2010年 100km Walk

 
◆高田 尚志(岡山政経塾 9期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「限界を超えるために」




100キロ歩行前夜の自分

正直、武者震いしていた。
100キロに望む心の準備はできた。物の準備もできた。自主練習も練習会にも参加してきた。下見も2回してコースを頭に叩き込んだ。その長さに恐怖を感じたが受け入れることができた。天気も気温も調べ、最後にもう一度、目的を再確認した。
中学3年間、大学4年間、社会人になってからもしばらくバスケットをし、今は地元消防団の大会に向け、歩行練習のない日はほぼ毎日そちらの訓練をしている。身長175センチ、体重63キロ、28歳と8ヶ月の自分。これだけ準備をしてきた上に、体格や筋肉の満たされ具合からしても、自分は何が何でも完歩しなければならない。自分が完歩することは、チャレンジャー全員完歩の目的を達成するための不可欠な条件の一つであるからだ。
自己を過信していたわけではない。だからこそ、できることは全部やってきたはずだった。
しかし、それでも100キロは厳しく、自分をあざわらった。
100キロ完歩、その最大の壁は、100キロという距離ではなく、己の甘さ。


スタート直前の自分

『100キロ歩き切った先には、これまでに出会ったことの無い自分自身に出会えるはずだ。』そう考えた自分は、ゴールテープに24時間後の自分に向けて「はじめまして!新しい自分!」と書いた。先輩方のレポートもたくさん読んだ。そこには、痛みと苦しみと感謝と感動の言葉が記されていた。私は同時に、歩いた人にしかわからない世界がある事も感じていた。痛みとは何か、苦しみとは何か、感謝とは何か、感動とは何か、そして「限界」とは何か。活字で書き記すことの出来ない真の意味が今から24時間後に分かるのかもしれない。「自分は今から24時間後、どのような状態で何に気づき、ここにいるのだろう。」
それを思うと不安と期待感でワクワクしていた。


100キロ歩行を通じて学んだこと。

100キロ歩行を通じて学んだこと。
100キロに望むまで、多くの先輩方から本当に多くのアドバイスを頂いた。
「練習しないと歩けない」「誰でも歩ける」「100キロを受け入れることから始めろ」「精神力の問題だ」「こうやって歩くといいよ」「あれは持っていった方がいい」
誰もが完歩したいと感じていた中で、体験したことの無いチャレンジャーにしてみればどれも欠かすことの出来ない情報に思え、そしてそのいくつかのアドバイスを参考にしたのだと思う。
「未知の世界領域に挑戦する」ことは誰でも出来る。しかし、その途方も無い距離を受け入れて乗り越えるための努力をすることが、どれほど難しいか。そして達成するために必要な己の限界を超えた力をどのようにして引き出すか。これは、100キロ完歩することに限らず、全てのことに当てはまるように思う。
では「達成するために必要な己の限界を超えた力をどのようにして引き出すか」
これについて今の自分に言えることがあるとすれば、一つだけ確信を持てたものがある。
それは、『自分の力だけでは絶対に限界を超えることはできな』いという事。
自分一人の限界なんて、精々40キロだったように思う。しかし、そこから先の60キロこそが、自分にとっての奇跡の経験の始まりだった。レポートを書きながら目が熱くなってくるのは、その限界を超えさせてくださったのが、仲間のチャレンジャーであり、サポート隊の皆様であることを心の底から感じており、感謝しているからだ。
サポーターの皆さんの励ましの声やサポートは、まさに本物。これまで、自分の人生の中でも片手で数えられる程しか感じたことの無い本物の応援であり励ましでありサポートだった。
限界を超えるためには
「絶対に100キロ完歩したいと志す自分自身」
「絶対に100キロ完歩することを誓える仲間」
「絶対に100キロ完歩させてやると燃えるサポーター皆様」
この想いの全てが重なったとき、自身の限界を超えた力を引き出してくれ、勇気と精神力が養われるのだと思う。

           100キロ、22時間44分で完歩。

これが、今の自分の限界であると断言できます。