2011年 100km Walk
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◆瀧 幸郎(岡山政経塾 10期生)
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岡山政経塾 100km歩行レポート 2011年5月14日
「生まれ変わり」
1.はじめに
限界を越え、未知の領域に挑戦し、勇気と精神力を養う。これが100キロを歩くにあたり、目的とすることである。
確かに、100キロ歩くということは、ほとんど全ての人にとって未知の領域であろう。しかし正直100キロという距離が全く想像できないこともあり、なんとかなるだろうという想いが入塾前の私にはあった。
2.準備
100キロ歩行に挑戦するにあたって、「物・体・心」この3つの準備が必要であると小山事務局長から説明を受けた。
物の準備は,ランニングシューズやリュックサック、アンダーウェアなどを購入した。
体の準備は、週2〜3回行われる合同練習会になるべく参加し、歩き方の練習や歩くための筋力をつけた。
心の準備は、○○をするとか、○○が必要であると特に決まっていない。しかし諸先輩方のレポートを拝見すると、心の準備が一番難しく、そして一番重要であるのは明らかだった。
楽観的にものを考える性格の私は、まぁなんとかなるだろう、というスタイルでいままでの日々を過ごしてきたように思う。小山事務局長は「100キロ歩行、考えて歩きなさい」と仰っていました。100キロもの距離を歩くのだから、ただ歩くだけではもったいない。なるほど確かにそうである。実際に練習会の時から考えながら歩くようにしてみたが、これがとても難しい。色々な雑念が入ってきて、一つのテーマを決めてもなかなか集中できない。そしていつも、「そもそも何故歩くのか?」「なぜ岡山政経塾に入ったのか?」という問いにぶつかる。そしてその際にはいつもこう考えた。
「真剣に、一生懸命生きるため」
いままでなんとなく生きてきた私は、100キロ歩行に挑戦することで、真剣に人生について考える時間が多くなったように思う。
3.結果
物も体も準備は怠りなくしてきたつもりだったが、当日の服装の準備やリュックの中身の仕込みに、結局前日の夜遅くまでかかった。歩行練習を重ねた結果、自分には時速6.0キロ程度なら前半は乗り切れると判断し、2.5キロ毎に歩行ペースを確認して歩いた。2.5キロ毎の目標物をまとめてくださった7期生の荻野さん作の『大原メモ改良版』をプリントアウトし、当日参考にしながら歩いた。
サポーターの皆さまの温かい支援や、いままでの準備・練習の結果として、100キロを20時間で無事完歩したが、それまでの道程は後に紹介する。
今となっては恥ずかしい話だが、100キロ歩行の話を聞いた当初は「自分の力で歩いてやる!」と意気込んでいた。しかしある夜所用で事務局に顏を出した際に、平日にもかかわらず、サポート隊の皆さまが夜遅くまで議論してくださっていた現場に出くわし、100キロ歩行が始まる前からこんなにも多くの方の支えがあるのだと感動し、同時に自分を恥じた覚えがある。個人的にだが、100キロ歩行を挑戦するにあたり、サポートしてくださる皆さまの支援をありがたく受け取り、感謝することをテーマとした。車から応援してくださる皆さま、チェックポイント毎の駐在してくださっているサポーターの方々に感謝の気持ちを表現しようと決めていた。とにかくどんなにしんどい時でも笑顔で手を振り「元気です!」「ありがとうございます!」と感謝することを意識して歩いた。
4.まとめ
今回の挑戦で結果として100キロ完歩できたのは、家族をはじめ、小山事務局長、西原幹事、サポーターの皆さま、チャレンジャーの仲間、その他多くの方々の温かい支援があってのことである。今になって思えば、真剣に人生について考えた時間も、大きな要因であったように感じることがある。これが私の中での「心の準備」であったのだと思う。物と体の準備はおおかた決まりがあるが、心の準備は人それぞれのようである。しかも、100キロ歩行が終わってみるまで気付かないこともあり、私の場合もまさにそうであった。決意は表明するだけでは意味はなく、実行に移すのに心の面が大きく関与しているのだとあらためて気付いた。
話は変わるが、西原幹事は100キロ歩行を人生に例えて話をされることがしばしばある。そこで実際に人生に置きかえて考えてみると、10キロ20キロ(10〜20代)は全く憂いなく畏れもなく猛進できる。30〜50代は右往左往しながらも、休憇をとりながら自分を信じて前に進める。しかし60代あたりから、山場を越えてだんだん自分が衰えていくのがわかり、次第に心が弱くなってくる。80〜90代になるといよいよ1歩1歩進むのも思うようにできなくなる。そして、いよいよゴール、イコール大往生!めでたしめでたし。
しかし私たちは今こうして生きています。つまり、100キロ完歩することによってチャレンジャー全員が1度人生を大往生し、生まれ変わったのだと私は思います。生まれ変わったのだから、チャレンジする前の自分とは違ったことが出来るはずです。みんな、かつてないほどの劇的な変化があらわれているのではないでしょうか。
100キロ歩行はいろんな面での学びや感謝にあふれ、身体はかつてないほどぼろぼろですが、達成感と充実感に満ちており、まだはっきりと自覚できていない気付きもたくさん与えてくださいました。
皆さまへの感謝の気持ちはここでは表しきれません。本当にこころから感謝しております。皆さまの感謝への恩返しとして、できれば来年以降もチャレンジャーの方が生まれ変われるようにサポートしていきたいとおもいます。
100キロ歩行道程の紹介
○ 後楽園スタート(10:00)
晴天ではないが、きつい日差しではなくまずまずの天気。うきうきわくわくでみんなでスタート!
桜並木の下を歩きながら、自分の体と会話をしてペース配分を確認する。早くも7期西村さんが先頭集団を引っ張り始める。
○ 10キロ地点(11:35)
重ね着をしていたせいもあり若干暑いが、心も体も全く問題なし。ほぼ計画通り時速6.0キロペースで通過。
○ 20キロ地点(13:27)
昼食として持参した小振りのおむすびを歩きながら食べ、足を止めての昼食にはしなかった。
○ 30キロ地点(14:59)
飯井交差点手前に簡易の休憇所が設営されており、いちごジュースや梅干やその他軽食をありがたくいただいた。当初計画をしていた通り、栄養補給とストレッチをあわせて10分程度の休憇をとった。
○ 40キロ地点(16:42)
備前体育館の500mほど手前に金関拓海氏が倒れこんでいて驚いたが、どうやら足の裏が痛いだけらしく、一緒に備前体育館まで歩くことにした。心が弱りかけている様子の一番若いチャレンジャーに「何故君は歩くのか?」と問いながら、自分へも同じ質問をなげかけ、自分の心を鼓舞させた。
備前体育館の拠点では、靴を脱いでのストレッチやありがたいマッサージなどを受け、40分強の長い休憇をとった。ここでは多くのチャレンジャーと再会し、家族も応援に駆けつけてくれ、元気をいっぱいもらって再出発!
○ 50キロ地点(18:47)
この区間は足がとても軽く、疲れをほとんど感じなかった。備前体育館での長時間の休憇が吉とでたようだ。
○ 60キロ地点(20:47)
伊里中ローソンにて“うどん”を食し、ストレッチや小休憩を挟みいざ閑谷学校へ続く山道へ。暗闇のなか人間も自然の一部なのだと再確認していると、道端に七輪でニンニクを炙っている怪しい集団に遭遇。暗かったのでかなり怪しかったですが(源さん、木下さんすいません)ありがたくニンニクパワーを頂きました。とても美味しかったです!なにより寒い山中わざわざ待っていてくださるその心遣いがありがたい。その後噂の閑谷学校のトンネルを無事通過。トンネルを抜けるとそこは、炊き出しでした。おむすびやバナナ、お茶にお菓子までいただき、ここでは身体が冷えないうちに15分程度の休憇で再出発した。
○ 70キロ地点(23:00)
すでに膝の裏がだいぶ痛かったが、会社のスタッフに無理やり応援メールを要請したところ、実際に応援メールが何通か届いたのは素直に嬉しく力になった。吉永からリバーサイドまでの川沿いは街灯がほとんどなく星がキレイだったので、ヘッドライトを消して空を見上げたりして気分を紛らわせた。OHKの堀さんがわざわざ車を止めて伴歩してくださったのも嬉しかった。リバーサイドでは豚汁で暖をとり、サポーターの皆さまの赤いジャンバー姿が見えると孤独感が和らぎ、とても心強く感じた。どうやらこのあたりから若干心が弱くなってきていたようである。
○ 80キロ地点(01:48)
このあたりではちょっとした段差で足が痛い。事前に聞いてはいたが、キリンビールの街灯が余計に道程を長く感じさせた。途中の暗闇で道端にイノシシが出没したが、もうなんでもいいやと動じないほど足腰は弱っていた。万富サンクスで切れかけていたヘッドライトの電池交換をしていた際に、後方から7期生高梨さんが怪しい歌声と奇声を発しながら、すごい勢いで追い抜いていったのをみて、あらためて地獄と評される区間の恐ろしさを認識し、ちょっと距離を置いて歩き出した。万富サンクスからJA瀬戸までの道程が、100キロ歩行のなかで一番長く感じた。
○ 90キロ地点(03:58)
とにかく足が痛い。歩道を長く歩いていると段差や勾配が多く足の負担になるので、なるべく歩道を避け、かつ安全に歩けるように心がけた。上道駅前のローソンにて最後の休憇として、暖かい紅茶と無性に食べたくなったエクレアを摂取し(その後“うなぎ おむすび”も食す)、もう曲がらなくなってきた足を無理やりストレッチした。

○ ゴール後楽園(05:47)
夜が明けてくると孤独感は薄れ始め、いよいよゴールが近づいてくると足も軽くなってくるので不思議である。サポーターや家族に見守られながら無事ゴール。しかし座り込んだら最後、足が硬直してしまい動かなくなり、仲間の伴歩をするのはかなわなかった。
ゴールしてなおチャレンジャーの応援にまわってくださった7期西村さん、同期藤井さん(佐藤さん)には頭が下がります。というか、そのガッツは正直理解できませんが、すごい励みになりました。今度はサポート側に回ってチャレンジャーの皆さまを支援したいと思います。
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