2010年 100km Walk
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◆井上 和宣(岡山政経塾 9期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「目標を達成するために」
2010年5月3日午前3時48分。私は限界を超え、未知の領域で自分自身と戦いぬき、その事業の崇高な目標を達成することが出来ました。自分自身で24時間以内に100キロ歩くことを決めていたので、もちろん心身共に極限状態ではありましたが、一度もゴールを疑うことなく、心が折れそうになることもなく、ほぼ計画通りに完歩しました。
今は、3日午後5時です。なぜ、それが可能になったか。記憶が鮮やかな内にレポートをまとめたいと思います。
3月13日、移転したばかりの岡山政経塾事務所で入塾説明会が行われました。そこで初めて同期の仲間達とも顔を合わせました。小山事務局長から設立趣意に続き、年間スケジュール、カリキュラムの説明を受けました。そこで初めて、「24時間・100キロ歩行」の考え方、準備すべきこと、練習日程を言い渡されました。「限界を超え、未知の領域に挑戦し、勇気と精神力を養う」という事業目的を学び、さらに、自己責任で心と体と物の準備を行うよう命ぜられたことは、私に予想を遙かに超える衝撃を与えました。ここが、全てのスタートになりました。当日配布された同期9期生名簿を見て、私が圧倒的に年長であること、20,30代のスポーツ経験が豊富そうな方がメンバーの大半を占めていることを考えれば、「間違いなく一番迷惑を掛けるのは私だ。」と悟るのは容易なことでした。その場で、禁煙を決意しました。この瞬間から始めなければ、事業を完遂することは不可能だと思ったからです。同時に、できるかどうかではなく、乗り越えるべき課題として捉え、24時間以内に100キロ歩くことを決めました。あとは、それを実行するために残された時間で何をやるか、これこそ、これのみが私に与えられた命題でした。ある面では、「心の準備」をこの日徹底することが出来たのは、幸運だったかも知れません。
3月17日から始まった合同練習で、「体の準備」を始動しました。合同練習は、下見を含め19回も企画いただき、参加することを最優先にして、内15回参加しました。これは本当に有意義でした。サポート隊、実行委員の先輩方の振る舞い、同期の取り組み姿勢から、事業へのモチベーションは上がる一方でした。さらに、「普通に歩いたのではトレーニングにならない。歩く筋肉を付けるためには、体に負荷を掛ける歩き、可能なら練習コースを1時間で歩くこと(時速7キロ)」との8期井上氏のアドバイスと、それを実践して見せてくれた7期西村氏、8期采女・吉田氏の歩きは、大きな気づきを与えてくれました。全ての合同練習と、同じコースで取り組んだ自己練習(7回ぐらい)は、その8割は筋肉を付けるための練習として、2割を本番のペースを体に覚えさせるための練習として取り組みました。4月後半に入ると必要な筋肉が付いて体が変わりつつあるのを実感しました。
同時進行で、「物の準備」の情報収集、準備を開始しました。高校時代に右足の半月板を損傷した経緯があり、その後の人生で右膝はたえず爆弾を抱えています。(年に一度の頻度で、一ヶ月間近く、びっこを引かなければ歩けなくなります)その対策のために、すぐに筋肉サポート機能のあるタイツと右膝保護用のサポーターを準備し練習から着用しました。販売店の方のアドバイスもあり、トップのインナーも日焼け防止を含め、発汗・筋肉サポート効果のあるものを取り入れました。リュックサックも持っていた通常タイプのものを練習で試しましたが、歩きづらいのでマラソン・ウオーキング専用の体にフィットする小型のものを購入しました。一番時間がかかったのが靴でした。小山事務局長から、有森さんからの話として、「シューズはニューバランスかアシックスが良い」と紹介を受けていましたので、深く考えず、ワンサイズ大きめのニューバランスのランニングシューズを用意して使用していました。しかし練習の度に、采女氏が「物の中でも特に靴は重要ですよ。できれば専門のショップで計測してから購入した方が良い」と繰り返されるのを聞き、同氏と西村氏の靴は自分のものと形状が違うことにも気づき、最初から仕切り直すことにして調査しました。専門店(歩人館)で計測してもらい(この時初めて靴にサイズとウイズ(幅)があることを知りましたが)、自分には3Eとうい幅広タイプが適していると分かりました。また、ランニングをはじめとするスポーツ(つま先から着地)用の靴とウオーキング(踵から着地)用のものは、その構造にも違いがあることを学びました。結局、ネットショップで、ニューバランスのウオーキング専用シューズ・幅広タイプを購入し(9,500円ぐらい)練習で慣らしはじめました。そして、4月からは、練習の折から本番と同じ装備で臨み、微調整(リュックの紐の長さ、靴紐の結び方など)を繰り返しました。
体と物の中間に位置すると思いますが、栄養補給・エネルギー維持対応策、天候対策、足のまめ対策、テーピングによる筋力補助、にも万全を期しました。
情報を収集する中で、松下政経塾100キロ行軍レポートに、アミノ酸効果が出ていました。マラソン選手からの報告も吟味して、AZINOMOTOのアミノバイタルを準備しました。どれほど効果があったかは対比数値がないので分かりませんが、身体が疲労しきった状況には至らなかったと思っています。天候では、暑さ・紫外線・気温低下・雨天対策ときめ細かく分類して行いました。天気(自然)だけは、我々が選ぶことが不可能です。過去の統計から考え得る状況を分析した上で、どのような状況にも対応可能な準備をすべきでしょう。足まめ対策は、シューズ選びが基本ですが、同時に足指一本ずつのテーピング、人工皮膚パッドの併用、5本指ソックスと普通の靴下との二重履きで対応しました。結果、今現在、まめは、パッドの位置がずれていた左足一箇所のみのようです。テーピングは、本番当日に、プロである3期田中氏に依頼をして万全を期しました。右膝の不安、腰の痛みなどを正確に伝え対処していただきました。足が持ちこたえたことに大きく貢献した実感があります。
そして、本番前日、最終的な戦術を決めました。今までの準備状況、体調・健康状態、直前の天気・気温予想(快晴、降水確率10%、最高気温25度、最低気温8度、日中は日差しが強く、夜間・山間部は冷え込みそう)などを吟味して立てた計画とは。30キロ地点までは、時速6.5キロで積極的に歩き、前半戦で貯金をする。その時点で自らの体と対話して対策を決める。周囲の状況に左右されず、自分の能力、体調を優先する。ただし安易に妥協せず、限界を超え、未知の領域に果敢に挑戦するために、一分でも速いゴールを目指す。原則として休息は一切取らない。特に夜間は体の冷えを防ぐために一心不乱に歩き続ける。飲料は、ポカリスエットで絶えず少量ずつ補給を行う。食事は、おにぎり(4個)と餡パン(1個)。塩分補給として、塩飴とカリカリ梅。アミノ酸は、1時間ごとに補給。紫外線対策として、後頭部を覆うタオル、帽子、サングラス着用(午後4時まで)。脱水症状を防ぐために、午後4時までは絶えず首筋と両腕に水を掛ける。防寒具は携帯せず、最悪の場合は雨カッパを代用する。当日の状況にもよるが、午前3時から5時のゴールを目指す。前半の貯金を活かして、たとえどんな状況になろうとも、24時間以内に這ってでもゴールする。
実際は、30キロ地点(飯井交差点)に、計画通り14時37分(時速6.5キロ換算で、同38分)に達しました。その時点では、20キロ過ぎから両足底部の痛み、右膝の違和感、それを無意識にかばうための左ふくらはぎと右太もも裏側の張りを感じていましたが、最後まで体が持つことを確信して自らにゴーサインを出しました。その後、一切妥協することなく限界に挑み続け、可能な限りの速度を最後まで維持しました。休息は一回も取りませんでした。(閑谷学校先での炊き出し中止との情報が入り、西村氏が用意してくれたうどんを食べた10分間以外は)その他、計画を立てた対策は着実に実行し、午前3時台に後楽園に戻ることができました。
今、率直に感じていることを申せば、自らの挑戦に、限界を超えて課題を達成したことに満足しています。一遍の後悔もありません。今日を迎えるためにすべき準備(心・体・物)を真剣に行った事が、結果の全てでありました。そして、練習は嘘をつかない、ということを再確認しました。
多くの先輩達がレポートで、幹事の方々、小山事務局長、サポート隊、実行委員の皆様、そして共に挑戦する同期・チャレンジャー仲間への感謝の気持を書き記されています。
全く、同感であります。敬意と感謝の念に堪えません。今年1年間だけでなく卒塾後の活動を通じて恩返ししたいと心に誓っています。
リバーサイド以降の残りの30キロは、文字通り「地獄」でした。乗り越えるために様々な工夫を行いましたが、唯一最大の魔法は、「ありがとう」の連呼でした。支えてくれている全ての方々(あえて個人名を出しませんが)を想い、名前を口にしながら、お一人おひとりに感謝を込めて、「ありがとう」と伝え続けました。その時、限界を遙かに超えた体は、わずかですが確かに蘇るのです。
最後に、9期20名全員が完歩することを誓い合い、目標として取り組んで参りましたが、その願いは遂げることが叶いませんでした。来年再挑戦する仲間を支えるために、心・体・物を維持する努力を続けます。
2010年5月3日 心地よい心と体の余韻と共に
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