2010年 100km Walk

 
◆谷 正太郎(岡山政経塾 9期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「100kmへの挑戦」




はじめに

 生まれて初めて100kmという、未知の距離に挑戦する。自分の目標は必ず完歩する事、そしてこの100kmを歩いて、少しでも自分を成長させる事。


いざ100kmへ

 当日は、晴天に恵まれ爽やかな朝でした。気分も体調も良く、軽く朝食をとり、程よい緊張感のなか100kmにのぞみました。10k、20kと歩き25kくらいからすでに足が痛くなってきました。予想よりも早く足が痛み、少し不安な気持ちでした。
 40kの備前体育館に着いたときは、足がもうパンパンでかなり辛い状況でしたが、まわりのチャレンジャーも辛そうだったので弱音を吐くわけにはいかないと思い、少し短めの休憩でまた歩き始めました。でもこの辺りから、少しずつ自分の中の弱い気持ちがでてきていて、「辛いな」、「しんどいな」という言葉が頭の中をよぎり始めました。正直、50kに着くまでにこんな気持ちになるとは思わなかったのですが、気持ちが折れたら、そこで終わりだと自分に何度も言い聞かせて歩きました。


伝統のタスキ

 45kくらいの所で、8期生の波多さんに「これをあげよう。」と蛍光タスキを手渡された。そのタスキを見ると先輩方の完歩した時間と名前が書いてありました。歴代の先輩方が引き継いできている“伝統のタスキ”でした。身が引き締まる思いで、一気に元気になりました。その反面、自分の単純さと気持ちの持ち方で体の動きはまったく違うものになるものだと思いました。さっきまで、なにを弱気なことを思っていたのだろうか、痛いのは足の筋肉だけ、豆もない関節、筋、上半身どこも調子の悪いところはない。先輩方の伝統を引き継がないといけない、体の中に熱いものが込み上げてきました。


65kからの挑戦

 吉永の炊き出しをいただき一緒に歩いていた高原さんが走り始めました。この人はどんな体をしているのかと思った。しかし、自分もまだ余力が残っている、このままでは限界に挑戦せずにゴールしてしまうのではないかと思い始めました。藤野橋あたりから自分も限界に挑戦するために走ろうと思い、リバーサイドまで走りました。しかし、ここからはかなり辛くなり、足はもう棒のようで立ち止まることも増え、80k〜90kまでは歩くペースも走った分だけ落ちたと思いました。必死に手を振って歩いたが、思うように足が出ずいらだちを感じました。


早朝の旭川

 朝に近ずき旭川の土手に着いたときは本当にうれしかったです。少しずつ明るくなる中で長かったと思いながらも、ほっとしながら残り2k歩きました。数々のサポートの方が何回も手を振って、笑顔で応援をしてくださり赤色のジャンパーを見ると本当にうれして、次の所まで、またがんばろうと思いました。差し入れも、フルーツや野菜など食べやすく串に刺してあり、自家製のドリンクもおいしく、今体が欲している的を得たものばかりでした。ハイタッチには想像もできないほどの元気をもらいました。
 本当に気遣い、心遣いのある物や言葉ばかりでした。そんなことを思い出しながら歩いた最後の2kは楽しかったです。


感謝の気持ち

  練習の時からサポートは始まっていて、歩き方や道具などいろいろ教えていただきました。50人ものサポート隊の皆様のすごいところはみんな笑顔でした。この笑顔のおかげで歩けたと思っています。感謝の気持ちを忘れずに歩きました。自分の弱さも見えました、完歩して自信もつきました。あきらめなければ達成できる、常に挑戦していける自分になりたいです。最後になりましたが、岡山政経塾と幹事の方々、小山事務局長、諸先輩方、
 同期の仲間、あと仕事を休まないといけない時もあるのに、入塾をこころよく認めてくれた父、母に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。