2010年 100km Walk

 
◆高梨 直(岡山政経塾 7期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「100kmと人生と私」




1.プロローグ

 「結婚おめでとう!」、「幸せな家庭を築いてね!」、多くの友人に囲まれ、妻との結婚を祝福する言葉を受けながら、京都市内の結婚式場を後にした私は、その5時間後、たった1人で岡山市北区後楽園1番地の岡山後楽園にやってきました。

 「本当に行くつもりなの?」5月2日午前3時、私たち夫婦は、いきなり試練に襲われました。そう、5月1日は何と私と妻の結婚式だったのです。結婚式のわずか数時間後、夫は妻を置き去り、1人で100km歩行へ行こうとしているのだから妻の言葉も当然といえば当然です。つい先ほど、教会で神父様を前に永遠の愛を誓ったにも関わらずです。永遠なんてないんだよ。妻の言葉にドキリとしながらも、「ごめんね、これだけはどうしても行かせてほしいんだ」と言って、新婚初夜のお務めも果たさずに妻を寝かしつけると、少しの仮眠をとった後に、岡山へと向かう新幹線の車内の人になっていました。

 新幹線の車内で、しかしつくづく後楽園にはご縁があるなぁと笑いをかみ殺し、今日までの道のりを思い出していました。私と妻が結納を執り行ったのは、岡山後楽園の片隅にある料亭「荒手茶寮」で、結婚式の前撮り写真は昨年の100km歩行の終了と同時に岡山後楽園で撮影しました。私と妻の免許証を見ると、本籍地は岡山県岡山市北区後楽園1番地と記載されています。ここまで私と後楽園を深く結びつけて下さったのは、岡山政経塾講師で吉備国際大学教授の臼井洋輔先生です。心から感謝しています。


2.100km歩行

 さて、今年もまた、血湧き肉躍る100km歩行がやってきました。岡山政経塾に入って3回目の100km歩行を迎えますが、今年も興奮して寝付けませんでした。というか今年は、前日から結婚式の準備やら何やらで徹夜をしていて、既にスタート時点で24時間以上起き続けているような状況です。今にして思うと、とても正気ではないのですが、結果100km歩行の間も全く寝ることなく24時間サポート・伴歩を達成することができました。

 岡山駅に降り立って、後楽園まで歩きながら、2年前の挑戦、昨年のサポートを振り返り振りかえり思い出しているとあっという間に後楽園へ到着しました。西原幹事は100km歩行を人生にたとえておりましたが、まさにわが意を得たりで、100km歩行は人生そのものだと思います。人間は、順調にいっている時はそれなりで、苦しいときほど真価が問われるのではないでしょうか。100km歩行も然りで、最初の30kmほどはウォーミングアップみたいなものです。60km、70kmと歩いてきて、夜の帳の中を必死の形相で、または淡々と、または泣きながらゴールへ向かって歩いていくチャレンジャーの姿を見るのが私は好きです。歩く姿に、その人の生きざまが見えてくるようです。今年も多くのチャレンジャーの方々と接するなかで、その思いを強く致しました。まさに100人いれば、100通りの100km歩行があります。距離は同じでも、1人として同じ100kmはないのです。2年前、98km地点で、「もうあと2kmで100km歩行が終わっちゃうのか。さみしいな。もっと歩きたいな。」そう発言したのは決して強がりだけではありません(笑)

 今年も26名のチャレンジャーの生き様を、しかと見届けさせていただきました。来年は、もう1度チャレンジャーとして歩いて、最初に100km歩いてから3年、岡山政経塾と出会い、私がどんな人生を歩んできたのか、もう一度自分自身の生きざまを、この100kmにぶつけたいと思います。本当にチャレンジャーのみなさん、お疲れさまでした。サポート隊長の池田様、私は熱い情熱をもったあなたが大好きです。そして100km歩行を主催して下さった岡山政経塾小山事務局長、西原幹事を始め、100km歩行に携われた皆様に心より感謝申し上げます。


3.エピローグ

 100km歩行を終えた私は、その足で岡山駅へ向かい京都への新幹線に飛び乗り、妻が待つ自宅へと帰りました。冒頭にあった、「本当に行くつもりなの?」という妻の言葉は、寝ずに岡山へ行って100km歩行へ参加する私の健康を心配しての言葉であることが分かりました。決して私に呆れて発した発言ではありませんでした。そうだ、1番肝心な人への感謝の言葉を忘れていました。結婚式翌日にもかかわらず、100km歩行へ向かう私を温かく送り出してくれた妻の優実へ心から感謝したいと思います。家族の支えあってこその人生です。