移された。その解放感と安心感、心地よさから、再度睡魔に襲われ、眠りに落ちた。サポート隊の方に起こされ、時計を見ると午前5時20分。約1時間ほども寝ていた事になる。「さあ、行きますよ。」と言われ、躊躇している自分がいた。ここまでの道のりで、足の痛みと範囲がどんどん大きくなって来ていた事、足の患部をチェックされた時に「これは、ちょっと酷い」と言われた事、多くの同期生に抜かれていった事、そして何より、完歩の可能性が、全く無くなっている現実に心が折れていた。携帯電話を取り、小山事務局長に連絡。「足はどう?」との問いに小さな声で、「リタイアを考えています。」「それはいいけど、本当にそれでいいのか自分でよく考えて結論を出しなさい。すべては、自己責任です。」そのやり取りで電話は切れた。
このチャレンジに臨む前、自分には完歩出来るイメージしか無かった。それなのに完歩出来ないのに歩いて、意味があるのか?24時間歩いて、足をもっと痛めて、治療が長期化して、仕事に支障が出て会社に迷惑がかかったらどうしようか?などということまでが頭を巡っていた。その時、「三島さんが、もうすぐここへ到着します。」との声が聞こえた。
「だいぶ後方ですが、古賀さんも歩いてこちらに向かっています。」その声を聞いて、ほんの少しでも真剣にリタイアを考えた自分が恥ずかしかった。穴があったら入りたい気持ちだった。再度、「井上さん、どうします?」と声を掛けられ、「行きます。」と答えていた。
そこからの行動は、早かった。テーピングをし直し、靴下をはき、装備を付け、準備を整えた。リバーサイドを出る時、三島さんが、伴歩の7期生の池田さんと橋を渡っているのが見えた。心の中で、「ありがとう」を呟きながら、松木交差点を目指した。
出発して、1Kmほどは、予想以上に足が軽く、休憩・睡眠の効果がうかがえた。
端山さんからは、「後半に差し掛かって、あれだけ寝たのに、足が硬直していないなんて、おかしいよ。」と言われるぐらい患部以外の部位は、筋肉痛も和らぎ好調だった。
ただ、そこから先は、足首が再度、硬直しはじめ、休憩をこまめに取らないと前に進めない状態だった。休憩の度に足をマッサージして下さった端山さんには、本当に頭が下がった。そのうち、三島さんと池田さんが視界に入ってきた。正直、驚いた。
リバーサイドで見た姿からは、想像が出来ないぐらいの急速な追い上げだった。もうこれ以上、誰にも抜かれたくないと思いながら、歩を速めようとするが、思うように進めず、直後まで、迫られた。抜かれたと思った瞬間、三島さんは、道に腰を下ろし休憩を始めた。
そこからは、抜きつ抜かれつで、ほぼ同時に松木交差点にたどり着いた。
松木交差点では、横田会長をはじめとするサポート隊の方々が拍手で迎えてくれた。
横田会長は、すぐに椅子に座らせてくれ、座ると同時にマッサージを始めてくれ、端山さんは、コンビニでおにぎりを買ってきてくれた。
ありがたいという思いと申し訳ないという気持ちで一杯だった。
マッサージしながら、「お前、足、全然硬直してないじゃん。これなら大丈夫、行ける行ける。万富のサンクスまでは、行けよ。」と檄を飛ばしてくれた。10分の休憩の後、出発。残り1時間30分でどこまで行けるかが、勝負だった。一段高い橋の上に登り、周りを見渡した時に、遠くに山陽自動車道の高架が見えた。「せめて、あそまで行きたいですね。」「行けますよ。行きましょう。」などと会話を交わしながら、歩いた。ここからの道のりには、斜めの歩道と砂利と砂のある道路が、待っていた。足が上がらず、すり足で進む状態には非常に悪い条件だった。
先輩達の話の中での、後半は、道路の白線の厚みも気になるという言葉も実感した。
途中、民家の方から、応援しているから頑張れとの言葉も頂いた。本当にうれしかった。
最後まで、歩く原動力になったとも思う。そして、9時55分。遠いと思っていた山陽自動車道の高架下にたどり着いた。少し広くなっている草の上に2人で腰を下ろし、休憩した。端山さんからは「今だから言うけど、リバーサイドまでの歩きを考えると正直、リバーサイドに着いた時点で、井上さんはもう無理だと思ってました。だから、今ここでこうしている事は、あの状態から考えると本当に奇跡みたいなもんですよ。正直、驚いています。」との言葉をもらった。「これも、横田会長、伴歩してくれた端山さん、サポート隊をはじめとするの皆さんのおかげですよ。」そんなやり取りの後「24時間歩けた事は、良かったですけど、100Km完歩出来なかった事は、みんなに申し訳がないです。」「確かにそうかも知れませんが、我々7期生は、完歩しているので、誰も24時間歩き続けた人がいないんですよ。24時間歩き続ける事は、完歩出来なくても諦めなかった人だけが経験出来る事なんですよ。貴重な経験が出来てると思いませんか?」その言葉で、少し気が楽になった。そして、午前10時を迎えた。初めての100Km歩行へのチャレンジは、ここで終った。
三島さんと後楽園へ戻る車の中、8期生のみんなの顔が浮かんだ、本当にみんなに申し訳がない。どんな顔をして、みんなに会おうか?そんな事ばかり考えていた。
後楽園について車から降りると、皆さんに拍手で迎えられた。恥ずかしい思いで一杯だった。小山事務局長からは、「24時間歩けたようだね。良かった。良かった。」横田会長からも、「歩けたじゃん、良く頑張ったな。」そして、荻野さんからは、「お前が、練習もせんと楽してて、こんな結果なら、なんか言うかも知れんけど、練習も一生懸命、がんばってたのを知ってるからな、誰も何も言わんよ。こんなのは、 時の運よ。次、頑張れば、いいんよ。」との言葉をもらった。本当に嬉しかった。涙が出た。
そして、同期8期生の姿を探した、完歩してる人は、芝生の上にいた。みんな体は、満身創痍だったが、完歩した充実感から、笑顔が多かった。1人ずつ見付けていき、「申し訳ない。」と頭を下げた、みんな、「いいよ。」「気にするな。」と言いながら、手を差し出して握手をしてくれた。
最後にサポート隊に両脇を抱えられながら帰って来た古賀さんには、「井上君、さぞかし無念だったやろうなぁ。歩けると自信持ってた分だけ悔しいやろうな。まあ、来年一緒にがんばろうや。」と笑いながら言われた。
反省と気付き
知識が足りなかった事。
装備は、十分だったが、怪我や疲れた時のストレッチの知識が、ほとんど無く、休憩時のストレッチの仕方や患部への処置が全く間違ったものであった事。その為、患部の状態を必要以上に悪化させた事。また、体をケアする医薬品の備えが少なすぎた事。
己を知らなかった事。
高揚感とそれなりに練習をした事で、油断をした事。練習量は、それなりに多かったが、タイミングや疲労度を確認しないでいた事。限界や状態をわかっていなかった事。
自分自身の甘さを痛感してます。
覚悟が決まっていなかった事。
歩きたい、歩けるとの思いから、強固な信念や絶対的な覚悟が定まっていなかった事。
最後に
小山事務局長をはじめ、幹事の方々、OB、サポート隊の方々には、お世話になり、本当にありがとうございました。また、一番苦しい時に駆けつけて下さり、数々のお心遣いを下さいました3期生の横田会長、急遽伴歩について下さり、長い時間付き合って下さった7期生の端山さん、終わった後、岡山駅までの予定を変更して倉敷の自宅まで送って下さった6期生の大原さんには、いくら感謝してもしきれません。本当に、本当にありがとうございました。皆さんのお陰で、24時間歩く事が出来ました。
それから、完歩された皆さん、本当におめでとうございます。そして、同期8期生の皆さんには、本当に申し訳ない気持ちで一杯です。「8期生全員完歩」の目標を妨げた事をお詫びすると共に、今回のチャレンジで学んだ教訓を胸にこの一年、研鑽に励みたいと思います。
そして、来年、再度この100Km歩行に挑戦し、反省点を生かし、完歩を成し遂げたいと思います。完歩を成し遂げた後には、今回のサポート隊・伴歩者の皆さんのように次代のチャレンジャーに勇気を与えられるような存在になり、貢献出来る事を目標に努力していきたいと思います。
本当に、素晴らしい気付きの場と機会を頂いた事に改めて感謝致します。
本当にありがとうございました。
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