2010年 100km Walk
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◆源 真典(岡山政経塾 5期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「長かった1年間」
□歩けなかった1年
すぐあきらめる。集中力がもたない。やる気が出ない。起きられない。なぜか不安。すぐに疲れる。適当。面倒くさい。人の話が聞き取れない。など。1年間、ネガティブな自分と闘ってきました。
去年の100`歩行を歩けなかったことで最低の1年間を送りました。いや、100`のせいではない。歩けなかったのは自分自身の問題であり、心のあり方である。1年間大いに悩めと神様が試練を与えてくれたのである。
ということで、3ヶ月前からは不安いっぱいでありました。先輩諸氏からは常に圧力をかけら・・・(笑)期待され、皆さまから心配され、本当に歩けなかったらどうしよう・・・と、今回歩けなかったら人生がだめになるのではないかという変な予感さえありました。練習をしても、「十分できているのだろうか?」と不安。今回で2期生能登先輩に並ぶタイ記録の4度目の挑戦。コースを知っているだけに自信がどんどんなくなります。そして、歩いた1年と歩けなかった1年を私はよく知っています。気持ちに、自分の甘さに雲泥の差があります。今回は、「ただ、あきらめず歩く!」それだけを胸に決意し、当日を迎えます。
□木下龍太郎という男
天気は晴天。少し暑いぐらいである。とにかくやることはやったと自分を信じる。今回は、同期の木下さんも参加。どちらが先にゴールするか注目の的であった。下馬評では、確実に木下さん優勢。私に関しては、歩けない説も出ていたとか。スタート前に木下さんと「どこかで会ったときは一緒にゴールしましょうね!」と約束を交わし、いよいよ長い旅路へ向かう。私は、時速5キロで歩き、朝方6時を目標としていた。ところが、時速5キロのペースに2人のペースが合うではありませんか。10キロ地点前で「一緒にゴールしましょう!」と固い約束。しばらくして、ふと後ろを振り返ってみると、木下さんが遅れている。「んっ?まさかな・・?」「大丈夫ですか!?」と聞くと、「大丈夫よぉ!」と元気に言葉が返ってくる。顔を見るととても辛そうな気配がある。どうやら足に負担がかかっている。少し離れながら歩く木下さんを鼓舞しながら40`地点備前体育館についに到着。いつもの見慣れた先輩諸氏や同期のみんながわいわいと笑顔で迎えてくれる。至れり尽くせりである。これはチャレンジャーにとってはたまらない栄養補給である。備前体育館では、やっとここまで来てもまだ半分に到達していない場所であり、体が悲鳴をあげてくる。ここからが本当の100`歩行の始まりである。ここに尊敬する人たちがいてくれるということで私は感動と元気をいただいて、一緒にゴールを目指す。
この時点で、かなり時間がかかっている。予想を裏切り、時間との戦いも頭の片隅に入れておかなければいけない。そして、夜がやってきた。暗い闇が心を揺れ動かす。木下さんのペースがどんどん落ちてきている。50`伊里漁協までが遠い。この間に心の折れた人たちを抜いた。私たちのスピードについてこられないと確実に完歩できない。いくら鼓舞しようが心の折れた人たちには何も伝わらない。その気持ちも痛いほど分かる。夜という闇と自分の闇に飲み込まれて、抜け出そうにも抜け出せない恐ろしい感覚である。これが戦場なら待っているのは「死」である。しかし、これは100`歩行。暗い道を一緒に歩いてくれるサポーターがいる。励まして、痛みを和らげてくれる。ついに伊里漁協に到着。そこは、すでに地獄絵図。そこで木下さんは一平さんにテーピングをしてもらう。木下さんも限界が近づいてきている。時間がない。私はまだまだ余力がある。サポーターからも先に行ったほうが良いと言われる。時速4`ペースでギリギリの計算。自分の中での激しい闘いの始まりである。
伊里漁協を出て、片山準平とも一緒になったが4`のペースについてこられない。ズルズルと見えなくなっていった。そこは捨て置き、木下さんが限界のようだ。一緒にゴールするという約束。しかし、もう先に行かなければ間に合わないというあせり。絶対に完歩すると決めていただけに、余力があるだけに私は伊里中ローソンで決断した。「木下さん!もう情けはかけないっす。先に行きます!」自分の中では窮地に立っていたのでこの言葉がすごく冷酷な感じでした。なぜこんな言い方をしたのか?情けはかけないってすごく嫌な言葉に思えた。後ろ髪を引かれながら閑谷の頂上を目指す。
暗い山道。ここからは自分との闘い。そこに弟と社員が応援に来てくれた。暗い道を車のライトで照らしてくれる。ありがたい。頂上につくと、異変が。背骨に激痛が走る。リタイヤの理由はいつもこの背骨の痛みだ。ここできたかと折れそうな時に我らが一平さんが来てくれた。今回は、サポートのタイミングが最高なのである。その時にその人らしいサポートで感動と元気を与えてくれる。背骨にテーピングしてもらっていると、来たではありませんか!「木下龍太郎ぉおお!」すごいの一言です。あの状態からこの早さで登ってくるとは!感動です。しかし、すごく辛いのです。あの言葉を出してしまったことで、自分の中では申し訳なさが募るだけでした。しかし、木下さんはそこで待ってくれ、「あの言葉があったから歩けたんよ!」と言ってくれました。救われます。そこからは、お腹ペコペコの二人です。閑谷の温かい炊き出しを目指します。
お互いにヨレヨレであります。ただ炊き出しを目指します。瀧さんに永野さんが伴歩についてくれます。「あともうちょっと!頑張れ!」ついに「あの車のライトがついてる所が炊出しよ!頑張れ!」二人は歩きます。するとその車のライトがどんどん出て行くではありませんか!「もしかして?」嫌な予感は的中です。終了していました。二人はそこに崩れ落ち、心が折れる瞬間がありました。砂漠のオアシスが蜃気楼だった気持ちです。しかし、得意の開き直りでリバーサイドを目指します。
ここから、瀬戸駅まではすごく楽しく歩けました。サポートの伴歩は然り、友人が応援に駆けつけてくれたり、応援メールが山ほど入ってきました。リバーサイドでは、先ほどの無念を晴らすために、瀧さん、永野さんが温かい味噌汁やラーメンを買ってきてくれていました。ありがたい。復活です。しかし、午前2:30分。休む時間はなく、時速4`で瀬戸駅を目指します。
あっ!ここで、変なお殿様に会いましたねぇ(笑)
本当に長い道のりです。危険な道でもあります。精神力もヘトヘトになり、ペースも落ちてきます。瀬戸駅についた時は夜明け。高田さんに「5`で行かないと無理だよ」と言われ、気合いを入れ直しました。木下さんも限界は当に超えています。ここまで来たらゴールが見えます。夜明けと共に太陽が顔を出し、ヘトヘトな私たちにパワーを注入してくれます。そこでついにきましたランナーズハイ!足が止まりません。初めての感覚です。一気に採れたて市場まで行きました。木下さんもついてきています。もう涙がでてきます。残り5`でまた背骨の痛みが走り、ペースダウン。木下さんと再会、笑顔でゴールを目指し、みんなに見守られながら、9:42分、見事に最初の約束通り一緒に感動のゴール!
長 く、辛い旅は最高の形で完了しました。そして、普通なら心折れてリタイヤのはずの木下さんのあの精神力を近くで見られたことが私にとってどれだけ勉強になったことだろうか。あの状態からでも行けるのだ。「あきらめなければ不可能という文字はないのだ!」私の親父の口癖でもあります。多くのことを学び、腹に落ちました。「尊敬」という言葉が溢れてきます。
□最後に
4度挑戦した100`歩行で本当に腹に落ちたことは、一人では歩けないということです。多くの人から元気をもらい、感動をもらっていること。そして、繋がっていることは一人では生きられない。2度目のチャレンジの時も妻が一緒に歩いてくれました。それを当然と思っていた自分がいました。一人で歩けるし!というおごりもありました。だから3度目はリタイヤするべくしてしたのでしょう。薄っぺらい感謝という形だけなのです。人とは自分を知るということがとても下手であります。相手は見えても自分が見えていないことが多々あります。常に自分と向き合い、もう一人の自分と対話し、律していかなければ人生の前進はありません。それがあきらめず目標に向かって進むことだと確信しています。
自分と向き合うことの大切さを与えてくれるのが岡山政経塾24時間100`歩行です。これからもうまくいかないことや大きな壁にぶつかることがあります。このやりきった自信を持って、乗り越えていきます。
そして、私は皆さんに本当に愛されていることも感じております。家族、会社のみんな、岡山政経塾、応援してくれた人に、仕事を通じて良い地域作りに貢献する!そんな恩返しができる男になることをここに誓います。本当にありがとうございました!
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