2011年 100km Walk

 
◆難波 博文(岡山政経塾 9期生)

岡山政経塾 100km歩行レポート             2011年5月5日
「はじめから見えていた結果 〜エピソードU〜」



はじめに

 波多サポート隊長はじめサポート隊の皆様、本当にありがとうございました。
 小山事務局長、本当にありがとうございました。
 西原幹事、本当にありがとうございました。
 逢沢幹事、本当にありがとうございました。
 吉永の炊き出しの皆様、本当にありがとうございました。
 各所を提供して下さったお店の方々、本当にありがとうございました。

 関わって下さった多くの方に感謝しています。




今年の24時間100km歩行について

 今年は、去年のリベンジ、9期生の思い、実行委員長としての責任などいろんな思いを胸に挑んだ100kmでした。
 練習会も実行委員であるので当たり前ですがほとんどの練習に参加しました。物の準備もかなりしました。それでも当日まで不安で仕方ありませんでした。でも今年は、リタイアの事は一度も考えませんでした。歩くことだけを考えていました。
 歩く前から決めていたことが1つありました。「今年は、一番最後にスタートしよう。そして、途中で出会う10期生やチャレンジャーを励ましながら歩こう。」と決めていました。実行委員長として10期生と一番多く関わった1人として、最後に何ができるか考えた答えでした。どんなにきつくても明るく笑顔でいること。そうすれば、必ず歩けると思っていました。
 みんな、辛そうに歩いてました。でも、誰一人暗い顔をしてる人はいませんでした。話かければ、「大丈夫です。」と笑顔で返ってきました。みんな、大丈夫。完歩できると感じました。
 一番、印象的だったのが、一般参加の金関君と一緒に歩いた時でした。リバーサイドを過ぎた頃、9期生の井上さんが伴歩に付いてくださり、歩いているとキリンビールの看板が並ぶ1本道で金関君が座りこんでいました。JA瀬戸から合流して井上さんと私と金関君と3人で一緒に歩いていました。

・「何歳?」
 金関君:「17歳。」
・「何で100km歩こうと思ったの?」
 金関君:「お母さんに迷惑を掛けてしまったし、自分を変えたいと思ったから。」
・「そうか。すごいね。」
 金関君:「ゴールしたら何かもらえるんですか?」
・「何ももらえないけど、ゴールしたら解るよ。」
 金関君:「しかし、キリンビールの看板多くないですか?」
 金関君:「あと何キロですか?」「まだそんなもんですか。」「もういやだ。」

 次第に足はフラフラでまっすぐ歩けなくなり、弱音が増える。井上さんのタバコを吸う量も増える。(笑)
 その声を聞きながら、金関君の後ろを歩いた。
 前には、井上さん。後ろに私で、金関君を挟み。歩いた。
 何度も何度も心配そうにお母さんが車で通り掛かる。

 何とかゴールさせてあげたいなと思った。
 でも、上道駅あたりから疲労と意識もピークに達してきた。
 井上さん:「素敵なおまじないを教えてやろうか。」
 金関君:「なんですか?」
 井上さん:「『お母さん、ありがとう。』って3回唱えるんだよ。そしたらパワー出るから」

とれたて市場の手前
 金関君:「もうやだ。」と小声でつぶやいた。
・「変わるんだろ?変わりたいんだろ?がんばれ。」
 井上さん:「人が変わるってのは、そう簡単なことじゃないんだよ。」
 2人で励まし続けた。
 何とかとれたて市場に着き、私はそこでお別れした。
 「ゴールで待ってるからな。」と声を掛けて別れた。

 去年の私は、何かを得ようとして歩いたか。何も無かったのかもしれない。
 リタイアして得たのは、『感謝』の気持ち。
 完歩して得たのも、『感謝』の気持ち。

 同じ「感謝」でも、違う。
 1年越しでのチャレンジは、ありがとうの感謝で溢れていました。
 これだけ辛い道のりを歩けた訳だし、この先の人生で起きる辛い出来事なんか、この100kmの道のりに比べれば余裕に感じるはず。いつも100kmの辛さを思い出し、励みにしたい。

 いつかまた歩きたいと思う日が来るのだろうか?
 考えるだけでゾッとする。

 みんな、ありがとう。