2010年 100km Walk

 
◆石川 尭(岡山政経塾 5期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「100km歩行レポート」




 「結局は自分の力が足りなかったんだな」
 毎年サポートをすると自分の1度目のチャレンジの挫折の原因についてそう感じさせられます。
 今年は、同期の木下さんが2回目のチャレンジをし、途中からその伴歩に付かせていただきました。痛そうに足を前へ出す木下さんの姿をみて一緒に歩くことしかできません。時間的にはゴール確実な時間でも、チャレンジャーにとってはとても不安なことはわかっています。ゴールするまで続く痛みとの戦いの中で、諦めてしまった時に襲ってくる敗北感と成し遂げた時の達成感のどちらを感じ取って欲しいかという気持ちをサポーターとして強く伝えなければならないと常に感じさせられました。
 そして、同期の源さんが新幹線高架下をすぎたところで木下さんを待っていたときは、仲間とは素晴らしいなとまた100キロ歩行に泣かされそうになりました。

 伴歩をさせて頂く前に竹田橋でチェックポイントに立っていて、まだ真っ暗なのに通過していくチャレンジャーの方をみて、本当にすごいなあと感じました。早いタイムでゴールされた方は、練習、研究をものすごくされたのだろうと思います。しかし暗いなか孤独と戦い完歩されたという事が何よりもすごいことなのではないかと思います。
 自分は完歩したとき、5人で歩いていて、その時のレポートにも書きましたが他の方達がいなかったら歩けていなかったと思います。
 「自分との戦い」の形はそれぞれのチャレンジャーの中で異なるので、一言で100キロとはということは難しいなと感じます。そのなかで同じことを体験しているということで、100キロ歩行で初めてお会いする方にも頑張って欲しい、完歩して欲しいと強く思うことができます。
 サポーターとしての自分の強みはリタイアのつらさを知っていることだと思います。実際に今年も思い出して悔しいと感じたし、おそらく来年も、再来年も1度目のチャレンジの事を思い出して悔しいと思うのでしょう。しかし、サポーターとして、その悔しい思いをして欲しくないという強い思いを伝えることができれば、あの時の失敗に学ぶことができるのではないかと思います。
 昨年24時間チャレンジをつづけ、一緒にリバーサイドまで歩かせていただいた古賀さんが今年は完歩されました。悔しい思いをした分、嬉しさは大きい事でしょう。しかし「僕も同じ思いをしたからわかります。」とは簡単に言えないのが100キロだと思いました。 
 同じ完歩ですが、その途中の過程はチャレンジャーの数だけ異なるので、一言では100キロを語れないなとしみじみ感じさせられます。いろいろな100キロへの思いは今後もチャレンジャー、サポーターの数だけ生まれてくると思います。その中で、もっと自分の中での100キロ歩行の意味を深められるように参加して行きたいと思います。