2011年 100km Walk

 
◆油田 洋幸(岡山政経塾 8期生)サポート副隊長

岡山政経塾 100km歩行レポート             2011年5月17日
「限界」



1.はじめに

 今年で3回目の100km歩行でした。今回は副隊長の役割を頂きました。担当エリアは大富三叉路から備前体育館(20km〜40km)とJA瀬戸から採れたて市場(82km〜91km)の2ヶ所でした。このレポートでは、副隊長としての当日の仕事と今回の100km歩行で印象に残ったことの2点に絞って書こうと思います。



2.副隊長として

 今回、副隊長の役割を頂きました。担当エリアは上記の2ヶ所です。まず、当日チャレンジャーがどのような歩きをするかは、当日になってみなければわからなかったので、とりあえず、次の4パターンを想定しました。
 @先頭と最後尾があまり離れない。
 A先頭だけが物凄く早い。
 B最後尾だけが物凄く遅い。
 実際には、B(またはC)のパターンになったと思っているのですが、各パターンの問題点などを事前に考えておき、隊長に相談しておきました。そのおかげで比較的安心してサポートに従事することができました。この点は良かったと思います。

 さらに、今回のサポート隊の目的・目標は「無事故で全員完歩」でした。私はこの目的・目標を達成するために、私の担当エリアにおけるエリア目標を考えました。
大富三叉路から備前体育館のエリアですが、ここはほとんどのチャレンジャーが日中に通過する確率が高く、気温も高いため手当がしやすく、隊長部隊も時間がある。また、リタイアする方に限らず、多くのチャレンジャーに変化がでてくるエリアです。その変化を見過ごし、そのまま放置しておくとその後の歩きが非常に困難になることが予想されます。そのため、このエリアにおいて次のようなエリア目標を考えました。
 Dチャレンジャーの小さな変化も情報を取捨選択することなく渡辺副隊長に報告する。
 Eチャレンジャーが明らかにおかしい場合、川口さんやチームドクターに依頼して応急処置を速やかにお願いする。
 F隊長号と逆の動きをして、隊長号の集められない情報を集める。
 Eを実行することはなかったのですが、Dについては、Fがあってできることなので、いろいろと車を走らせては情報を隊長号にあげました。この動きがよかったのかは、よくわからないのですが、結果、塾生が全員完歩しているのでよかったとしました。
 また、事前に想定していたB(またはC)の動きをチャレンジャーは示していました。最後尾の高田さんが備前体育館に到着する前にチェックポイントを閉じて、次のエリアに着任するのか、それとも、高田さんを待つのか。最終判断はもちろん隊長号の仕事なのですが、物凄く難しい判断が隊長号には求められていました。というのも、チェックポイントについてサポーターが誰もいない状況を考えるとチャレンジャーの気持ちが折れる可能性が高いですし、あまり待ちすぎると、サポーターの次の仕事に支障がでてきます。
 結果は、備前体育館までは高田さんを待つことになりましたが、高田さんが備前体育館を通過し、チェックポイントを閉じ、私の次の着任エリアについてしばらくすると、先頭の西村さんがJA瀬戸を通過しました。ギリギリのところで本当にいい判断が下ったのだなと、振り返ってみて思います。隊長号すごいです。

 JA瀬戸から採れたて市場のエリアは、毎年ボロボロになったチャレンジャーが通過するエリアです。早い人は深夜に遅い方は明け方ぐらいに通過します。長丁場になりますし、隊長号は電話がバンバン鳴って忙しい時間帯です。ここでのエリア目標は次のように設定しました。
 G情報を取捨選択し重要なものだけ報告する。
 H隊長号と逆の動きをして、隊長号の集められない情報を集める。
 Iサポーターの皆さんにも声をかける
 ここでも相変わらず、隊長号の目となることを考え、隊長号の集められない情報を集める努力をしました。しかし、ここでは隊長号は忙しいことが想定されましたので、報告する情報は取捨選択しました。また、ゴールまであと少しではあるのですが、チャレンジャーに異変があればすぐに連絡できるように動いていました。さらに、長丁場であるのでサポーターの皆さんにも気を使いました。特に東平島は駐車場も少ないのでサポーターも集まりづらく、エリアの中間にあることもあって拠点として活用しました。東平島の担当は3期の布野さんと8期の古賀さんでした。普段交流のない政経塾の先輩方とお話できたのは善い事でした。
 また、最後尾のチャレンジャーである9期清水さんがJA瀬戸に到着したのは5時6分でした。JA瀬戸についた時の状態を考えると完歩は非常に厳しいのではないか、という思いが脳裏をよぎりました。そこで、ある程度チャレンジャーが採れたて市場を通過できる見通しが立ったところで、最後尾の動きを注視することにしました。その後の動きは次項に譲ります。

 さて、副隊長として至らぬ点は多々あったと思いますが、今回エリア目標というのを事前に考えて行動した点やいろんな状況をシュミレーションしていた点はよかったと思っております。去年の反省点である事前準備を去年よりはしっかりできていたと思います。副隊長としての仕事については以上です。



3.「9期生の絆」

 ある程度チャレンジャーが採れたて市場を通過できる見通しが立ったところで、私は東平島に戻り、最後尾の清水さんの様子をみることにしました。いつの間にか、9期生の方が何人か伴歩についており、JA瀬戸での状態からは、少しペースが上がっていました。しかし、依然としてタイムは厳しい状況でした。そして、清水さんが東平島を通過したときに、9期生の和田さんが伴歩ではなく、車で1kmごとに先導していることに気付きました。私は和田さんも清水さんの伴歩につきたいのではないかと直感で感じ、勝手な判断ではあったのですが、和田さんの代役を務めることにしました。今、振りかえってみてエリア担当としては間違いだとは思うのですが、このサポートが今回の100km歩行における一番の印象深いサポートとなりました。
 というのも、ここから「9期生の絆」というものを目の当たりにしたからです。東平島を超えて清水さんはどんどんペースが上がっていきました。いったい何が彼女の足を動かしているのか、あの細い体のどこにあのようなエネルギーがあるのか、始めはわからなかったです。JA瀬戸での状態を見ていた私にとっては考えられない歩きでした。車を運転しながら何度も「なんで歩けるんだ?」とつぶやいたのを鮮明に覚えています。新幹線高架下では、10期生の竹田さん、虫明さんとの距離をどんどん縮めていきました。明らかに限界を超えているにも関わらず、ただ歩くだけではなくペースを上げて歩いているのが信じられませんでした。そしていつのまにか、私は清水さんだけでなく9期生全員に声援を送っていました。完全に9期生のファンになっていました。今思えば、清水さんを歩かせていた力というのは、9期生のみなさんが卒塾式で言っていた「絆」とか「仲間」の力だったのだな、と思います。
 9期生のみなさん感動をありがとう。みなさんの歩きは私の心を揺さぶりました。そして、自分の心を見直す契機となりましたことをご報告いたします。



4.さいごに

 岡山政経塾の荒行100km歩行の目的は「限界を超え、未知の領域に挑戦し、勇気と精神力を養う」ことです。2年前の自分の歩きと今回の清水さんの歩きを比べてみて、自分は限界に挑戦していたのだろうかと思うようになりました。
 また、現役塾生のときに山口県の松陰神社に行ったことがあったのですが、そこで松陰おみくじというのを引いたときに、「おまえは覚悟が足りない」と吉田松陰先生に指摘されたのが実はずっとひっかかっていました。
 今後の人生に立ちはだかる困難に立ち向かうためにも、今一度、覚悟を決めて、限界に挑戦するか、暫くゆっくり考えてみようと思います。

 今回、副隊長の役割を頂きましたが、いろいろ至らぬ所が多々あったと思います。支えて頂いた波夛隊長を始めとするサポート隊の皆さま本当にありがとうございました。また、このような機会を与えて下さった小山事務局長をはじめ、西原幹事、関係者のみなさま、ありがとうございました。