2010年 100km Walk

 
◆浜本 大輔(岡山政経塾 8期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「100キロ歩行レポート」




はじめに

 今年は、サポーターとして参加をさせていただきました。100キロ歩行当日までチャレンジャーとは違う不安でいっぱいでした。自分は無事に伴歩できるのだろうか。昨年、私は多くの声援に助けられて完歩することができました。人は1人の力では目的を達成できないと気づかせていただいたのが、100キロ歩行でした。自分は、9期生を始めとするチャレンジャーのために何が出来るだろうか。その一番を伴歩と考えていました。


清水さんの伴歩

 私の目的は、清水さんが完歩されることを助けることです。スタートは、備前体育館から始まりました。彼女は、練習会で何度も顔を合わせていたので、歩けると信じていました。そんな彼女の伴歩ですから、備前体育館で待っている時には、周囲がからかうぐらい緊張していました。
 清水さんとの伴歩は、彼女の性格に助けられることもあり、伊里漁協までには緊張は嘘のようにどこかにいっていました。笑顔のまま塩澤さんに伴歩のバトンタッチをし、次の中継ポイントである伊里中のローソンで待つことにしました。そこに現れた彼女は、伊里漁協のときとは違い疲労が蓄積されていました。サポーターとして、伴歩以外に何かしなければという思いに駆られ、閑谷学校へと続く山道の所々で声援を送るようにしました。一生懸命に登ってきた閑谷学校の山道から次のチェックポイントのリバーサイドまでが私の2回目の伴歩となりました。痛んできている足を伸ばしながら山道を下りきり、しばらく歩いたところでリバーサイドのチェックポイントが解散になったことを聞かされました。その時、彼女の心が折れたことがはっきりとわかり、伴歩者として彼女の目的にどう関われるか試されているように感じました。100キロ歩く目的を失っても少しずつ歩く彼女へ「頑張れ」という言葉は無意味です。リバーサイドに行くと決めていたので、一緒に歩こうとしか言えない自分が不甲斐なかったです。リバーサイドを目前にして、座り込んだ彼女に目的と元気を与えた池田さんと能登さんには、大変感謝しております。相手を思う言葉がけを私はまだまだ知らないのだと感じました。


栗原さんの伴歩

 リバーサイドから清水さんの伴歩を塩澤さんに託し、私は池田さんの指示のもと、栗原さんの伴歩へつくことになりました。既に、采女さんと吉田さんが伴歩しており、三人目の伴歩者となった私には、必ず栗原さんの100キロ完歩を達成させるという使命が課されました。しかし、共に歩いてきた清水さんが気になり、私はただ単に一緒に歩いているだけでした。そのような中、彼女のリタイアを塩澤さんからのメールで知り、私は思わず「栗原さんの後ろは、全員リタイアしました。皆さんのためにも必ずゴールしてください」と言ってしまいました。それから栗原さんのために私は何が出来るだろうかとずっと考えながら伴歩しました。私は、栗原さんと違い何十キロも歩いていません。頑張れと言う言葉は、言えませんでした。そこで考えた唯一私に出来ること。それは、「1、2」と疲れた栗原さんの歩調が遅くならないように声がけをすることでした。とれたて市場から後楽園まで休むことなくリズムを取り続けることが、自分に出来るサポートだと考えました。結果、100キロ完歩された栗原さんには感謝しております。


さいごに

 その人の目標のために自分は何が出来るだろうか。そればかりを考える100キロ歩行サポートだったように思います。自分に足りないものが、今回もいくつも気づくことができました。チャレンジャーとは、違う学びを与えてくれた100キロ歩行という場に深く感謝しております。ありがとうございました。