2010年 100km Walk
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◆長野 政治(岡山政経塾 9期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「100キロ歩行」
はじめに
本当に皆さんありがとうございました。人生30年生きてきてこれほど人に感謝することは、今までありませんでした。100キロ歩行に関わったすべての皆様にお礼を言わせて頂きます。
1、100キロ歩行の為に準備したもの
道具に関しては、ランニングシューズ、シューズの中敷き、スパッツ等、スポーツ用品店に勤める友人に相談して揃えました。
体に関しては、練習会以外でも、少しでも歩く事を心がけました。
最後に心構えに関しては、必ず完歩するという強い気持ちを持つ事と、完歩している自分を寝る前にイメージすることを続けました。
2、100キロ歩行「前半」
30キロまでは、自分の予定通りに進む事ができました。最初に体に異変が起きたのは40キロ手前でした。坂を下っているときに左の膝に違和感を感じそこからは痛みとの戦いになりました。時間の経過とともに足が動かなくなり、速度を落せば体が冷える悪循環が続きました。「リタイアしたら楽になる・・」こんな気持ちになりはじめたのもこのときからでした。
3、100歩行「中盤」
備前体育館から閑谷炊き出しまでの20キロの距離が一番長く感じました。気温が急に下がり、足の痛みが一番きつかったのは、40キロから50キロでした。前半一緒に歩いていた楳田さんと距離が離れ始め、何人もの人に追い抜かれていきました。抜かれるたびに、なぜ歩いているのだろうと考えるようになりました。50キロ地点の伊里漁協で初めて長い休憩をとりました。実はこのとき真剣にリタイアを考えました。「帰って休みたい」そんな気持ちにすらなりました。決起会の時必ず完歩すると皆の前で誓ったのに・・。心が完全に折れかかったときでした、もしこの一言がなければおそらく完歩できなかったと思います。その言葉は「痛みは我慢できる。痛くない人はいない。みんな痛いはずだ。」この言葉で、心が奮い起ちました。必ず完歩してやると・・。この時はじめて100キロ歩く決心ができました。意識が薄れながらも何とか閑谷炊き出しまでたどり着き、おいしいおにぎりとコーヒーと笑顔を頂きました。炊き出しもおいしかったのですが、一番のカンフル剤は皆さんの笑顔でした。とても優しく、温かい笑顔は今も忘れる事ができません。人の温かさを感じることができました。
4、100歩行「終盤」
閑谷炊き出しから後楽園までは歩いたのではなく歩かされた感じでした。定期的に車でのサポート隊の方からの応援の声に何度も励まされながら一心不乱に後楽園を目指しました。正直ほとんど記憶がありません。残っているのは・・サポート隊の皆さんの励ましの言葉とJA瀬戸で小山事務局長に優しいヒザ蹴りの激励をうけたぐらいです。頭の中は感謝と完歩するという強い気持ちだけでした。
5、100歩行「完歩の瞬間」
無事に後楽園にたどり着き、いよいよゴールの瞬間がきました。テープを切ったと同時に涙がでてきました。その涙は30年生きてきて流したことのない涙でした。
6、100キロ歩行を終えて
100歩行の学び、それは自分一人で生きているのではなく、自分は生かされている事を強く学びました。また自分の限界、それは自分一人だから限界ができてしまうということにも気付かされました。仲間がいることで、共に成長することができることに気付きました。
最後に
今回の100キロ歩行で私が一番感じた事、それは感謝の気持ちでした。この気持ちとこの100キロ歩行で学んだことを人生で活かしていこうと思います。皆さん本当にありがとうございました。
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