2011年 100km Walk
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◆佐藤 修一(岡山政経塾 10期生)
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岡山政経塾 100km歩行レポート 2011年5月18日
「何があっても心は折れない」
入塾式後、100キロ歩行の決意を掲げてから全く不安のなかった17日間。
入塾式前はあんなに緊張していたのに、なんでなんだろう。
下見に行かず、「迷ったらどうするの?」と藤井美子に怒られた時も、仕事で練習に行けない時も、必ず完歩できる自信がありました。その自信がどこからくるのか理由がやっとわかりました。
私は「何があっても心は折れない」という自信から100キロ歩行の決意を3つ掲げました。
・必ず100キロ完歩する。
・これから生涯共にする藤井美子のペースで歩き、一緒にゴールする。
・諸先輩方以上に10期が仲良く、共に向上していく同志になるという決意のもと、10期全員完歩。もし完歩できなければ来年も歩く。
無謀とも言えるこの挑戦を必ず達成する。この挑戦は決して私だけの力では達成できないからこそ。
スタートしてから順調に進んでいた100キロ歩行、先輩方の助言通り60キロ過ぎたころには身体に違和感が。
左足の脛が痛み、歩けば歩くほど痛みを増していきました。
70キロのリバーサイドでは激痛のため、初めて休憩らしい休憩をとり、一瞬の間でしたが痛みから解放されたひと時です。
しかしそこからが本格的な痛みとの闘いでした。
歩くごとに足から頭の先まで到達する痛み。
痛みで精神的におかしくなったのか、電信柱やガードレールが人に見えだし初めて幻覚というものを体験しました。
もうこの頃には藤井美子と同じ速度では歩くことが困難になっていました。
90キロ地点に行き着くまでには痛みに耐えられず心が折れそうな事が度々ありました。
藤井美子と5分遅れで90キロ地点に到達したとき、小山さんが伝言してくれました。
「藤井美子がゴール前で待ってるってよ」
その言葉を聞いた時、色んな思いが頭の中を廻り、
気がつけばタオルを噛みしめながら走って藤井美子を追いかけていました。
待たせるわけにはいかないから。きっと今、走らないと後悔するから。
結果、無事一緒に後楽園でゴールすることになりました。
私の3つの決意は達成できました。
でもこの結果は皆様のサポートがなければ達成できておりません。
なぜ幹事の皆様、先輩方であるサポーターの皆さんが毎日遅くまで会議、打ち合わせをしてくれたのか。なぜ60人ものサポーターが集まり応援してくれるのか、心が折れそうな時励まし伴歩してくれるのか。
納得しました。
幹事様、先輩方に対する、言葉では足りない感謝の思いを100キロ歩行が岡山の代表行事とされるまでチャレンジャーとして、またサポーターとして活動し、恩返しする決意です。
最後に
人として、経営者として私はまだまだ未熟ですが、100キロ歩行を通して過去を振り返り、そして反省し、現在の自分を確認し、再度決意しました。
これから未来に向け走り続けますが必ず岡山を代表とする企業をつくります。
そこにはたくさんの笑顔があふれ、活気があるのです。
決して私一人の力でできるとは考えていません。
支え合い、励まし合い、目標に向かって共に走り続ける仲間がいるからできるのです。
応援に駆けつけてくれた仲間。伴歩してくれた仲間。たくさんの仲間が私にはいます。
その決意には入塾式後の17日間と同じく不安はありません。
なぜ17日間不安がなかったのか、それは・・・
私は一人ではないから。
入塾式で、さらにたくさんの仲間ができたのだから。
だから心が折れない自信ができたのだ。
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