2010年 100km Walk

 
◆松田 浩明(岡山政経塾 9期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「未知への挑戦−24時間100km完歩までの道−」




1. はじめに

岡山政経塾に入塾するにあたり自分自身に掲げた課題のひとつが24時間100km完歩を達成して、家族に「お父さん力」を示して元気づけることであった。今まで45年生きてきてそれなりに人生経験を積み重ね、日々直面する問題に対処できる自分なりのknow-howは持ち合わせていると思ってはいる。 しかし24時間以内に100km完歩という今まで経験したことがないのはもちろん、途中どのような状況に陥るか想像すらできない目的を入念に準備、計画して達成した後、その結果につながる実行過程や心境をレポートにまとめることは、これから社会人として巣立っていく我が子供たちにとっていつか重要な示唆になるとともに、まだまだ若い私にとっても新たな自分の可能性を気づかせてくれる経験になることを確信していた。


2. 準備と計画、そしてシミュレーション

私は外科医であるが手術を安全に行うために、手術前の準備(術前の検査から得られる情報や自分の体調の管理)や手術のシミュレーション(術前に頭の中で細かな手術の進行状況を想定して様々な局面に備えること)は常日頃行っていることである。ましてや未経験の100km歩行を達成するためには入念な準備、計画、シミュレーションは必須であると考えた。

(ア) 体の準備
入塾式前の3月17日から水、金、日曜日に岡山大学津島キャンパスを中心に周囲7Kmのコースを約1時間で歩く合同トレーニングを8期の実行委員である古賀さん、井上さん、三島さん、川口さんや、7期西村さん、8期采女さんほか諸先輩方のご指導のもと、開始した。自分なりのコースも自宅近所に設けて合同練習に参加できないときは自主練習を行った。皆さん同じであろうが、仕事に支障を来たさない範囲で合計14-5回はトレーニングを行うことができた。トレーニングの目的は100km歩くための筋力をつけること。最初は7km80分程度かかっていたが、最後は普通に60分程度で歩けるほどになった。体重も3kgほど減少し、下肢の筋肉も着いた様子であった。最後の4月25日の9期同志の決起集会の前にコース終盤の上道駅から後楽園までの10kmを同期生で歩いた。私は瀬戸駅からの20km弱を歩いたが体力強化というよりは、20km近く歩くと足腰のどの部分がどうなるか、弱いところはどこかという発見と本番時の終盤でのコースを歩いて安心感を得ることに役立つ歩行であった。その後本番までの1週間は休息をとり二日前に歩行速度確認のため4km歩いた。

(イ) 物の準備
靴は非常に重要である。小山事務局長お勧めのニューバランス、アシックスの靴をそれぞれ一足ずつ購入した。長距離歩行で足が腫脹するため少し大きめのサイズでかつ、長距離用の靴底が厚くクッション性の良好なものを選択した。それぞれ練習で使用し、結局靴底のクッション性がよくゆったりとした履き心地のアシックスの靴を本番で使用した。下半身のサポーターにはワコールCW-X サポートギアを購入、膝、股関節のサポート機能がありやや締め付け感があるが、長距離の歩行の安定化には必要と考え練習でも使用した。その他、ヘッドライト、蛍光タスキ、帽子、リュック、靴下等色々あるが、早くから練習時に本番と同じ装備で歩くことが大切であった。

(ウ) 心の準備
まずは100kmを24時間以内で歩く覚悟して、それに必要な各種の準備をすることである。心の準備つまり覚悟ができれば、上述した体と物の準備は自然と進んだ。しかし、覚悟ができて体の準備、物の準備が順調に進んでいても本番2週間前のコースの下見で100kmという距離を実感した後、さらに決起集会を終えた後の本番までの一週間は不安が増大していった。歩く距離が長くなるにつれて酷くなる痛みに耐えられるのだろうか? そういう中で、私の不安を吹き払い、気持ちを鼓舞してくれたのが、8期の津村さんの100km歩行のレポートであった。タイムアップ直前にゴールされた津村さんの100km終盤での詳細な体(足の痛み)と気持ち(折れそうでしかし最後まで踏ん張る)の記述は、まだ体験していない100km歩行を頭の中で想定するには余りあるものであり、長距離歩行による足の痛みごと受容することが本当の覚悟であると認識できた。それに加え、この自分の両足という決して高性能ではない車を信じ好きになって、途中エンジンを休めながら自分のスピードで走行することで良い結果に自ずから導かれると信じることができた瞬間から100km歩行が待ち遠しくなった。4月25日の焼肉の決起集会で9期の同期皆で24時間100km完歩を誓い合い盛り上がった。特に同期の井上さん、賀門さんに私を含めた45歳以上トリオの誓いはカッチカチであった。

(エ) 直前のシミュレーション 
「最初の30km」はペースを掴みその後の歩行に時間的余裕を作り、さらに足の疲労や痛みの状態を認識しその後のペースを調整するため、「最後の30km」は極限状態に達した全身疲労、足腰の疼痛を抱えてひょっとしたらタイムリミットの迫った中で歩かなければならないため、これらの二つの区間は最重要と考えた。
本番2日前に時速6kmで歩くには、「負けないで」(ZARD)や「浪花節だよ人生は」(細川たかし)のテンポに合わせて歩けばよいことを確認した。最初の30kmまでは時速6kmで歩き途中吉井川を渡ったところのポプラ(約18km地点)で最初の休憩。その後は10kmごとのチェックポイントで休憩。休憩時間を入れて閑谷学校に21時30分ごろに到着、リバーサイドにはその日の内に到着。そうすればその後の30kmは10時間で歩けばよく時間的には余裕があり、捻挫、事故などのトラブルがなければ完歩は可能。終盤には痛みが強くなるため、5kmごとにストレッチして午前8時ごろには後楽園に到着するというシミュレーションを描いた。休憩は5-10分程度で足の手入れとマッサージ、ストレッチに費やし、時間を節約するため食事は歩きながら済ますことにした。前日と前々日に最初と最後の30kmを車で走行し周囲の景色、目印となる建物を確認、その間の距離も再確認した。当日の天気は晴れの予想であり水分補給は1時間に500ml程度補給する。この頭の中でのシミュレーション通りに歩くことを決心した。


3. いざ本番当日

(ア) 5月2日、スタート前、後楽園入り口の芝生にて
集合時間直前に両足底にテーピングを施し9:00に池田サポート隊長の挨拶で始まった。西原幹事の御挨拶の中の言葉、「100kmは人生だ」が心に染み込んだ。ストレッチの後、同期の野田さんからいただいた魂のこもった卵2個を手にして、決意も新たに落ち着いて10:00に出発した。

(イ) 10km:沖田神社まで
心の中で「負けないで」や「浪花節だよ人生」を歌いながらマイペースで歩いた。ほぼ予定通り時速6kmで歩行、百間川では土手に咲いた花を見ながら、またさわやかな初夏の風を感じながら歩いた。沖田神社の土手でサポート隊の先輩方とハイタッチをかわし余裕で11:37に通過した。

(ウ) 20km:大富三叉路まで
百間川を渡って畑の中の直線を歩くころから左足の小指にまめができた。3期の田中さんに、そのために上体がゆれていることを指摘され、まっすぐ前をみて上体を揺らさないよう歩くことに注意を払った。途中、何人かと合流したが、計画通りに歩くことに専念した。持参したおにぎりとカロリーメイトを歩きながら食べた。足の裏が痛くなってきたころ吉井川を渡ったところのポプラで予定通り休憩。靴を脱ぎ靴下の上から持参した冷却スプレーを噴射、爽快な気分であった。下半身のストレッチをしてすぐ出発した。休憩、ストレッチをするとこんなに足の不快感、疲労感が回復することを実感した。快調に歩行に復帰し大富三叉路(20kmちょっと)を予定時間通り通過、スルーした。

(エ) 30km:飯井交差点まで
20Kmを超えたあたりから両足底の熱感が強くなってきた。右踵の内側にもまめができたことを認識できた。石碑を曲がったところでカメラを持ったRSKの板さんと併歩したが、このころはまだ余裕がありカメラ目線で話をすることができた。入り江ショッピングセンターでは、サポーターの皆さんからグルタミン酸?の補給と元気をいただいた。時間は午後2−3時、帽子に取り付けたタオルが頚部に直射日光が当たるのを防いでくれたが、気温の上昇に伴い疲労を感じるとともに、スポーツドリンの摂取量も2.5L以上に及んでいた。飯井の交差点までの直線が長く感じられた。両足全体の疲労を感じながらもほぼシミュレーション通り、時速6kmのペースで15:12に飯井の交差点のチェックポイントに到着した。ここでは蜂蜜レモンの差し入れをいただいた。ここでもマッサージとストレッチを行い、次の目標の備前体育館を目指して出発した。

(オ) 40km:備前体育館まで
歩行再開時、動き始めは足底や足関節は痛むが、次第に疼痛は感じなくなった。ストレッチで筋肉の張りは改善し、再度ピッチは上がった。この区間にある上り坂は堪えたが確実に進むことができた。しかしこのごろから思いもよらずお腹の調子が悪くなってきた。おそらく、それまで水分補給のため大量に摂取していた電解質を含んだ浸透圧の高いスポーツ飲料が下剤と化したことが原因と思われた。歩行スピードを上げ備前体育館に16:59に到着、トイレに駆け込み一応は事なきを得た。ここまでの休憩を除いた歩行スピードは時速6kmを保てていた。ここでもフルーツを振る舞っていただきエネルギーをチャージした。ここでは15-20分程度休憩時間をとってストレッチを行い、五本指靴下を交換、夜間装備を着けてお腹の調子に不安を残しながら出発した。

(カ) 50km:伊里漁協まで
ここから吉永の炊き出し地点までの約20kmは想定の範囲外のお腹の調子との戦いとなった。時々襲ってくる腹痛、嘔気に耐えながら、できるだけ野・・を避けるためトイレ確保のためコンビニの場所を前もって地図で確認、途中、サークルKでトイレを借用した。出すものを出して再出発したが、今後は夜間の閑谷越えを控えコンビニがほどんどないため、時間のロスはあるが「急がば廻れ」でマックスバリューに立ち寄り薬局で止痢剤を購入、お茶で倍量を内服した。その後は水分補給もお茶に変更した。その効果もあってか、次第に腹痛は治まりつつ伊里漁協を目指して歩いた。この距離になると休憩後の5kmを過ぎるとピッチが落ちるのを実感し、10km毎に休憩することが待ち遠しくなってきた。途中でヘッドライトを点灯、やっとのことで伊里漁協のチェックポイントに19:04に到着した。この間の10kmは寄道もあったが、時間的には余裕があり焦りはなかった。ここでもトイレを含めて15−20分程度の長い休憩をとった。ここで半分の距離を歩いたことになり後は歩けば歩くほど残りの距離はどんどん短くなる。さらにここからが閑谷越えの登山口であり気合も入った。携帯電話で家族の声を聞き用意した防寒用の上着を重ね着して元気よく出発した。余談ではあるが、備前から、帰りの岡山市に入るまでの立ち寄ったコンビニ他のトイレはすべて和式であったため、ご想像はつくかと思いますが用をたすことが足腰に負担となりこれまた辛かった。

(キ) 60km:閑谷越えから吉永炊き出しまで
休憩後の5kmはピッチも戻り快調に歩行できたが、その後の二号線からの閑谷越えの上りは予想通り足腰に堪えた。ピッチは当然落ち、歩幅も短くなった。苦しんでいると同期の藤原さんが膝を痛めていたにもかかわらずすごいピッチに一気に追い抜いていった。私は非常に苦しい時間帯であったため、この光景は非常に記憶に残っている。藤原さんに付いていくように無事閑谷学校を越え下り坂に入った頃、ふと見上げると夜空の中にくっきりとたくさんの星々が煌めいていた。吉永の炊きだしに21:22に到着、地元の皆様のボランティアで暖かい持てなしを賜り感激した。お寿司、おにぎり、きゅうりの奈良漬、リポビタンDを頂戴したが、何よりもおいしかったのが冷えた体を温めてくれた熱いお茶であった。ここでも15-20分休憩して出発した。皆さん有難う。

(ク) 70km:リバーサイドまで
ここからは自分へのご褒美と鼓舞のため予定通りwalkmanで音楽を聴き始めた。ZARD(負けないで)、岡本真夜(tomorrow)、SMAP(がんまりましょう)、大黒摩季(熱くなれ)等の定番の元気出しソングで快調に前進した。藤野交差点から土手沿いの道に移る短い砂利道で小石に足を取られ左足首を内側に捻ってしまったが、幸いなことに大事に至らず事なきを得た。きれいな星空の下、真っ暗な土手の道を音楽を聴きながら歩くのは非常に神秘的で今でもその心地よさをはっきりと思い出すことができる。吉井川の土手に出て北川病院の光る文字を視野に捕らえたときは興奮した。リバーサイドチェックポイントに23:17になだれ込んだ。計画通りその日のうちにここまで来れて安心したのか、このチェックポイントで最後まで頻回に声をかけてくださった7期の西村さん、荻野さん、8期の吉田からgood jobと声をかけてもらったり、また、1期の柳井さん、8期の井上さんにマッサージ、ストレッチの指導をいただいたことをはっきりと記憶している。缶コーヒーとゼリーを腹に入れ、最後の五本指靴下に履き替えた。足腰の疲れに加えて山間部の深夜の冷え込みが堪え始めていたので荻野さんに貸していただいた蛍光ジャケットはその後の私にとって防寒に非常に役立った。

(ケ) 100km:ゴールの後楽園まで
本番前に重視して下見を十分に行った最後の30kmである。時間的にも余裕があったが、全身疲労や足腰の痛みがピークに差しかかるここからは交通事故、捻挫などのアクシデントに合わないことを最重要課題として歩いた。疲労した筋肉はストレッチでも思うようには回復できず、どこがではなく下半身全体が痛かった。歩道がないところでは右側を歩行し、前方から車のヘッドライトがみえると恐怖心が芽生え、こちらの存在を相手に知らせるためヘッドライドをつけた自分の頭を揺らした。音楽を聴いても歩行のペースが上がることはなくイヤホンを外した。万富サンクスを過ぎ左手にキリンビールの工場を視界に捕らえてから、ゴールまで20km弱のJA瀬戸のチェックポイントまでが本当に長く感じられた。今の一歩一歩を積み重ねることにより少しずつだが必ずゴールに近づいていく自分がいる、こうして今、100kmを歩くという経験ができるということも幸せであると感じながら歩いた。強い痛みはずっと感じていたが、致命的は痛みではなく気力で歩くことはできる。JA瀬戸で休憩、用意していただいたマットの上でストレッチを行い出発した。低血糖の影響か気分が悪くなってきたため、瀬戸南高校を過ぎたところのセブンイレブンでウィダーインゼリーと菓子パンをほおばった。東平島の交差点の誘導ポイントでさらに休憩ストレッチして出発、高揚する気持ちから自然とペースを上げようとするが、左のふくらはぎが痙攣を起こしそうになるため気持ちを落ち着かせるようにゆっくりとしたテンポを保って進んだ。採りたて市場の手前で小山事務局長が声をかけてくださったが、「後少しでもったいないので、痛みを楽しんでいます」とやや強がった返事をした。とれたて市場に4:35に到着したころには空が白み始めていた。ここでも疲労困憊した足を十分にストレッチした後、後楽園に向かい出発した。明るくなるにつれて気力が復活し新幹線高架に沿った高島保育園までの最後の長い直線も長くは感じなかった。自分の予定より早くゴールしてしまうため家族はゴールに間に合いそうもない上に、やはり苦痛から早く解放されたい一心で、旭川の川原の遊歩道を快調に飛ばし6:17最後は走ってゴール、無事100歳に到達した。

(コ) 到着後、閉会式まで
それまでに到着していた同期の高原さん、井上さん、和田さん、谷さん(一位の小林さんは一時帰宅)と握手を交わしたが、5分もしない内に両足が硬直、痛みで動けなくなった。芝の上で寝ころんで、後続の皆さんが続々とゴールするのを拍手でもって迎えた。閉会式では、自分の歩行中の様子や頻回に声掛けして下さった7期の端山さん、高梨さん、難波さん、櫛引さんを始めとするサポート隊の皆さんの励ましの声が思い出され、残念ながら完歩できなかった同期の方々を含めた来年の100km歩行を是非新たな感動を持ってサポートしたいと感じた。


4. 24時間100km歩行を達成して得た教訓

未知の領域に挑戦せずには限界は判らない。今回、覚悟に基づいた体と物の入念な準備は、自分のやり方で24時間以内に100kmを完歩することへと私を当然のごとく導き、24時間100km完歩は私の限界ではないことが判った。限界はもっと先にあることを知ることがさらなる可能性への挑戦につながる。やる前から限界を創って駄目だと思った瞬間、達成は不可能で敗北を意味する。覚悟することは必要条件であるが、ここで忘れてはならないことは自分一人の力で成し遂げたわけではなく、多くの人々との繋がり(支援されることより涌きあがる元気やその人々のためにも成し遂げたいと思う気持ち)があってこそ達成できたということである。人は一人では生きていけないし、人に頼りたいときは頼ってもよいのだから。また、人生には思いがけないことも起こるが、そのときはどう対処すべきか考えて実行してみよう、必ず良い方向に近づくはずである。また、運もある、今回捻挫しそうになったが、幸運なことに免れた。でも結局、不安を打ち消し、前を向いて今の一歩一歩進んでいけば、100km歩行のように必ずゴールに近づくのだ。そして我が子供たちへ、お父さんは自分のやり方でやり遂げたよ。お前たちも自分を信じれば自分のやり方でできるよ。これからのお父さんはもっとやれるよ。勝ち組負け組みは関係ない。やらない組ではなく「やる組」になればよい。


5.最後に
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今回、このような素晴らしい体験をさせていただいたことに対して、チャレンジャーの仲間たち、支えてくださった岡山政経塾の諸先輩方、隊長の池田さんをはじめとするサポート隊の皆さん、小山事務局長、幹事の方々に感謝したい。そしていつも偉そうなことを言っている夫、父親としての私を応援してくれた妻、子供たちに「有難う」。