2011年 100km Walk

 
◆西蔭 義明(岡山政経塾 一般参加者)

岡山政経塾 100km歩行レポート             2011年5月16日
「100キロを歩き終えて」



【はじめに】

 「3・11 支援プロジェクト@岡山」で小山事務局長にあいさつした際、「100キロ歩くか」と尋ねられ、思わず「はい」と答えてしまった。4月15日のこと。それから、小山事務局長から「変態」と呼ばれるようになった。



【準備】

 3週間を切った本番までに、まとまった時間がとれたのは4月29日のみ。参加させてもらった練習会で9期の高田さんが「色々と情報を教えたい」と、隣で話しながら歩いてくれた。歩くペースや準備するものを具体的にアドバイスしていただき、心構えなどの必要性も話してくれた。また、何より、岡山政経塾の皆さんの意気込みや連帯感を肌で感じることができたのが大きかった。外部の私に対しても波夛さんが「全力でサポートする」とおっしゃってくれ、リタイアだけは絶対できないと思った。ただ、100キロという距離を具体的に想像することが、なかなかできなかった。練習不足の自分にとって、この段階では50〜60キロは体がもって、後は根性かなという、今考えれば甘いイメージだった。



【本番】

 後方の集団からスタート。ペースは少し遅いかもと思うくらいで、これなら何とかついていけそうだと感じた。時折、もう少し早く歩きたくなるのを抑えて、10キロ。川沿いで初夏のそよ風を感じられるくらい余裕があった。
 10キロ過ぎのコンビニから1人で。会話をしなくなると、少しずつ足の左右のバランスが気になり始める。左足の膝に少し違和感があり、かばっていたのか徐々に右足が張ってくる。大学時代、けがに悩まされた腰も重い。
 20キロを過ぎ、腰の重さが痛みに変わった。持ってきたサポーターをつけて、ここから1歩、1歩を意識して歩くようになった。膝も思うように曲がらず、時折、止まって足を伸ばす。早すぎる体の異変に、一瞬青ざめた。あと70キロ以上もある。
 この時、ようやく小山事務局長から「変態」と呼ばれた意味を理解した。確かに、「歩くか」、「はい」で参加するような簡単なものではなかった。
 30キロ。ほかの参加者の足が軽やかに見えた。繰り返される登りと下りに自分の足は悲鳴を上げていた。ただ、なんとか2時間10キロのペースを維持したいと踏ん張った。40キロを過ぎて、暗くなり、辺りが静かになると、色々なことが思い浮かんできた。序盤から痛みを伴った100キロ歩行を人生と重ね合わせて、苦笑。また、チェックポイントで色々なものを準備してくださるサポーターのみなさんや小山事務局長の顔が浮かび、「リタイアなんてできない」と何度も自分に言い聞かせていた。
 しかし、「吉永炊出」「リバーサイド」では最後尾。なんとか、間に合うと思っていたものの、時間的には危なかったようだ。リバーサイドを過ぎて、9期高原さんが伴歩についてくれた。自分より前を歩く高原さんに引っ張られ、気持ちが楽になった。「痛いとこありすぎて、もう気にならないでしょ」。そう言われると、足の水ぶくれがつぶれ、歩くたびに靴の中からグチュグチュ音がするのも、気になっていたのがうそのよう。たいしたことではないような気がしてきた。言葉は厳しかったが、振り返ると、この時点で優しい言葉ばかりをかけられると、甘えていたかもしれない。それでも、なかなか高原さんに思うようについて行けず、情けない思いをしたが、おかけで、なんとか100キロが射程圏内に入りそうだった。
 そして、残り9キロからは5期の石川さんが前で歩いてくれた。JRの高架下を歩きながら、時々後ろを振り返って、「間に合いますよ」「段差があるから気をつけてください」など、励ましてくれる。体は満身創痍でそんな気遣いがとてもうれしかった。よちよちと歩いている自分に合わせてくれ、色々ふってくれた会話には思うように答えられなかったが、とてもありがたかった。



【まとめ】

 100キロを歩き終えて、後楽園の芝生で一度横になると、一人では立っていられず、歩くこともできなかった。たぶん、ほかのみなさんもそのような状態だった人は多いと思う。不思議なのは、こんな状態になるまで歩いたのに、本当の限界を感じた瞬間は1度もなかったこと。きっと体は今まで経験したこともないくらい、痛んでいたのに。
 歩いていたときの自分と、歩き終えた自分。焦っていたのが、安堵になった気持ちの変化もあるだろうし、一抹のプライドもあるかもしれない。支えてくださった岡山政経塾の方々の存在も非常に大きいと思う。色々理由はあるだろうが、まだ、明確な答えは出ていないのが現状。ただ、本当に、このような経験をさせていただいたのは非常にありがたいと感じている。今言えるのは、やはり限界は自分次第で、人の支えとか、気持ちの持ちようとかで、どうにでもなる。歩き終えて、これからの人生の一つの大きな糧が増えたと感じている。
 最後に、やはり、岡山政経塾の皆様の、物資、精神両面での支えがなければ、完歩できなかったと思います。外部の自分に、ゴールが遅かった自分に、政経塾の皆さんと同等、それ以上にサポートしてくれた方々には言葉に表せない思いがあります。この場を借りて、心よりお礼を申し上げます。