2009年 100km Walk
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◆山崎 悠(岡山政経塾 7期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「岡山政経塾24時間100km歩行レポート」
1、はじめに
5月3日・4日、今年も岡山政経塾24時間100km歩行が行われた。私は、サポーターとしてこの行事に参加させていただいた。ここに、24時間で得た学びを記す。
今回は、事前準備には携われなかったので、当日参加という形であった。朝の後楽園には、独特の緊張感が漂っていた。しかし自分の意識は去年とは違い、どこか浮ついていた。
サポーターをする上で、事前に決めていたことが2つあった。サポーターである以上、笑顔を絶やさないこと。モチベートの仕方を実践で学びとること、の2つである。
しかしこれが容易なことではないことにすぐに気がついた。
2、頭でっかちの午前中
去年、自分がチャレンジャーとして参加していたとき、一番うれしかったこと。一番元気づけられ、勇気をもらえたこと。それは、サポーターの皆さんからの声援であった。
各チェックポイントや車ですれ違う際に、何気なく送ってくれる声援が自分の一歩一歩を支えてくれていた。来年はあの立場に自分が立ち、実践するのだと決意していた。
しかし、実際チャレンジャーの方々を前にすると、何と声をかけていいのか分からない。「がんばってください。」の一言にも、どう見てもがんばっている人にそんな声かけをしてもいいものか、と悩む。一番年下の自分がえらそうに何も言えたものではない、などと考えた。次第に声は小さくなり、笑顔もひきつったものになっていった。いろいろ理屈をこねまわして、結局気恥ずかしさに負けていたのだ。
そんな具合で、大したサポートもできず、日が暮れようとしていた。夜からは伴歩の大役が待っていた。
「自分に何ができるか。」
「どんな風にしたらいいのか。」
「一番年下のぼくが。」
緊張と不安から、ネガティブなことばかりが次々と浮かんでくる。そんな思いを払拭してくれたのは、私が伴歩の担当をすることになっていた榎本先輩の歩く姿であった。日中を歩き切り、かなり足取りは重い。しかし目の輝きは失っていない。様々な日常をおいてきて、今この瞬間に全身全霊をかけている。
いつもスロースターターの自分である。目の前のチャレンジャーの方のそんな姿を見て、やっとエンジンがかかった。今まで同じ土俵に立てていなかったことに気づき、恥ずかしく思った。まずは40km地点まで、おともさせていただきます。
3、自分にできること
自分にできることは他愛もないお話でも気を紛らわせること。次のチェックポイントへと意識をつなげること。自分が精いっぱい元気に楽しく歩くこと。それだけだった。
パートナーが何を求め、自分に何が求められているのかを把握し、実践すること。力づける素敵な言葉も器用な技術もないけれど、相手を思うことに専念した。
極限状態で歩いている方の横でそんなことを思うのも不謹慎かもしれないが、伴歩はとても楽しかった。幸い、そんな思いが伝わってくれたのか、榎本先輩も元気になっていったように思う。そして力強い先輩の歩みがまた、私を元気づけてくれた。
思いは伝播する。ポジティブな思考は、人から人へと伝わっていく。それがサポートをする上での心構えなのかもしれないと感じた。
途中、前線へとシフトすることになったため、最後まで榎本先輩のサポートをすることはできなかった。
今度は自分よりさらに年上の方であり、過酷な状態を歩いてらっしゃる方のサポートとなったが、最初のような迷いはなくなった。時間内にチャレンジャーの方を後楽園へ。その場所で自分のできることを、精一杯する。当たり前のことである。しかし、迷いや不安だらけで頭でっかちの状態の時には、当たり前のことが当たり前にできなくなる。
最後の伴歩。沿道からすれ違いざま、荻野さんが「どうにか時間内に後楽園まで連れて行ってあげてくれ。今は鬼になっても、後で謝ればいいから。」と声をかけて下さった。いつでも目標に対してクリアでまっすぐである。リーダーとはこういうことができる人なのだ、と思った。
4、最後に
バカはだめだけど、バカになれないやつはもっとだめだ。「当たり前」のことを、「バカになって」、「きちんとやる」。この3点が何事においても必要であり、自分に絶対的に足りないと感じた。
同じ時間を共有し、同じ行事に参加しても、そこから得る学びは各人各様。岡山政経塾に関らせていただくたび、その懐の深さ、学びの豊かさに感動する。このような貴重な経験を与えてくださった、関係者の皆様、本当にありがとうございました。感謝の気持ちを体験的に学べることも他にない機会だと思います。自己鍛錬は社会人の義務。これからも研鑽を続けていきたいと思います。
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