2011年 100km Walk

 
◆佐藤 敏哉(岡山政経塾 10期生)

岡山政経塾 100km歩行レポート             2011年5月17日
「結果よりも大切なもの」



1.はじめに
(1)目的
 私は100km歩行出発前に、何のために100km歩くのか、目的を自分なりに考えてみました。家族のため、仲間のため、いろいろと思いつきましたが最も大きかったのは以下の思いでした。
 「40歳を超え、若くはない自分が100kmという距離をどのくらいの速さで歩ききることができるか、試し、そして確かめるため」
 やるからには目標タイムを18時間(午前3時代でのゴール)と設定しました。そして、どうせやるのならば楽しんで歩きたい、と考えました。

(2)結果(学び)
 結果は20時間7分でのゴール。目標タイムよりも2時間遅れましたが、完歩できたことには満足しています。正直足の痛さとの戦いだったけれど、それなりに楽しむこともできたかな、とも思います。
 そして何より、結果よりも大切なことを学ばせていただいた、と実感しています。学んだことはいろいろありますが、中でも重要だと思うことは、次の2点です。それは「人は一人では生きられない」ということと「小さな事からでも一歩を踏み出さなければ、大事をなすことはできない」ということです。以下、準備段階から本番、そして終了後の自分なりの総括を含めて報告させていただきます。




2.準備・練習段階
(1)評価できる点(やってよかったこと)
(ア)練習会への参加
 7kmを1時間で歩くことは本番のペースからすれば相当のハイペースと言えますが、それを実践することにより筋肉が鍛えられることは間違いありません。また先輩方の経験を聞かせてもらえる貴重な機会でもありました。

(イ)コース対策(下見・地図ぶら下げ作戦)
 本番でコースを間違えると精神的にも相当なダメージになることが予想されたので、2回の下見会には参加したうえで一人で下見を2回行い、間違いそうな箇所は何度もぐるぐる回って確認しました。また別イベントで100km歩行経験のある同期南さんの助言に従い、コース図をクリアファイルに閉じリュック外側にぶら下げて当日歩きました。いちいち地図を取り出す手間が省け、大変重宝しました。おかけで当日は方向音痴の私でも道に迷うことはありませんでした。

(ウ)食料を多めに持参したこと
”PowerBar”という登山用の携行食(1食約220kcalという高カロリー)、ザバスのゼリー(ウイダーよりコンパクト)を各6食ずつと塩分等補給用の飴を準備しました。“PowerBar”が意外と重く、荷物の重量化につながってしまった面はありますが、これら食料を随時補給することで最後まで乗り切れたと思います。
(エ)目標設定(時間配分
 前半伊里漁港までは10kmを1.5時間のペースで後半は同2時間で、というプランを設定しました。それより調子が悪ければ備前体育館からは10kmを2時間で、など何パターンか大まかな時間配分を決めて本番に臨みました。個人差があるとは思いますが、細かすぎる目標を立てても本番でチェックする余裕がないように思われますし、あまりに無計画なのもどうかと思われます。


(2)反省点

(ア)体重管理
 身長が172cmの私はたぶんベスト体重は68kg程度だと思うのですが結局本番前日で78kgと、かなりの重量オーバーのまま本番に臨むことになってしまいました。脂肪の厚さで閑谷以降の寒さも上着なしで乗り切れた面はありますが足の負担は相当なものだったと思います。下手にダイエットして体調を崩すことを恐れて食欲の赴くまま食べてしまったのが失敗でした。足には数か所の水ぶくれができ、大変苦労しました。体力も予想以上に消耗しました。

(イ)スタート時点でテーピングをしなかったこと
 今回最大の失敗がこれです。オーダーメイドのインソール(中敷き)にしていたので、テーピングを巻くことにより足に違和感がくるのを警戒したのですが逆に歩行序盤から両足に大きな水ぶくれができ、激痛と共に歩かなければならなくなりました。

ウ)後半、休憩をとりすぎたこと
 9期の先輩から「70km(リバーサイド)以降は原則、休憩すべきではない」とのありがたい助言を頂いていたのですが足の痛みが激しく、後半何度か休憩をとってしまい、そのたびに足の硬直を招いてしまい、時間のロスにつながりました。ゆっくりでも歩き続けることが重要だと思います。




3.100km歩行本番
 以下、当日の自分の道のりを簡単にご報告した後、歩行しながら考えたこと、気づいたことについて述べます。

(1)当日の道のり
(ア)スタート前
 当日は6時30分起床。ドリンク剤を飲み、7時35分の電車で岡山へ。吉野家で牛丼大盛りと卵・味噌汁。8時15分頃後楽園着。足は異常ない。曇り空で、気温はそれほど高くない。

(イ)スタート〜沖田神社(10km)
 東山の峠道が意外とアップダウンがあり、早くも足に違和感がでてきた。左のお尻も何となく痛い。何となく悪い予感。

(ウ)〜大富三叉路(20km)
 曇っているものの体感的にはかなり暑く、お茶を頭からかけたりしながら進む。足が痛い。

(エ)〜飯井交差点(30km)
 足が痛くてつらいが、何とか進む。交差点前、妻と子、妻の両親・妻の妹家族が応援に駆けつけてくれた。交差点ではいちごのジュース等を頂き簡単に休憩。

(オ)〜備前体育館(40km)
 事前の予想通り最初の山場だった。山道で両足ともふくらはぎがつりそうになり、自分でストレッチしながら進む。本当にきつく、長い。備前体育館でゴールにして欲しいと思った。
 備前体育館にようやく到着。両足の裏・かかとなどあわせて5,6か所が水ぶくれに。こりゃー痛いはずだわ。集まったサポートの方々も一瞬絶句。こんな状態であと60km歩けるだろうか。
 しかしここで救世主登場。9期山下さんのご友人池上トレーナーに水ぶくれが破れないように入念にテーピングしていただき、つりそうだったふくらはぎもストレッチしていただくことにより、足がだいぶ楽になった。池上さん、本当にありがとうございました。

(カ)〜伊里漁協(50km)
 ひとまず足は回復、快調に歩いているところでサポート隊から「夜間装備を」ということでストップがかかる。備前体育館で装備しておくべきだった。

(キ)〜吉永炊き出し(60km)
 伊里漁協を出てしばらくすると外部参加の金関拓海くんが追いついてきた。二人旅の始まりだった。「他の人も苦しいのに頑張っているのだから僕も頑張らないと」とのこと。こっちが励まされる。この頃には右足の甲と足首が炎症を起こしてかなり痛んできたことと、旅の道連れができたことでペースより、楽しんで進むことを重視することに。休憩できる地点では遠慮せずに休んでいこう。
 閑谷に入る前、2号線沿いのローソンで休憩。ジュースを飲んだり、アイスを食べたりして結構ゆっくりする。金関くんは相当足が痛いようだが大丈夫か。
 閑谷・吉永の山道は結構きつかったが二人でペチャクチャ喋っているうちに終わった。金関くんには本当に感謝である。吉永の炊き出しでは二人ともゆっくりリフレッシュ。本当は休憩を短めにすべきかもしれないが、足が痛いのでそうもいかない。

(ク)〜リバーサイド(69km)
 出発直後足が硬直してきて、無茶苦茶痛かった。金関くんがぶーぶー文句言いながらもついてくる。「一緒にゴールするぞ」「はい」励ましながら、金関くんがストレッチするのを待ちながら進む。
 リバーサイドに到着。少し遅れて金関くん到着。おかゆと豚汁を頂く。足はここでは大丈夫、私はすぐにでも出発したいが、金関くんはストレッチを受ける模様。申し訳ないが先に出発しよう。「絶対追いついてこいよ」「はい」
 「一緒にゴール」の約束は守られるのか・・・。

(ケ)〜JA瀬戸(82km)
 リバーサイド出発後、意外にも元気に進むが右足の炎症の痛みが激しく、徐々にスタミナも切れてきた。JA瀬戸でも休んでしまい、足の硬直化とも戦うことに。
(コ)〜とれたて市場(91km)
 旧2号線東平島の交差点のマクドナルドまでが長い。足が痛く、マクドナルドでまた小休憩、サポートの方にストレッチをしてもらい、出発するがまた硬直化。マクドナルドの後は暗くさびしい道。とれたて市場まで長いがこれは覚悟の上。意外にも、またペースがあがってきた。

(サ)〜後楽園(ゴール)
 とれたて市場では勇気を振り絞って休憩なしで行く。新幹線下の道を行くうち、本当にスタミナが切れ、足が動かなくなる。高島まで遠い。途中同期の藤井さん、佐藤修一さん達から車で声をかけてもらう。ありがとう、でも何なんだこの人達のこの元気。
 高島の住宅街に入ってから全く足が動かない。エネルギーを補充しないともう歩けない。橋の手前の自販機でミルクコーヒー購入。この中に少しでもエネルギーはないか。
 「ウイニングラン」下見でもお世話になったサポート隊8期の采女さんが車から声をかけてくださるがウイニングランどころかまるで敗残兵の歩み。あと2kmでリタイヤなんて格好悪すぎる。死にそうになりながらとぼとぼと橋の近くへ。「としやんさーん!」2期で同業の新田さんが声をかけてくれる。わずかだが元気が出た。新田さんありがとう。何とか階段を登る。やっとゴール。やった。本当にもう足が動かない。
 それからは芝生の上、芋虫状態で後からゴールする方達を拍手で出迎える。
 金関くんがゴールしたときは、本当に嬉しかった。「一緒にゴール」の約束守れなくてごめんね。
 柔道着の男(同期竹田さん)がゴールしたとき(10期生全員完歩)は、いろいろな意味ですごいな、と思った。
 たびたび練習会で一緒に歩いていた9期清水さんが最後にゴールされたときは感動した。泣きそうになった。
 みなさん本当にお疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。


(2)歩行の中で気づき、学んだこと
(ア)サポートがなければ完歩できなかったであろうこと(=人は一人では生きられないこと)
 車内からの声かけ、区切り地点での励まし、栄養補給、ストレッチ、テーピングには本当に助けていただきました。特に備前体育館でのテーピングとマッサージがなければ完歩は本当に難しかったと思います。また、吉永の炊き出し、リバーサイドではたっぷり栄養補給でき、リフレッシュできました。これら直接の支援の他にも、裏方の仕事をされた方にも大変お世話になりました。
そ れだけでなく、私が実感したことは、人生において、自分自身の回りにあるものはある意味、全てがサポートである、ということです。例えばどこにも立ち寄らず、自分で用意した装備のみで完歩できた人がいたとしても、水や食料や靴は誰かが提供してくれたものですし、たとえ自分のお金を払ってそれを手に入れたとしてもお金を何らかの形で手に入れるには契約等他者との関わりがなければそれはできません。
 自分一人の力でしたことだ、と思っても本当に自分一人でできたことなど、ないのです。
 仲間、と呼び顔の見える人からの支援だけでなく、顔も知らず見ず知らずの人との関わりの中で生かされている自分というものを自覚して、生きていかなければならないことを強く感じています。

(イ)一歩を踏み出さなければ、前へ進むことはできないこと(=小さな事からでも始めなければ、大事をなすことはできないこと)
 これも言葉にしてしまえば当然のことですが、文章を読むのと自分が実感することとは雲泥の差があります。歩いている間、ここで止まったらどれだけ楽だろう、もう足が動かない、ということが何度もありました。それでも足を前に出す。出さなければならない。この一歩一歩は小さいけれども、少しでも前に進まなければゴールできない。何事を為すにしても、小さな事からでもやり始めなければ、目標へ到達することができないことを痛感しました。




4.歩行を終えて
 本当の苦しみは、歩行が終わってからやってきました。足が、動かない。寝ているだけでも激痛が襲ってくるし、お尻が痛くて寝返りもうてない。家の中でトイレに行くのにも杖をつきながら歩かなければなりません。5年前に新築した我が家はバリアフリーで段差の少ない家だったので、歩行翌日からはよろめきながらも手すりを使って移動できるようになりました。バリアフリーの恩恵をこんなに早く受けることになろうとは思いませんでした。
歩 行が終わってから翌日の朝まで、血尿が出続けました。これは厳密には「血」尿ではなく、激しい運動をした後等に筋肉が溶解して成分(ミオグロビン)が溶け出し、尿に混じることがあり、その色が赤いため血尿のように見えたものでした。幸い、翌日の昼以降治まりました。
 前述のとおり、両足の裏・かかとに多くの水ぶくれができていました。妻がガーゼ、包帯等買ってきてくれて水ぶくれに穴をあけて水をだし、ガーゼを当てた上から包帯をまいてくれました。
 足の治療といい、寝たきりになっている間の世話といい、妻がいなかったら日常生活に支障をきたしていたでしょう。結局、今回の100km歩行、一番わかったのは妻の有難さでした。本当にありがとう。