2011年 100km Walk
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◆藤井 美子(岡山政経塾 10期生)
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岡山政経塾 100km歩行レポート 2011年5月8日
「100q歩行は人生」
はじめに
370年前、弓之町に生まれた津田永忠に学ぶコースの24時間・100キロ歩行。私には、この先人の名前すら初耳でした。頂いた津田永忠の小冊子を片手に、私の100キロ歩行がスタートしました。
「限界に挑戦する」とは・・「未知の領域」とは何か???
1.ハンデを抱えてのスタート
「100q歩行は、人生そのもの。100qを100歳として考えると、40歳で身体に変化がおこり(ガタがきて)、60歳で疲れ切った身体に定年を迎え人生の岐路に立つ・・・」
私はアラフォー。最初から身体に不安を抱えている。それならば、100q+40qを歩く気持ちで準備を整えなくては完歩はない。私は、目標を140qに決めた。
2.入塾式から当日まで

入塾懇親会で、パートナーの佐藤修一が突然、「生涯のパートナーとなる藤井美子の100qを伴歩します。100qを伴歩出来なければ、結婚しません」と言葉が発せられた。
驚いた私は、100q歩行は自分1人のものでは無くなったと感じました。伴歩されることで、自分が自立して100qを歩くことにならないのでは・・、私は、「1人で歩きたい」と思う気持ちが強かった。
何度も「1人で歩きたい」と訴えた。「一緒に歩くわけではない。ただ、伴歩するだけ。1人で歩くのと変わらない」と何度も同じ返事を繰り返す彼がいた。
私は、「それならば、私は私のペースで歩こう!そして、一歩一歩を楽しもう」と気持ちを切り替え、当日の朝を迎えた。
たが、当日までは3.11支援プロジェクト@岡山の一員でもあり、練習会の参加がままならなかった。私は、日常生活で歩くことに徹する生活に切り替え、練習会でも会場までの往復も歩くよう心がけた。
心と身体と物の準備に臨んだが、未知の世界への挑戦だけに、不安が消えない日々が続きました。100q完歩のイメージトレーニングを毎日繰り返し、覚悟を決めた。
3.スタートからゴール
10時、一斉に後楽園をスタート。
10q(10代)、足は軽々、草も木も風も応援してくれているように全てがキラキラしていた。お昼ごはんは、おにぎりを立ち食い。そういえば高校生の頃に良く寄り道をして、食べていた頃を思い出す。
20q(20代)、周りも見ずにあっという間にここまで来た感じがした。
30q(30代)、この道で良いの?と少し不安になると赤ジャンが見えて、ホッ。ひたすら前を向いて歩く。歩く。歩く。30代模索していた自分と重なる。後ろから、少しペースが遅くなったとの声が。体力が落ちてきたかな・・?!
40q(40代)、サポーターから「40qで身体にガタがくる」と言われ意識していたが意外や意外、身体が軽い。なんだかパワーが出てきた。私の40代は更にパワーが増して、これから光り輝くのだ。なぁ〜んて考えながら、山を越えた。
50q(50代)は更にパワーアップ。自分でも考えられないくらい強い歩きに。パートナーとの歩調も申し分ない。二人で歩けば、越えられない山は無い。
60q(60代)、大好きな友人夫妻が応援に。私は更にパワーを頂き、考えられないくらい力強い歩きに。友人夫妻に弱ってきたパートナーを託し、えっっ、伴歩できないなら、結婚できないしょ!私の後ろを歩くのは止めてよ。
でも、私はペースを崩さず一気にトンネル越え。60代のお祝いの炊き出しも少しの時間で通り過ぎた。
ここで、ふと自分を振り返った。60qまで一度も座っていない。このまま、座らない選択をした方が良いのでは・・・と。
70q(70代)、友人達が暗い土手を一緒に歩いてくれる。暗いところを一緒に光で照らすと明りが2倍に。1人よりも2人。2人よりも3人。皆が集まると明るくなる。
80q(80代)、苦しいときが本当にくるのだろうか?自分の限界は?と思いながら歩いていた。
その時は急にやってきた。私ではなくパートナーに。ずっと伴歩してきたパートナーが遅い。知らぬ間に、井上さんが伴歩に付いてくれている。<私は大丈夫。お願いだから彼に伴歩して・・>と何度も心で思う。
私「後ろは付いてきていますか?大丈夫ですか?」
井上さん「大丈夫です。付いてきています」
何度その会話が行われたことだろう。
そして、いつの間にか、井上さんの伴歩が、彼への番歩に変わっていた。
90q手前からは、私が前を歩き距離が離れると、ストレッチをしながら彼を待つ。自分のペースで歩けないことがこんなに辛いことを初めて知る。これをずっとしてくれていたことが、どんなに有難いことか、ようやく理解が出来た。人に合わせると言う事は自立をしていなければ出来ない事を学んだ。
90q(90代)、初めて中継地点で彼とは別々に通過。サポーターの方たちに伝言をお願いする。「私は自分のペースでこのまま歩きます。後楽園のゴール手前で待っているので一緒にゴールをしましょうと伝えてください」と。
私は、最後は手をつないでゴールすることを選択した。
高架下、一歩一歩を楽しみながら歩く。呟く言葉は「有難う」。「有難う」「有難う」。呟くと歩調が速くなる。何度も何度も呟く。
呟くと同時に、小山事務局長の顔、西原幹事の顔、サポート隊の方達の顔、炊き出しをしてくださった皆さんの顔、友人、知人今まで知り合った人たちの顔、そして一緒に歩いている同期・チャレンジャーの顔が笑顔で浮かんでくる。
1人じゃない、皆、繋がっている、確信が持てた。
その時、走ってくる足音が聞こえた。振り返ると、源さんと彼が必死に走ってくる。えっっ、早く歩けなくて、遅れていた彼が走っている・・・
「最後まで伴歩をしないと・・・約束だから」・・・と。
私は、改めて、彼と人生を共にする決意を強くした。
終わりに
19時間を切るという時間で、100キロを完歩できたのは何故か。
それは、心と身体と物の準備を十二分にしたからに違いない。初めて100キロを歩く、と聞いたときは、なんて無謀なことを・・・と思った。しかし、私にとって100キロ歩行は、限界ではなかった。いや、限界を超えた距離だったが、十分な準備をすることで、限界ではなくなった。
人は、未知の世界のことには、己で限度を作ってしまう。100qと思ったら100qがゴールになってしまう。
人生は、あらゆることに対して真正面から立ち向かい。万全の準備をして、大きな壁にも、困難にも、ひるむことなく、立ち向かって、強く生き抜きたいと思う。
後楽園には、完歩で一層強くなった、新しい藤井美子がいました。
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