2011年 100km Walk
◆中川 真寿男
(岡山政経塾 10期生)
岡山政経塾 100km歩行レポート 2011年5月16日
「100q歩行―限界への挑戦」
歩くこと
3月に政経塾の説明会があり、100q歩行の行事があると告げられました。
100q歩くということがどんなことか想像もつかず、どうしたらいいのだろうと思っていたところへ、実行委員長の難波さんから練習があるから参加するようにとお誘いを受けました。行きたいのはやまやまだったのですが、3月は議会と重なっており、時間がとれず、ほとんど練習には参加できませんでした。
不安な気持ちの中、自分でも練習しなくてはと思い、近くのマスカットスタジアムに行って外周コースを歩く練習をしていました。
私はずっと運動をしてきており、現在もスポーツ少年団の指導者をしており、歩くぐらいは普通に歩けるだろうと歩いてみると、何とみんなに追い越され、抜こうと思ってもなかなか思いどおりにはいかないことに気がつきました。もしかしたら、自分は歩くのは人より遅いのではないかと非常に心配になりました。100q歩行の練習にいってみて、改めて自分の歩く早さが人に比べて相当遅いことに気がつきました。津島モールで、7qを1時間で歩く練習にとてもついていけず、いつも最後でした。なぜみんなあんなに早く歩けるのだろうと驚くとともに、みんなについていけないことに不安を感じました。その時、サポーターの先輩が「練習していけば、早く歩けるようになるから、できるだけ練習に参加するように。」と、アドバイスをいただきました。そうか、練習しかないのかと思い、また、早く歩いている人もそれなりに練習をして、その結果が出ているのだと気づきました。
下見を終えて
入塾式の翌日、サポーターの先輩方が、100q歩行の下見に連れて行ってくれました。歩行経路に沿い、10qごとのチェックポイントからコンビニの場所、トイレ、休憩所等微に入り細に入り案内をしてくださる言葉を聞きながら、100qはとてつもなく遠い、はたして歩けるのか、不安というよりは驚愕に似た感情を抱きました。それと同時に、「何のために歩くのか」という疑問がわき、入塾の中にあった24時間100q歩行の考え方を見ると「限界を超え、未知の領域に挑戦し、勇気と精神力を養う」とありました。24時間で100q歩くのは限界を超えることなのではないか、はたして歩けるのか、確かに大変なことだと気づき、それもあと2週間しかないと焦りました。
それから、心を入れ替え100q歩行を生活の中心に据え、歩く練習を行いました。年をとっているので、あまりハードな練習をすると次の日ではなく、その次の日に筋肉が痛くなったり骨が痛くなったりするので、調子をみながら10期のみんなとサポーターの先輩の皆さんとともに練習に参加させていただきました。
「筋肉をつけるので無理をしてでも、できるだけ速く歩いてください」という言葉に押され、練習していると少しずつではありますが早く歩けるようになり(他の人に比べるといつも最後の方でしたが)、そして、一度だけ7qを1時間で歩くことができました。その時、年の近い(?)井上さんが、「この練習コースを1時間で歩いた人は、みんな100q歩行のテープを切っている、自信を持って望んでください」とありがたい言葉をいただきました。このほかにも、練習では波夛サポート隊長をはじめたくさんの方々に支えていただき、本当にありがとうございました。
後楽園からの100q歩行
5月3日、自分の中でできるだけの体・心・物の準備をして、後楽園のスタート地点に立ちました。「100q歩行は、自分との闘い」と位置づけ、自分を見つめ直す旅と決めました。そして、「自分のペースで完歩しよう」と心に誓いました。即ち、人のことは気にせず、1時間に5qのペースで歩き、翌朝の9時には後楽園に帰ってこようと胸に刻みました。
たくさんのサポート隊の皆さんに見送られ、みんなと一緒に後楽園を元気よく出発しました。みんなと一緒だったのは、旭川の河川敷を歩いていた時だけで、すぐ長い列になり私は最後のグループで同期の虫明くんや逢沢代議士と景色を見ながら自分のペースで歩いて行きました。百間川の河原は、非常にさわやかでたくさんの花が咲き、雲雀がさえずりのどかな景色の中ゆったりと時間が流れているようでした。天気も曇りであまり暑くなく、歩くには最適の日のようでしたが、黄砂の影響か遠くの景色が幾分かすんでいました。100q先のことは忘れて、周りの景色を愛でながらゆったりしたスタートが切れました。
10qのチェックポイントでは、予定の時間よりも少し早く到着し、たくさんのサポーターの方々に励まされ、次を目指しました。少し先のコンビニには、先に到着した人が数名おり、銘々くつろいだり食事をしておりました。私も、妻が握ってくれたおにぎりを食べ、ストレッチをして体をほぐし次に向かって歩きました。この時点でおおかたの人は先に行っており、ここから私の一人旅が始まりました。5qごとに目標を決め、それを1時間で歩く旅が始まりました。サポーターの方々による下見に加え、自分でも車で一度下見をしていたので地理はだいたい頭に入っているつもりでした。ペースを守って歩いていこうと、周りの景色を見ながらストレッチを繰り返し、10qごとには少し休みを入れて歩いていきました。いたる所で、サポーターの方々が応援をしてくださり、ところによっては果物や飲み物のサービスをしていただき、体はだんだん疲れてくるものの皆さんの一生懸命の応援に励まされて20q、30qのチェックポイントをほぼ予定どおりに通過することができました。
40q地点の備前体育館に行くまでの山道は、車で行った時もきつい登り道だなと思っていた坂が、案外すっと登れ、備前体育館に予定どおりの午後6時に到着できたことは、自分でも驚きでした。ここまでは、足の筋肉は張っているが、痛いところもなく普通に来ることができ、食事もおいしく食べられたので、100qは行けるのではないか、きっと行けると確信しました。
たくさんのサポーターの方々がいて励ましの言葉をうけ、おまけにありがたいことにサポーターの方にマッサージまでしていただき、食事をとり休憩を入れました。30分くらいのんびりしていたものだから、サポーターの方がそろそろ出発したらと心配までしていただきました。私は年をとっているので、所々で休みを取り、自分のペースを守って歩いていこうと決めており、この休憩もその中での位置づけでした。もう1つ驚いたのは、みんな先に行って誰も会っていなかったのが、同期の竹田君と石川君が休んでおり話ができたのには、元気づけられました。
閑谷学校を越えて
備前体育館を出ると夕暮れが迫り、だんだん暗くなってきて少し心細くなってきたが、片上湾を見ながら同期のみんなはどうしているのかな、元気で歩いているのだろうかなどと考えながら閑谷学校を目指しました。きつい登りで、足を引きずりながら歩いている新聞記者の人や同期の人と話をしながら時には一緒に、時には一人で山道を登りました。家がとぎれ暗闇の世界が広がっており、自然の大きさ、恐ろしさを感じました。闇の中にライトアップされた閑谷学校は、凛として、堂々とした江戸時代から変わらぬままの姿で、私を迎えてくれました。たくさんの先人がここに学び、今までの岡山を築いてくれことに感謝をし、自分に岡山のため、郷土のために何ができるか、少しでも暮らしやすい世の中にするにはどうしたらいいのか考えていこうと、閑谷学校を見ながら思いました。
閑谷学校を越えて吉永の炊き出しでは、守井市議をはじめ地元の人たちによるおにぎり、バナナ、飲み物など心温まるもてなしをしていただきました。そして、何よりねぎらいの言葉をかけていただき本当にありがたかったです。話をしてつい長居をしましたが、次のリバーサイドを目指して山道を降りていきました。藤野橋をわたって川沿いの道は、真っ暗で星がとても大きく、北斗七星がきれいに輝いていました。私は星を見るのが好きで、高校の時は地学部に入っており、夏合宿で、みんなで星を見たのを思い出しました。あれから30数年がたっているのか、「星は変わらないが、私は年をとったな。」今まで色々なことがあったなと思い出しながら、途中西原幹事の温かいタオルの差し入れを受け、心まで温まり、リバーサイドに予定どおり2時間で到着しました。自分でも不思議なくらい、5q―1時間のペースで歩いていました。
ここでは、前を歩いていた人も休んでおり、後から何人かが到着し、また、たくさんのサポーターの方々の温かい声援と、谷さんの手料理の豚汁とお粥をいただき一息つきつきました。くつろいでいると小山局長の品のあるジョークが聞こえ、和やかに休憩できました。
限界に挑戦
私は、足の筋肉は張っていましたが、まだ屈伸運動もでき、ストレッチもできたので体をほぐし、所々休み休み、ここまで来ましたが、70qを超えてからが限界に挑戦でした。いくら歩いても80qのチェックポイントのJA瀬戸には着かず、足に加えて腰の方が重たくなり疲労がたまってきているのが、自分でもわかりました。夜中でもあり、体も冷え、疲労もたまり、このあたりが一番つらかったように思います。確かに限界に近づいているなとは思いましたが、ここでくじけるわけにはいかない、みんなも頑張っている、自分も頑張ろうと自分に言い聞かせ歩きました。サポーターの人たちの温かい声援にも励まされ、何とか80qに到着しました。長かった、途中、ボーとしたときもあり、ほんとにいつ着くのかと思いましたが、一歩一歩の積み重ねしかないと思い、ぼつぼつ歩きました。
あと20qと自分に言い聞かせ、とれたて市場を目指しました。瀬戸の町をすぎ、見覚えがある町並みをとおり旧国道2号を目指す頃夜が明け、明るくなり、今まで感じていたあの重たかった足取りから少し解放され、足が前に行くようになりました。国道を歩いている時に、真っ赤な朝日が昇るのが見え、目的地はそう遠くないと思いました。とれたて市場で、サポート隊の皆さんから、「あと、10q、楽しんで」と声援を受け、楽しむ余裕はなかったですが、腹が減ったのでコンビニでパンを買い、食べながらゆっくりと高島の町をすぎ、マイペースで歩きました。旭川の河川敷に降りると、もう着く、えらかったなと思うと同時に、よく頑張ったなと色々な重いが交錯しました。前を同期の吉次君が足を引きずりながらつらそうに歩いており、彼も限界に挑戦しているんだなと思い、一緒にゴールしようと最後まで一緒に歩きました。
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ゴールの後楽園
偶然ではあるが、今回の参加者の中で、一番若い吉次君と一番高年齢の私が一緒にゴールしたのは何か意味があるのだろうかと思いました。「24時間100q歩行」は、年は関係ないといっているのだろうか。老いも若きも、それぞれの限界に挑戦して、それを乗り越えるのは、自分との闘いだと思う。乗り越えるためには、体を鍛え、物を準備し、心を集中する。それでも限界が来る、それに勝つのは、最後は、自分の気持ちであろう。私の限界は70qを過ぎたあたりであり、筋肉などは疲れていたが、幸いにも体の痛いところがなかったので歩くことができ、また、「やめてしまおう」という悪魔のささやきも聞こえず、どうにかやり過ごすことができたようだ。今回は、それどころか悪魔のささやきの代わりに、サポーターの皆さんの度重なる励まし、声援にどれだけ勇気づけられたことであろうか。自分の頑張っている姿をサポーターの人が見てくれている、それに応えようとする自分がいる。そういう励ましによって、「24時間100q歩行」は、だいたい自分が思い描いていたとおりの完歩というゴールにたどり着けと思う。また、喜ばしいことに、10期生全員が自分に打ち勝ちゴールしたことは、とてもうれしく、誇らしく思っています。
最後になりましたが、このようなすばらしい機会を与えていただいた岡山政経塾の西原幹事、小山事務局長、波夛隊長をはじめたくさんのサポート隊の方々に感謝とお礼を申し上げます。
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