2010年 100km Walk

 
◆塩澤 勝利(岡山政経塾 8期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「3つの役割からの学び」



2010年度24時間100km歩行には、3つの役割をもって参加した。
@サポーターとして
A伴歩者として(@の下位概念ではあるが)
B先人として(昨年時間内完歩を遂げた者として)
それぞれの立場での学びを記したい。


(1)サポーターとして、「サポートしたい」と心底そう思った。その心理とは?

今回の参加に当たっては、義務感は微塵も感じず、むしろ、自ずとサポートをしたくなった。
元々のアサインに加え、コンビの濱本くんとは、長船駅近くの交差点誘導も自ら買って出たほどだった。

貴重なGW、なぜ、サポートをしたくなったのか?
●100kmの感動、学びを有志に知って欲しいから(口コミの心理に似る)
●岡山政経塾というある種コミュニティーに属し、帰属意識も感じ、更なる発展を願い、役立ちたいと思うから(マズローの第6段階欲求はこれなのだろう)

このサポート業務前、中、後を通して、自己の心理を深堀して得た結論である。
直感的には、「恩返しがしたいから」「仲間がいて楽しいから」「9期生の賀門さん(職場の仲の良い先輩)がチャレンジするから」「政経塾と100kmが好きだから」「政経塾には緩やかな強制力があるから(笑)」「政経塾に染まったから(笑)」などが浮上するが、これらの直感は上記のような潜在意識を表層させたに過ぎないと思われる。
きっと来年もサポートをしたくなるだろう。同時に、「サポートをしたい」その心理、来年もより掘り下げたい。上記は、まだ仮説にしか過ぎないかもしれない。

その他、テクニカルな総括としては下記。
・準備は大切!初の100キロくん登録、沖田神社へのスムーズな着任とも上手く行った要因は、事前の予習。
・帽子はサポーターも必須。元々帽子嫌いだが、当日の夏日のため、少し熱射病気味になった。夜の涼しさですぐに和らいだが、心身を壊しては、役割は果たせない。


(2)伴歩者として、優しさ(甘さ)と厳しさのバランスの難しさを再認識した。

濱本くんとともに、9期生清水さんの伴歩を担当した。
伊里漁協で濱本くんからバトンタッチした時には、清水さんの昼間からの足の痛みは厳しさを増しており、その後も苦しい状況は続いた。しかし、本人の一歩への貪欲さ、限界へ挑む姿勢は素晴らしく、伴歩者としての使命感は増した。本気は吸引力である。
清水さんの71kmの足跡は、きっと本人を裏切らず、次年度の100kmばかりでなく、今後の活動でも大きな糧になると思われる。
しかし、伴歩者の自分としては、伴歩の目的と照らし合わせても、「優しさ(甘さ)>>>厳しさ」となってしまい、バランスの欠ける姿勢であった。伴歩のみならず、自分のこの姿勢は、あらゆる場面で、必ずと言っていいほど現れる。反省し、更に自己を精進させたい。

<良かった点>
・時折の弱音は心を鬼にして敢えて返答しなかった(突き放した)。結果、本人も、自己を鼓舞しながら、自分の工夫で一歩を踏み出した。
・本人のリタイア宣言までは、前へ前へと促した。

<反省すべき点>
・安全確保とはいえ、道の左右どちらを歩くべきか、誘導をしすぎたかもしれない。
・苦しい状況とはいえ、道を教えすぎたかもしれない。
・医療的ヘルプは、自分から連絡させるべきであった。全ては自助努力である。

(3)先人として、「当たり前のPDCAサイクル(基礎/基本)の徹底=成功の鍵」との認識を深めた。

サポーター、伴歩者としての役割に加え、私は先人(昨年時間内完歩を遂げた者)の顔を持つ。
練習会参加、当日を通して感じたこと、それは、
当たり前のPDCAを多く回した者ほど、納得行く成果を手にしている
ということだ。PDCAサイクルはありとあらゆる場面での基礎/基本である。

Plan(計画):練習計画を練る
    ↓
Do(実行):練習をする
    ↓
Check(点検):課題がわかる(足りないリソースを知る)
    ↓
Act(改善):足りないリソースを得るために、調べる、相談する
    ↓
Plan(計画):次の練習でリソース不足を克服しようと心する
    ↓
《以下、D→C→A→P→・・・と続く》

「努力は裏切らない」「練習を真摯に取り組んだ者は結果を手にしている」とよく言われるが、恐らくは上記サイクルを図らずも実行しているからなのだろう。
派生して、情報の充実も成功者増加の一因と言われるが、それは上記「Act」で調べ先として政経塾HPの過去のレポートが充実しているからだと思われる。上記サイクルの中で、過去のレポートを使うのであれば、それは立派な自修自得と言えると思う。
100km歩行は自修自得を体感する機会でもある。
己を知れば百戦危うからず

これを記載しながら感じたことである。100km歩行の奥の深さにまた触れることができた。