2010年 100km Walk

 
◆楳田 祐三(岡山政経塾 9期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「私と100km歩行」




“100km歩行”と初対面 〜限界とは〜
 岡山政経塾での“100km歩行”は、24時間以内に100kmを完歩することを目的とし、そのConceptとして “己の限界を超え、未知の領域に挑戦する”ことが掲げられている。その意味と意義が、自然と頭に想像できる人は少ないものと思われるが、入塾説明会で渡された年間スケジュールに刻まれた100km歩行の予定に、今思えば恥ずかしい限りだが、臆することのない自分があった。正直、“ふ〜ん、100kmか・・。きついだろうけど何とかなるんじゃない・・”、現実主義を自負していたつもりが、今思えばかなり甘い自分・・・。しかし諸先輩方より100km歩行に纏わる体験談やレポートから情報を伺うにつれて、徐々にイメージが湧き始めてきた。精神的体力的に相当にきついことは間違いないし、入念な準備は勿論、心構えが必要だということも分かってきた。
 それと同時に、そもそも“自分の限界”って何なのだろうかと考えるようになった。“限界”の意味は、物事の、これ以上はないというぎりぎりのさかい、かぎり。(引用;広辞苑)と定義されている。そして個人の限界という観点で考えた場合、恐らくは“限界”というものは自分自身によって意識的、あるいは無意識的に決められたものであると思われる。また興味深いことに、人間の身体機能に例えても、100%とは程遠い余力を残した内臓機能で普段の生命機構は維持されている(例えば、片方の腎臓であっても問題はないし、肝臓も全体の30-40%程度の力で機能維持できる)。そんな自分自身が、肉体的・精神的極限に近づいた時に、境地として“無意識的”もしくは“人間の本能”として、どのような発想が生まれ、克服していくのか、といった課程を知り得る希少なチャンスとして、戦々恐々ながら楽しみな自分も出てきた。


“100km歩行”に備えて 〜先入観・軽率な認識からの脱却〜
 3月17日より8期生を中心とした先輩方が企画して下さった練習会が始まった。津島モールをスタートし、近隣一週7kmのコースを皆で歩くというもので、開始とともに自分の認識が大きく間違っていることに気付いた。“歩く”ことと“走る”ことの違い・・先頭を“歩く”8期吉田氏に全くついて行けない。次の練習では、再び“歩く”8期采女氏に“小走り”で漸くついて行くことが可能となるも、下腿の前脛骨筋群の疲労蓄積からすると、走る時に使う筋肉とも違うし、100kmもの長距離・長時間を歩ききるには、普段使わない筋肉群の可動と強化といった“歩く”ための脚力が必要なことを教えて頂いた。と同時に、学生時代に患った腰椎椎間板ヘルニアの痛みが再燃するようになり、練習であっても腰部コルセットや各種サポーターなど入念な準備が必要なことも分かった。練習を重ねるにつれ、同様の気付きからか、同期の皆の武装も装備されていく。シューズ、サポーター、ランニングタイツetc. 宛ら集合風景は何処かのランニングteamのようになってきた。少しづつ体力に自信もつき始めた頃、2年前に先頭でゴールされた7期西村氏と一緒に歩く機会を頂いた。“なるほど、こういう歩きでよいのか”と思った矢先、西村氏の足下には重さ数kgのPower Ankleが装着されていた。どうやら自分は認識を根底から変える必要があるし、普段抱きがちな“先入観”を一切捨て去ることを心掛けるようにした。 
 こうした自分を省みることも、自分が政経塾入塾の際に掲げた“既存の自分を打破し新たな自分を築いていく”という目的という観点で、非常に有意義な練習会であったと感謝するところです。また様々な情報収集と基礎体力強化(運動不足の小生の場合)の他にも、先輩方・同期生の方々に色々と教えを請い、それぞれの政経塾にかける思いや異業種の情報を交換することで、同志として打ち解け親睦を深めることができたことも、練習会の意義深い点であったと振り返る。仕事のスケジュールから練習皆勤とはいかなかったので、自主練習の他に、小さな事だが自宅のマンションや仕事でもエレベーターを使わない、職場ではつま先で歩く、仕事中・手術中はつま先立ちで臨むということを自分に課し、トレーニングの一助となることを期待した(結果的に効果は不定ですが、不断の努力・意識改革といった小さな一歩が積み重なり、結果に結びついていくものだと個人的には思っています)。
 本番直前には、十分な情報収集と頭の中でシミュレーションを重ねて、準備に勤しんだ。自分にとって鬼門となるであろう腰痛に対しては、腰部〜下半身のサポーター機能が付いたインナーパワータイツ(Reguard CG-T2)を装着し、腰痛発生時に更なる腹圧を得るためにコルセット(MacDavid, LV3 Hard support)を準備、途中の買い込みや休憩の時間を節約するためにバラストにならない程度の食料(粉末スポーツ飲料、アミノ酸(SAVAS, AZINOMOTO)、塩分補給用の梅干と塩)をリュックに詰め込んだ。シューズは、当初よりアシックスかNew Balanceを勧められ、販売店で足の形状を測定し色々と試して見るも、足趾長、足の甲の高さと広さの問題から個人的に合う靴が最期まで見つからず、従来マラソン用に所持していたレース用のアシックス、練習用のMizuno, NIKEの3足のシューズを練習で試した結果、Mizunoのシューズを相棒に選ぶことに。その他、ウェアとしては紫外線予防と速乾性に優れる競輪用の長袖シャツに、夜間の冷え込みに備えフリース、帽子と後頚部のサンシェードを用意した。本番前夜、自ずとTensionも上がってくる自分があり、不規則な生活からくる不眠を避けるため、眠剤を内服し10時に就寝、気力体力とともに準備は万端っ!


いざ本番!〜100km先の後楽園を目指して〜
 自分の100km, 24時間以内完歩の作戦は、ヘルニアによる腰痛が再燃する後半で、“痛み”に追い込まれるのは仕方がないものの、時間に追われて焦りたくないという思いから、前半で可能な限り時間的な蓄えを得るというものであった。
 5月2日午前10時、後楽園に介した26名のチャレンジャー達は、大勢の政経塾有志サポート隊の温かい声援の中、威勢よく100km先の後楽園を目指して出発した。皆、不安はあるものの、高揚感に満ちた表情で、何とも心地良い瞬間であった。スタートから1km、草の薫りが爽やかな風が心地よい中、“来年も出てみますかね♪”などと先頭を歩く同期長野氏と談笑を交わすと、“ゴール直後に同じ台詞が言えたらホンモノだよ”一緒に歩く井上氏と難波氏から笑いとともに軽く窘められる一面も・・・。その後、少し早いペースは自覚しつつも貯金を目的にペースを維持し、11:27に10kmの沖田神社を通過した。20kmを過ぎ、腰の怠さが出現し、腰痛が出現する前に、更なる腹圧を得るために、コルセットを装着、また容赦ない照りつけであったが、日除け対策と、小まめな水分・塩分補給(ミネラル、電解質、アミノ酸補充)で、暑さが苦になることはなかった。沿道からは、炎天下にも関わらずサポート隊の皆様が、数え切れない程の温かい(熱い)声援を下さり、疲れが癒されると共に高揚感が更に鼓舞された。備前体育館までの山道で、徐々に歩行ペースは落ちて時速5kmのペースとなるも、決して焦ることのないよう心掛け、次第に発症してきた腰痛と下腿の痛みを堪えつつ、時間と共に距離を稼いでいった。歩行中、何度も事前準備・練習の重要性と、これまでの先輩方の貴重な情報提供に改めて感謝し、絶対に歩ききるという強い決意を自信と共に再確認しつつ、18:52に50km地点の伊里漁協に到着し無事に前半戦を終えることができた。


閑谷越えから後楽園までの道のり 〜精神力・体力の枯渇と新たな原動力〜
夜間装備を身につけ、いざ閑谷越えに。足の痛みはともかく、腰痛と下肢の痺れが、時間とともに悪化していった。日も暮れて、急激な冷え込みも、腰の悲鳴に拍車をかけた。勾配に幾度となく立ち止まり、背伸びと前屈を繰り返し足を前に運んだ。日が暮れても、絶え間ないサポート隊の心遣いは感謝に止まらず感服の域であった。暗闇の山間部で、一台の車が近づいてきて、“夜間の冷え込みが腰に悪いのでどうぞ”と数袋のカイロを渡して下さった。途中の休憩所で、腰の不調を情報として流して下さり、それを聞きつけ御心配下さったサポート隊の温かいお気遣いであった。車が立ち去った後、深々と頭を下げ、カイロを握りしめていた。“全員を無事に完歩させる”ために全力でサポートする、サポート隊の皆様も我々チャレンジャー同様に、場合によってはそれ以上のプレッシャーで闘っているということを改めて知った。節々の痛みとともに四方暗闇の一人山道を歩く、寂しいことこの上ない状況のはずだが、多くの同志達と気持ちは共にあるという安心感、見上げると満天の星が輝き、普段の喧騒から離れて色々な考えに耽りながら、自分の足で大地を踏みしめる喜びと痛みを感じ生きている実感を楽しんだ。閑谷を越え、23:30にリバーサイドに到着する頃には、突き刺すような腰と足の痛みに苛まれたが、ただ皆も同様の苦しさ、人によってはそれ以上の辛い局面と闘っているかもしれぬと他の同志に思いをはせ奮起した。
 明け方、腰痛から一歩を踏み出すのも苦痛になり、立ち止まり休憩する回数も数え切れない程となっていったが、終始熱い声援を送り続けて下さるサポート隊の言葉、また前半を判歩し、後半で無念の途中棄権となった同期の難波氏が車で追い付き激励してくれたこと、そして暗闇の中、後光が差すような小山事務局長の姿に、新たなエネルギーが注入される思いであった。精神面での鼓舞に加え、練習で御指導頂いた7期池田氏、西村氏や8期吉田氏が傍らで、冷静な状況分析と時間配分で完歩への見通しを助言下さったことも後半の厳しい状況を乗り切る大きな原動力であった。高島保育園辺りからは、闊歩とは程遠い歩きであったが、逆に後楽園に近づく一歩一歩を楽しむことに専心し、痛みを忘れるようにした。そしてスタートして21時間37分、ついに後楽園で皆の想いが綴られたゴールテープを切ることができた。


今回の100km歩行で学んだこと 〜自分にとっての限界の定義とこれから〜
 今回の100km歩行で学んだことは、事前準備の重要性と自分にとっての限界を知ることであった。大きな目標を達成するためには、必要な情報収集と準備が勝負の大半を左右する因子であったと振り返る。その事前準備は、自信の裏付けとしてもPlusに作用するのではないだろうか。70kmを過ぎた辺りから、腰痛と足の痛みから一歩一歩を踏み出していくことが苦痛であり、月並みな表現で言う“自分の限界”を迎えていたと推察される。しかし幾度とないMind controlと、多くの人の支えで、その苦境を乗り越えられることに気付いた。それは本当の意味での個人の限界ではないのかもしれないし、限界を超えた120%、そして次は140%というふうに“成長”を意味することなのかもしれない。新たな定義付けは難しいものの、少なくとも限界は簡単に自分自身によって決めるものではないし、ある到達目標を前にしたときの“できない言訳”にはしたくないと思うようになった。その限界を取り払う重要な要素として、“信念の強さ”は言うまでもなく、多くの人の支えが自分自身の活力にできるということ、そして逆も然り、自分が他人の活力となっていくことで相互的相乗的に高め合うことができると今回の経験を通して感じている。今後の人生においても、多くの困難に直面する機会があるだろうが、簡単に自分の“限界”を設けず、常に前向きな上昇志向、挑戦的姿勢を忘れることなく乗り切っていきたいと強く決意するところです。
 最期に、このような貴重な機会を与えて下さった岡山政経塾の皆様、サポート隊、そしてチャレンジャーの皆様に心より御礼を申し上げるとともに、今後も益々この100km歩行が多くの収穫をもたらす企画として発展していくことをお祈り申し上げます。